goo blog サービス終了のお知らせ 

***

2010-2011 カタギ-ヒトリタビ-ニート

81

2010-11-14 03:29:06 | ヨルダン/イスラエル
81-1

朝食を食べて、宿の送迎バスでぺトラ遺跡へ。
「インディ・ジョーンズ3 最後の聖戦」の舞台とか。

インディ・ジョーンズ、1しか見てないんだけどねー。

81-2

ぺトラ遺跡の入場料は
今月から20→50ディナール。日本円で6000円。
世界一高い入場料とかなんとか。
どう確かめるのかわからないけど、
ぺトラに一泊しない人は、90ディナール。
観光客から搾取しすぎでしょ。

81-3

朝の7時に宿を出て、夕方まで、
ひたすら歩いて、遺跡を眺めて写真とって登って。みたいな。
岩を削って、これだけのものが出来るんだーという感じ。
帰ったら「インディ・ジョーンズ」みなきゃー。
ちなみに、2日券は55、3日券は60ディナールと、
遺跡マニアにはたまらない感じ。
あとシニア世代が多くみられました。
ガンガン歩くコースなのに。みんなタフっすね。

81-4

基本3人で行動しているのですが、
1人でポツンと歩いて、プラプラと散策するのを
受け入れていただけているのでとてもありがたいのでした。

81-5

宿に戻って、砂塵にまみれた体を洗い流す。
約1週間ぶりの温水シャワー。
生き返りました。
そして、夕食を食べて明日の移動日なので
早く寝るよー。

81-6

食:宿の朝・昼・晩
  パン・野菜たくさん、ヨーグルト・ジュース

80

2010-11-13 07:06:23 | ヨルダン/イスラエル
80-1

イスラエル出発の朝。
ご主人が朝食を用意してくださり、
平和について、自分について、イスラエルという国について、
私達6人のためだけにたくさんお話してくれました。

昨日と同じく涙のお別れ。
また訪れます。

80-2

そして、
ドキドキの国境越えからはじまった、
イスラエル4泊5日を共にした方々ともお別れが。

もう少しイスラエルに滞在するご夫婦と、
ヨルダンから日本に帰る女の子と。

6人→3人に。

寂しいし、心細いけれど、また逢えるねーと、
再会を楽しみにしつつ・・

80-3

イスラエルは入国は大変だが出国はスムーズと聞いていたのだけど、
係員の要領があんまりよろしくないのか、
私達が並んだ列がやけにチンタラしており、
なんだかどっと疲れました。
手続き自体はどうってことないんだけどね。

80-4

タクシーで荷物を預けていた、ヨルダン・アンマンの宿へ戻り、
お土産屋を物色し、買ってしまいました。トランプ。
しかも、ヨルダンの観光地が載ってるやつ。
イスラエルでも探してたんだけど、
店の人の感じがあまりよくなくてやめたんでした。
ドボン布教するよー。

80-5

またもタクシーで、3時間ちょいのぺトラへ。
バスという選択肢もあったのだけど、
タクシーに一端座ってしまうと、
割高だけどいいかーという感じになってしまう。
3人割りカンだしね。
一人だったら何があってもバスなんですけど。
久しぶりのバックパックでの移動。やっぱり重い。

80-6

今回の宿は、夜食がやけに豪華。
むしゃむしゃ食べてしまう。
そして日本人がとても多くて、
テーブルがご一緒だった方々の面白旅話を聞いたりドボン布教。
みんなそれなりに楽しんでくれたよう。

