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2010-2011 カタギ-ヒトリタビ-ニート

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2010-11-11 08:17:53 | ヨルダン/イスラエル
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朝食を済ませて、死海へ。

6人なのでタクシー割りカンで、ドライバーと交渉していたら
宿のご主人が通りかかり、紹介してくれる。

結局、違うタクシーを呼ぶことになったのだけど、
最初に話していたドライバーも「家族だから」と笑顔。

この交渉の間も、ご主人に対して、
近所の人たちが挨拶をされていたり、お恵みを与えていたりと、
暖かい人柄が伺えるのでした。

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本日のメインテーマの一つ目は、死海。
ヨルダン側からも入れるのですが、
どうやらイスラエル側の方がリゾート地としてよいらしいのです。

泥パックを塗りたくり、
新聞読んだり、バナナ食べてみたり
お約束のポーズをとってみる。

夕方はちょっと冷え込みますが、
昼間は完全なる夏の気温。

ホント浮力がものすごいです。

浅瀬なのに足がつかずに溺れもがきつつ。

そりゃ生物生息できないよ。

死海だよ。

いやー、快適だったー。

旅で汚れた体も、塩消毒できたに違いない。

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ここで、温泉にも入って、アイスを食べて今日は終了!
あとは昼寝!

・・っていきたいところではあるのだけれど、

ヤド・ヴァシェムという「名前の記憶」と名づけられた
ホロコーストの博物館に行って来ました。

アウシュビッツ同様無料。

アウシュビッツは、もちろんユダヤ人虐殺のシンボルとした上で、
ポーランドの見解が踏まえられていたけれど、
迫害されたユダヤ人の国とも言えるイスラエルで
どのように展示されているか見ておきたかったのです。

見学が夕方だったので、
閑散としていて怖いかもなーと思いきや
勉強会のツアーもちらほら見えて、
結構な人でした。

第1次世界大戦が終わって、ヒットラーが出現し、
ヨーロッパの各国で迫害がはじまり、
収容所が出来て・・と、時系列での説明と共に、
亡くなられた方の遺品や肖像が展示されています。

アウシュビッツとの大きな違いは、
映像媒体がとっても多いのです。
ヒットラーの演説、それに興奮する洗脳された群衆。

自分で墓穴を掘らされ、整列させられて銃殺される映像や。
当時者の証言。

これ、私今年の終戦記念日近辺のNHK番組で
最新の技術でカラーで見ていて、
あの時も見てられなかったけど、
イスラエルで再びみて、きちんと見なければと思ったりもしました。

日本も同じようなことをしていたのにね。

ヤド・ヴァシェムは、一見モダンな美術館と見まがうほど
広大な敷地に建てられていて、

メインの建物を抜けると、
途中子供達を偲ぶメモリアルホールがあって(5時までで今回は見られず残念)
出口までの間、
自分なりに考えてみなさいと言われているかのような
ちょっと長い道のりがあるのです。

今回時間の関係で駆け足の見学だったのだけど、
もう1回といわず、勉強してまた来ようと思ったのでした。

今度は父母を連れて。

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宿のご主人に紹介していただいた、タクシーの運転手さんが
お水や軽食を差し入れてくれたり、
こちらの要望をイヤな顔一つせず、受け入れてくれて、
明日・明後日もサービスしてくれるのでした。

ユダヤ人地区にある、ヤド・ヴァシェムからのタクシーは
アラブ人地区にある、宿まで入れないからと
待っててくださったり。

これだけでも充分なのに、
お茶を飲まないかと、ご自宅に招待してくれてご家族を紹介していただきました。

なんでこんなに温かいのかもうよくわかりません。
私には出来ないなーと思いつつ、
本当にイスラエルに来て良かったー。

一緒に行くよー>父母。

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夕飯は旅仲間特製のカレーライス。
日本のカレーライス。

もう、美味しくて幸せでしたー。

その後は大富豪大会。

8流しとか、スペードの3とか、
私の界隈のルールには無かったのでっていうのは言い訳だけど、
せいぜい富豪レベル。

明日は是非ドボンを伝授したいところです。

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旅仲間に血液型を聞かれ、
「Aなの?」みたいな反応。

やっぱりね。いつものことです。

ありがたいことに、私の協調性の無さを
面白がって頂けているような気がします。

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今回は、ヨルダンの宿に大きな荷物を置いて移動。
デジカメの充電器を置いてきたもんで
写真が少なめ。

まずったー。

息も絶え絶えながらなんとか持ちこたえております。
もう少しの辛抱だー。

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食:宿の朝食・パン・紅茶
  ビスケット
  カレーライス