74-1
早起きして
宿で同室だった日本人女性のよっぴーさんが行くといっていた
クネイトラという場所に
ご一緒させてもらうことに。
クネイトラという場所は
度々イスラエルとシリアとの国境争いの場となり
1974年に
イスラエルの爆撃を受け、残虐行為の記録として修復することなく公開しているそうです。
まず行くためには、
市街地から離れて高級住宅地っぽいなかの内務省クネイトラ事務所に行って
入域許可をもらわなくてはならず、
途中図書館が見たくなって、バスで行ったらよいものを、
歩いていきたいという私に、にこやかによっぴーさんは付き合ってくれたのでした。
74-2
1時間ちょい歩いて、許可をもらって
そこからバスを2回ぐらい乗り換えて1時間半ぐらいでクネイトラ。
とにもかくにもアラビア語が読めなくって
セルビス(乗り合いタクシー)の乗り方もままならず
一人だったら完全路頭に迷っていたところを
よっぴーさんがテキパキとナビゲート。
クネイトラに到着して、
ガイドのおっさんとセルビスのおっちゃんが結託して
特別に車付きのガイドだから
300円払え!と言ってきたところを
100円に値切ってくれて、
ありがたいことでございました。
74-3
さて、このクネイトラ。
クネイトラに限らず、軍人率が高くって普通に銃構えてます。
そして、クネイトラに入ると
カジュアルな普段着で銃構えてます。
この人たちは、本気になればズドンといけるんだーとうっすら思いつつ入域。
警察とか国境とかは写真NG。
瓦礫が延々と続くのです。延々と。
蜂の巣になっていたり。
これ・・
今は瓦礫と砂埃だけど
その当時は人もいてすんごく血生臭いことになってたのかもと考えると
ほんとすさまじい。
もしこの写真をイスラエル国境で見られたら入国できないだろうねーなんてな感じで。
よっぴーさんに教えていただかなければ知らなかった地でした。
行って良かったです。
74-4
そして今日はシリア抜けをしなければいけない日でもあり、
ここまでの行動は、バックパックをガラガラ運びつつ。
クネイトラのバスターミナルでは預けられたけど、重いー。
そして、次の国、ヨルダン行きのバスの出発時間と
クネイトラからバス乗り場に着いた時間がほぼ同じ。
よっぴーさんとのお別れのあいさつもそこそこに
バス会社の人に「マイフレンド ハリーアップ~」って言われて切符手配して
無事乗れました。
これを逃したら、乗り合いタクシーだったからねー。
でも結局30分ぐらい遅れて発車したんだけど。
74-5
そそくさと空席に移動して
爆睡しつつ、
出入国を済ませ、
4時間ってガイドに書いてあったけど6時間ぐらいかかって
21か国め ヨルダン・アンマン到着。
あんなに緊張したのにシリアあっという間に抜けなきゃならないとは・・・
セクハラ攻めには遭いましたが、
もっとじっくり訪れてみたい国です。
その時はきちんと日本でビザとるぞー。
74-6
アンマンは真っ暗で
宿まで行くにはちょっと心もとないのと
偶然、共にシリア入国をした男性がバス一緒だったのでタクシー割り勘で
宿近辺へ。
何回か人に聞いてようやく到着。
マンスールホテル。
別名コーダホテル。
イラクに行って亡くなった香田さんにちなんで名づけられた宿で
お客さんほぼ日本人。
カッパドキアもそうだったけどほっとしつつ、
甘えていられないと思いつつ。
つくづく色んな人がいるなーって感じです。
あー、疲れたー
腰も若干やられ気味。
明日はちょっと休もう。
74-7
食:クリームパン
サンドイッチ・コーラ・ポテト
ウエハースチョコ・ジュース
早起きして
宿で同室だった日本人女性のよっぴーさんが行くといっていた
クネイトラという場所に
ご一緒させてもらうことに。
クネイトラという場所は
度々イスラエルとシリアとの国境争いの場となり
1974年に
イスラエルの爆撃を受け、残虐行為の記録として修復することなく公開しているそうです。
まず行くためには、
市街地から離れて高級住宅地っぽいなかの内務省クネイトラ事務所に行って
入域許可をもらわなくてはならず、
途中図書館が見たくなって、バスで行ったらよいものを、
歩いていきたいという私に、にこやかによっぴーさんは付き合ってくれたのでした。
74-2
1時間ちょい歩いて、許可をもらって
そこからバスを2回ぐらい乗り換えて1時間半ぐらいでクネイトラ。
とにもかくにもアラビア語が読めなくって
セルビス(乗り合いタクシー)の乗り方もままならず
一人だったら完全路頭に迷っていたところを
よっぴーさんがテキパキとナビゲート。
クネイトラに到着して、
ガイドのおっさんとセルビスのおっちゃんが結託して
特別に車付きのガイドだから
300円払え!と言ってきたところを
100円に値切ってくれて、
ありがたいことでございました。
74-3
さて、このクネイトラ。
クネイトラに限らず、軍人率が高くって普通に銃構えてます。
そして、クネイトラに入ると
カジュアルな普段着で銃構えてます。
この人たちは、本気になればズドンといけるんだーとうっすら思いつつ入域。
警察とか国境とかは写真NG。
瓦礫が延々と続くのです。延々と。
蜂の巣になっていたり。
これ・・
今は瓦礫と砂埃だけど
その当時は人もいてすんごく血生臭いことになってたのかもと考えると
ほんとすさまじい。
もしこの写真をイスラエル国境で見られたら入国できないだろうねーなんてな感じで。
よっぴーさんに教えていただかなければ知らなかった地でした。
行って良かったです。
74-4
そして今日はシリア抜けをしなければいけない日でもあり、
ここまでの行動は、バックパックをガラガラ運びつつ。
クネイトラのバスターミナルでは預けられたけど、重いー。
そして、次の国、ヨルダン行きのバスの出発時間と
クネイトラからバス乗り場に着いた時間がほぼ同じ。
よっぴーさんとのお別れのあいさつもそこそこに
バス会社の人に「マイフレンド ハリーアップ~」って言われて切符手配して
無事乗れました。
これを逃したら、乗り合いタクシーだったからねー。
でも結局30分ぐらい遅れて発車したんだけど。
74-5
そそくさと空席に移動して
爆睡しつつ、
出入国を済ませ、
4時間ってガイドに書いてあったけど6時間ぐらいかかって
21か国め ヨルダン・アンマン到着。
あんなに緊張したのにシリアあっという間に抜けなきゃならないとは・・・
セクハラ攻めには遭いましたが、
もっとじっくり訪れてみたい国です。
その時はきちんと日本でビザとるぞー。
74-6
アンマンは真っ暗で
宿まで行くにはちょっと心もとないのと
偶然、共にシリア入国をした男性がバス一緒だったのでタクシー割り勘で
宿近辺へ。
何回か人に聞いてようやく到着。
マンスールホテル。
別名コーダホテル。
イラクに行って亡くなった香田さんにちなんで名づけられた宿で
お客さんほぼ日本人。
カッパドキアもそうだったけどほっとしつつ、
甘えていられないと思いつつ。
つくづく色んな人がいるなーって感じです。
あー、疲れたー
腰も若干やられ気味。
明日はちょっと休もう。
74-7
食:クリームパン
サンドイッチ・コーラ・ポテト
ウエハースチョコ・ジュース
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