80-7

食:宿 野菜煮込み・パン・野菜・紅茶
  チキン・ビーフバーガー
  宿 チャーハン・スパゲッティ・野菜多数。

79

2010-11-12 10:09:51 | ヨルダン/イスラエル
79-1

宿の屋上からの朝日がキレイとのことで
5:30起床。

初日の出を見た記憶がないので、
これこそイスラエルで人生初日の出。

砂埃がちょっと多いのだけど、却ってぐんぐん太陽が昇っていく様子が
まぶしくなく見ることが出来ました。

79-2

その後はタクシーで、ベツレヘムへ。イエス生誕の教会もさることながら

メインの目的はパレスチナ自治区。

昨日と同じタクシー。
コーヒーとお茶を奥様と娘さんが持ってきてくださり、
パンまで買ってくれました。

パレスチナ自治区は
エルサレムから1時間弱の場所に、「分離の壁」が四方囲まれている地帯があるのです。
壁にメッセージやアートが描かれていて、
ちょっと異様な雰囲気でもあり。

観光客も、パスポートチェックがありますが、
地元の人は、どうやら指紋をとったりして厳重みたい。

最近では3年前に戦争が起こっているのですね。

ベルリンの壁のように、引き裂かれた家族もいるそうです。

歴史ではなくリアルタイムでこのようなことが起こっているんですね。

私が見たのは安全な地域だったとは思うのですが、
エルサレム同様ゆったりとした雰囲気でした。

勉強不足でよくわからないんだけど、
家族が逢えないとか、戦禍に見舞われるとか、
そんなことはあってはならないことで、

この問題に万人が納得する答えはないのかもしれませんが、
犠牲 者がこれ以上出ないことを祈るばかりです。

79-3

皆と別行動で、新市街を歩いてみる。

ホントヨーロッパと何ら変わり無い。

アイスを食べつつ
折り紙折ったり、
猫とじゃれてゆったりすごしました。

皆は
毎週金曜日の巡礼をみたり、
嘆きの壁にて、ユダヤ人のお祈りの様子に興奮してました。
独特らしい。

79-4

明日、移動で、6人旅は最後ということでイスラエル初の外食。

宿に戻ってご主人に笑顔で
明日発つことをお話したら、
「私達は家族なのだから、また来なさい」と。

この旅ではじめて泣きました。
今でもウッとくるぐらい。

79-5

深夜までドボン(みんな飲み込みはやいー)と、
ご主人への感謝の気持ちのちょっとしたプレゼント作り。

折り紙を駆使して、
イスラエルの国旗カラーのモチーフを作ってみました。
この手のことはハッキリ言ってヘノカッパです。

まさか私の仕事内容がこんな形で活かされ様とは。とても嬉しいです。

79-6

食:昨日のカレーの残り
  パン・バナナ・揚げパン?
  シュニッツェル・シュワルマ(肉のスライス)・ポテト

78

2010-11-11 08:17:53 | ヨルダン/イスラエル
78-1

朝食を済ませて、死海へ。

6人なのでタクシー割りカンで、ドライバーと交渉していたら
宿のご主人が通りかかり、紹介してくれる。

結局、違うタクシーを呼ぶことになったのだけど、
最初に話していたドライバーも「家族だから」と笑顔。

この交渉の間も、ご主人に対して、
近所の人たちが挨拶をされていたり、お恵みを与えていたりと、
暖かい人柄が伺えるのでした。

78-2

本日のメインテーマの一つ目は、死海。
ヨルダン側からも入れるのですが、
どうやらイスラエル側の方がリゾート地としてよいらしいのです。

泥パックを塗りたくり、
新聞読んだり、バナナ食べてみたり
お約束のポーズをとってみる。

夕方はちょっと冷え込みますが、
昼間は完全なる夏の気温。

ホント浮力がものすごいです。

浅瀬なのに足がつかずに溺れもがきつつ。

そりゃ生物生息できないよ。

死海だよ。

いやー、快適だったー。

旅で汚れた体も、塩消毒できたに違いない。

78-3

ここで、温泉にも入って、アイスを食べて今日は終了!
あとは昼寝!

・・っていきたいところではあるのだけれど、

ヤド・ヴァシェムという「名前の記憶」と名づけられた
ホロコーストの博物館に行って来ました。

アウシュビッツ同様無料。

アウシュビッツは、もちろんユダヤ人虐殺のシンボルとした上で、
ポーランドの見解が踏まえられていたけれど、
迫害されたユダヤ人の国とも言えるイスラエルで
どのように展示されているか見ておきたかったのです。

見学が夕方だったので、
閑散としていて怖いかもなーと思いきや
勉強会のツアーもちらほら見えて、
結構な人でした。

第1次世界大戦が終わって、ヒットラーが出現し、
ヨーロッパの各国で迫害がはじまり、
収容所が出来て・・と、時系列での説明と共に、
亡くなられた方の遺品や肖像が展示されています。

アウシュビッツとの大きな違いは、
映像媒体がとっても多いのです。
ヒットラーの演説、それに興奮する洗脳された群衆。

自分で墓穴を掘らされ、整列させられて銃殺される映像や。
当時者の証言。

これ、私今年の終戦記念日近辺のNHK番組で
最新の技術でカラーで見ていて、
あの時も見てられなかったけど、
イスラエルで再びみて、きちんと見なければと思ったりもしました。

日本も同じようなことをしていたのにね。

ヤド・ヴァシェムは、一見モダンな美術館と見まがうほど
広大な敷地に建てられていて、

メインの建物を抜けると、
途中子供達を偲ぶメモリアルホールがあって(5時までで今回は見られず残念)
出口までの間、
自分なりに考えてみなさいと言われているかのような
ちょっと長い道のりがあるのです。

今回時間の関係で駆け足の見学だったのだけど、
もう1回といわず、勉強してまた来ようと思ったのでした。

今度は父母を連れて。

78-4

宿のご主人に紹介していただいた、タクシーの運転手さんが
お水や軽食を差し入れてくれたり、
こちらの要望をイヤな顔一つせず、受け入れてくれて、
明日・明後日もサービスしてくれるのでした。

ユダヤ人地区にある、ヤド・ヴァシェムからのタクシーは
アラブ人地区にある、宿まで入れないからと
待っててくださったり。

これだけでも充分なのに、
お茶を飲まないかと、ご自宅に招待してくれてご家族を紹介していただきました。

なんでこんなに温かいのかもうよくわかりません。
私には出来ないなーと思いつつ、
本当にイスラエルに来て良かったー。

一緒に行くよー>父母。

78-5

夕飯は旅仲間特製のカレーライス。
日本のカレーライス。

もう、美味しくて幸せでしたー。

その後は大富豪大会。

8流しとか、スペードの3とか、
私の界隈のルールには無かったのでっていうのは言い訳だけど、
せいぜい富豪レベル。

明日は是非ドボンを伝授したいところです。

78-6

旅仲間に血液型を聞かれ、
「Aなの?」みたいな反応。

やっぱりね。いつものことです。

ありがたいことに、私の協調性の無さを
面白がって頂けているような気がします。

78-7

今回は、ヨルダンの宿に大きな荷物を置いて移動。
デジカメの充電器を置いてきたもんで
写真が少なめ。

まずったー。

息も絶え絶えながらなんとか持ちこたえております。
もう少しの辛抱だー。

78-8

食:宿の朝食・パン・紅茶
  ビスケット
  カレーライス

77

2010-11-10 07:50:24 | ヨルダン/イスラエル
77-1

起きてシャワー。
トルコのイスタンブールの宿しかり、ちょいちょい温水が出ないシャワーが出現。
日本の11月よりは全然暖かいのだけど
それでも水シャワーは苦行。
乾燥してるから洗濯物はすぐ乾くんだけどねー。

77-2

宿のご主人に朝食をたくさん振舞っていただき、
スタミナをたっぷりつけて出発。

キリストが死んだ場所、お墓
最後の晩餐、
昇天した場所、
審判を受ける場所・・

嘆きの壁・・など

旧市街をとにかく歩いて歩いて歩き回る。

77-3

とにもかくにも私の宗教の知識基盤は
「聖☆おにいさん」だからさー。

でも、ミラノでは、最後の晩餐どうでもいいやーとか思ってたけど、
実際の場所に行ったら
「ダヴィンチコード」読んでみようかしらぐらいにはなりました。

まあ、帰ったら最初は、ブルーレイディスクで
5万1回目のラピュタを見ると思います。

77-4

ともかく、不思議な町です。
面積的には1日で回れる街中に

アルメニア・イスラム・キリスト教・ユダヤと
居住しているのです。
で、地区ごとに、雰囲気も全然違うー。

ユダヤ人の男性は、帽子をかぶっていたり独特の髪型で、
私は、それを最初ベルギーで見て
コスプレ?って思ったものだけど、

ホント宗教ってわからない。
それがもとで紛争が起こったりもして、ホントわからない。

77-5

そんなわけで
結局、ほぼ休憩なしで歩くこと9時間。

このがっつり感は久しぶり。

違うのはグループで行動しているということ。

私、協調性ホントないなーって旅に出てつくづく思っていて、
まあ、協調性は旅に出る前からなかったよなーとか開き直っているのですが、

一番年上なんだけど、
一番経験値もないし、
一番自由というか勝手に単独行動させてもらっております。

何回か皆とはぐれつつも、
温かく?あきれつつ?受け入れてもらっているのかなー?

もしはぐれたら、何とかするので探さないようにしてもらわないとね。

旅に出なければ絶対接点が無かったであろう、
海外の人はもちろん日本人にも出会えています。

77-6

食:宿のパン・卵・サラダ・紅茶
  ケバブサンド
  冷凍ピザ・コーラ

イスラエルは物価が日本よりちょい高な感じ。
私はヨーロッパスタートだったのでさほど苦しくないのだけど、
それでもお金が飛んでいくなーという感じ。

しかし居心地は不思議と良い。

76

2010-11-09 06:44:51 | ヨルダン/イスラエル
76-1

早起きをして
宿でご一緒な人達とタクシー割り缶で、
次なる目的地。

22か国め、イスラエルへ。

76-2

イスラエルの、出入国スタンプがあると、
入れない国がいくつかあるので、

「ノースタンププリーズ」と言って
いくつかの質問に答えて
パスポートではなく別紙にスタンプを押してもらわなければならず、

シリアの入国スタンプがあったり
挙動不審だと、何時間も待たされるとか
恐れおののきつつ
1時間ちょい、タクシーとバスを乗り継ぎして国境へ。

76-3

ヨルダン出国はすぐ終わって、
イスラエル入国。

質問される内容はだいたい予想されていたものだったんだけどドキドキでした。

「なぜノースタンプなのか(バスでトルコに戻るためシリアを通るから)」
「泊まる宿の名前(ユダヤ系宿がいいらしい)」
「宿の予約はしているか?(してるって言ったら、証拠を見せてって言われ、
             間違えた、これから予約します)」
「どこを観光するか(ベツレヘム=パレスチナなんて言ってはいけない。
          エルサレムと答えたらテルアビブは?と言われ、
          行くって答えたら正確に答えるよう言われた)」
「イスラエルに知り合いはいるか(いない)」

などなど。

どうやら窓口の人にも恵まれたようで、

結構言い間違いがあったり、聞き返したりしたんだけど、
あまりにあまりなたどたどしさが良かったのか、
一緒に行った日本人の中で最初にスルー。

あー良かったー。

で、ご一緒した中で一人だけなぜか数時間待たされてました。
意味不明。

76-4

そして、国境からバスを乗り継いで宿へ。

今回の宿は、宿ではなくて、食事・部屋を提供する完全寄付制の民泊。

とっても温かい人柄のご主人で、
世界平和について世界中で講演しているそう。

調べたら、パレスチナ人で、ヨルダン国籍を持って、イスラエルに住んで・・と
複雑な境遇。

その関係で近隣諸国には行けないんだとか。

屈託がなくって、
国境で疲れていたら早々、食事を用意してくれて・・
そのスープが、めっちゃくちゃしょっぱかったんだけど、

それを差し引いても、
ご主人の人柄が本当に素晴らしいのでした。

寄付をケチろうと思った自分が恥ずかしいよ。

76-5

荷物を置いて、
エルサレムの、新市街・旧市街散策。

旧市街のいくつかの教会や、土産屋さんを眺めたり、
ヨーロッパと遜色ないとっても垢抜けた新市街を歩いたり、

アメリカのバックアップがあるそうでゴージャスだったり。

聖地なので欧米の観光客は熱心に礼拝していたようでした。

なんだか不思議な国です。

76-6

宿に戻って、
私はちょっと眠ってしまったんだけど、
ご一緒した方々が、先ほどのしょっぱいスープをとっても美味しくアレンジしてくださって、
温まって、
ご主人ともお話したりしました。

ホント私は物を知らないなー。
ほんのちょっとではあるけれど、色々知ることが旅で出来ているなーと思います。

76-7

食:宿の朝食;たまご・パン・紅茶・チーズ
  チョコレート・スープ、蒸し野菜

75

2010-11-08 18:43:41 | ヨルダン/イスラエル
75-0

明日以降の計画を何となく立てつつ
パソコンしつつぼーっと過ごしてます。

シリアは駆け抜けた感がありながらも
ダマスカスではゆっくり出来たんだけどね。

ちょっと観光と散策に出かけようかね。

75-1

ゆっくり起床・シャワー・朝食。
日本人の宿泊客が多いので、やっぱりホッとした居心地のよさがあって、
徒にうっかり長居してしまうような雰囲気なので、
テキパキと行動せねばーと、
周囲の人の予定を参考に
とりあえず当初3泊を予定してたのだけど2泊に変更。

75-2

ヨルダンの目的は、
何はなくともぺトラ遺跡ということで、
アンマンはプラリと観光。

スークという市場が点在していて飽きません。

そして「ウェルカム ジョルダン(ヨルダン)」と声をかけられます。

道路を渡ろうと待っていたら目だけ出した女性にも話しかけられ(多分笑顔)
上機嫌でいたら、
初老の男性に「案内してやるよ」と言われる。

今までの声かけの感じとは何となく違うし
別れ際その女性からも「気をつけてね」と言われ

「私は一人で歩きたいし、お金も持っていない」と言っても
「マイフレンド、ノーマネー」と聞く耳持たず。

5分ぐらいの膠着状態を経て
もっと案内したがってたようだけど、

「私は宿に戻る。ここまでありがとうさよなら」と言って鶴を渡してみたら

なんだよコレみたいなリアクションで

「お金ないから1ディナール(約110円)くれ」

・・やっぱりね。

もちろん

「さっきあなたお金いらないっていってたでしょ」と、振り切りました。

コレ、真昼間で人通りが沢山あるところでの出来事。

まったくもう。

危険信号は察知していたのに、
最初っからキッパリ断らないとダメだねー。

改めて私は無心の親切に恵まれていたんだなあと、気を引き締めたのでした。

75-3

地図にある図書館らしき建物の写真も撮って

何とかスポーツ用品店を探し出し、
海近辺では高そうな、水着を値切りに挑戦しつつ購入し
おまけにちょっとポップな帽子つけられそうだったけど、
荷物でかいからーと遠慮しました。

あとは切手を多めに買おうと郵便局へ。
(何しろクラックデシュバリエの絵葉書が・・)

切手売り場のブースは混雑め。

よーく、光景を想像してください。

・切手を11枚購入したくて、10ディナールあれば足りるだろうと、

「5ディナールの紙幣を2枚」渡す。

・スタッフは切手1枚と勘違いしたみたいで、

「5ディナール紙幣を1枚」返して

0.8ディナールだから細かいの持ってない?みたいなことを聞いてくる。

その間次のお客さんの対応もしつつ。

ここで私が11枚欲しいってちゃんと言えば良かったんだけど
最初無いっていって、スタッフが「ちょっとまって崩すから」みたいな間に
私が「あったわー」と、
つい「1ディナール紙幣を出ししまう」

・でこの後、あと10枚希望して
8ディナールと言われ、
「10ディナール紙幣を1枚出して」お釣をもらう。

・・もしオヒマでしたら、図に描いてみてください。

「5ディナール紙幣1枚」どう考えたって、私返してもらってなーい。

なんかおかしーなーって思いながらも、一端外に出て
やっぱり引き返して、
図に描いて説明。「あたし返してもらってない」と。

スタッフは、まあ、「返した」っていう行為自体はしているから
「返したじゃないですか」って感じ。

そしたら周りのお客さんも何もめてるんだって入って来て、

あーもーめんどくさいー。と、あきらめて出てきてしまいました。

本当ならレジ精算して確かめてほしいところだけど、
まあ500円ちょいの話だしね・・

スタッフに悪気はないわけだし・・

で、詳細にこのことを書いてしまう自分が嫌だーと思ったりするのでした。

せめて、今日レジ締めるときに、あーあのジャパニーズは間違ってなかった・・と思ってほしいよ。
とかちまちま思う自分が嫌だー。

その程度の無駄遣い、今まで腐るほどしてるのにね。

75-4

そんな想いを抱えつつ歩いていたら、
3日前、ダマスカスの宿で一緒だった、韓国人の女の子とバッタリ。

近くの宿に泊まってて次の地へ行くとか。

日本人以外と再会するのははじめて。
これもまた嬉しい。


75-5

明日行動を共にする方々と夕飯。
おいしいし安いし。
話も聞いていて楽しい。

みんな若いのにいろいろ勉強していて、すごいなーと感心しきり。

日本をコンセプトに活動しつつご旅行されている格好良いご夫婦のサイト。

見習わなくてはね。

75-6

おすすめのジュースやスイーツを教えてもらって
並んでいたら、
女が並んでいるのは珍しいのか、お客さんがスタッフに言って順番を早くしてくれたのでした。

イスラム教の五行の教えのなかに
観光客に優しくすると徳が高くなる、みたいなのがあるそうで、
宗教が根付いているのだなーと。

75-7

宿に戻ったら、名物スタッフのルアイさんが!
水やコーヒーの大盤振る舞い。
ルアイさんがいるから、この宿にする人が多いそうです。

(ちなみに、元祖のサーメルさんは、日本人女性と結婚して日本在住だそうな)

この人かー。

75-8

昨日のクネイトラの話。

「イスラエルの残虐行為を忘れないために修復しない」ってよく考えるとすごくない?
隣の国だよ?

日本に置き換えると
「アメリカの残虐行為を忘れないために、広島・長崎を修復しない」って考えると・・

シリア人に2回、広島・長崎のこと言われたもんねえ。後遺症の話とか。
アメリカ嫌いなんだよなー。

ってことは、中東怖い怖いっていうのは、確かに怖い場所、もちろんあるけど、
マスコミのネガティブキャンペーンもあるのかなあとか思っちゃう。

少なくとも、私が通ってきたシリア・ヨルダンは今のところとても優しい国です。

クネイトラは
アクセスはあまりよくないけど、アウシュビッツ同様、交通費以外はかかりません。
観光気分では行けないけど行って良かったな。

75-9

食:宿の朝食・パン・紅茶・卵・チーズ
  乾麺・ローマから持ち歩いていた玉ねぎ・カレースープ。
  エジプト料理?肉・魚・米・スープ
  チーズのスイーツ、100%ジュース。

満腹満足。食べ物が美味しい国は良い国です。