北岳山麓合唱団

ソウルジャパンクラブ(SJC)の男声合唱団です。毎週火曜日、東部二村洞で韓国の歌と日本の歌を練習しています。

あなたの声(クデウンソン)の世界

2013年12月10日 22時53分53秒 | 合唱

今年、歌った曲で、あなたの声(그대 음성、クデウンソン)はひときわ思い入れのある曲です。

韓国においても歌われる機会があまりない曲で、我々が今後、この曲を歌ったり、あるいはラジオやコンサート等で耳にする機会も少ないでしょう。そこで、今日はこの曲の歌詞をもう一度ひもといて、この曲の曲想に迫ってみたいと思います。

この曲は韓国の女流詩人高静煕(1948-1991、コ・ジョンヒ)の詩にメロディをつけたもの。歌詞では、高静煕詩人による本来の詩から幾つかの省略や変更がありますが(私が合唱団の皆様にお渡しした、訳詩は本来の詩によるものです)、ここでは歌詞にそって、詩の内容を見ていきましょう。


まず全てのパートによる幻想的なハミングがあり、続いてテナーとセカンドテナーを中心に導入部が歌われます。

새벽 달빛에 덮인 아득한 꿈 하나 일으켜 세우고 어두운 강줄기 흐르는 곳에 갈잎 돛단배를 띄웠습니다.
夜明けの月明かりに包まれた、遥かな夢を引き寄せて、暗いひとすじの川の流れに、落ち葉舟を浮かべました。

(真夜中の夜空を燦々と照らす月明かりではなく) 夜明けの、すべてを包み込むような、やがて消え行く優しい月明かり。そんな光に包まれた、遥かな夢をたぐり寄せて、暗いひとすじの川の流れに、落ち葉舟を浮かべるのです。

遥かな夢とは何でしょうか?暗いひとすじの流れに落ち葉舟を浮かべたのは、誰でしょうか?

 

어두운 강줄기 흐르는 곳에(おーどぅうん かんちゅるぎ ふるぬん ごせ)は全てのパートで重厚に歌われ、「暗いひとすじの川の流れ」は、後にこの歌全体をつらぬく重要なモティーフとなります。

実のところ、繰り返し部分でバスだけは別の歌詞となり、「ひとすじの水の流れ」ではなく、「夢の流れに」と歌います。夢が流れて来て、そして流れ去るところです。実際には他のパートにかき消されて、ほとんど聞き取れないのですが、隠し味はバスの大切な役目ですね。

 


短いピアノ間奏を経て、曲のテンポが速まり、やがてこの曲の主題が提示されます。

우주가 주저앉는 저 물굽이 먼 곳에 가라앉는 그대 음성.
宇宙が沈む、あの曲がりくねる川。遠くに沈むあなたの声。



宇宙をも吸い込んでしまう水の流れ。遥か彼方で、「あなた」の声が沈んでいきます。「あなたの声」が何であるか?この段階では分かりませんが、バリトンとバスは、クデ、クデ(あなたの、あなたの)と連呼しながら、「あなた」に関する幻想の世界を3つ提示します。

그대 음성 속에는 늘 물망초 꽃벌판 희게 흔들리고
あなたの声のなかでは、いつも忘れな草の花々がかすかに揺れて、

그대 음성 속에는 늘 미루나무 숲이 울고 음악이 부서지고
あなたの声のなかでは、いつもポプラの森が泣き、音楽が砕け散り、

그대 음성 속에는 늘 폭풍우 치는 밤
あなたの声のなかでは、いつも嵐が吹き荒れる夜



揺れ動く忘れな草の花々。泣き叫ぶポプラの森。そして吹き荒れる嵐が、全パートの重唱で歌われる部分は、この歌の音楽的なクライマックス。

当日のコンサートでは、パート間のテンポが乱れたような記憶もありますが、曲想を考えると、この部分のテンポの乱れは一つの幻想錯乱表現として許されると思います。

 

最終的にメロディはますます加速し、とうとう「あなたの声」の正体に対する暗示がなされます。

폭풍우 치는 밤의 어머니 내게 달려와
嵐が吹き荒れる夜、お母さんが私に向かって走りよってくる。

吹き荒れる嵐のなかで、テナーとバスが、オモニ、オモニ、オモニ(お母さん、お母さん、お母さん)と呼び叫ぶなかで、ついにお母さんは私に向かって走りよってきます。

詞は「走ってくる」ですが、音楽としては、フォルテシモから徐々に消えゆくように、ゆっくりと歌いあげました。呼びかけに応え、嵐の中から私に向かって走ってくるのですが、それでも、母と私は交わることなく、そのまま空に消えていくのです。

 

曲調はフォルテシモからピアノへと一転し、テナーとセカンドテナーがオヨガー(さあ、行きなさい)と朗詠するなかで、バリトンとバスによって、最後のテーマが提示されます。

갈잎 돛단배 위에 나의 생애를 실어 손 흔들어 줍니다.
落ち葉舟の上に私の一生涯を載せて、手を振ってくれます。

어여가, 어여가, 어여가...
さあ、行きなさい。さあ、行きなさい。さあ、行きなさい....

この部分でキーポイントとなるのは、손 흔들어(手を振りながら)です。「そん、ふんどぅろー」の最後の部分を、バスが同一の音程で歌い続けるなか、セカンドテナー、バリトン、そしてテナーが重唱的に「ふんどぅろー」と歌い継いでいくのですが、絵画の遠近法を見ているよう。この部分で聞き手は、作者である「私」が、手を振る「あなた」から次第に遠ざかっていっていることを悟ります。

この曲の最後は、「あなた」から「私」に対する別れの声。やがて惜別の声も聞こえなくなると、全パートによるハミングとなり、ふたたび冒頭の幻想の世界に舞い戻るのです。

 

私を含め、合唱団の中にもコンサート直前にお母様をなくされた方がいらっしゃいましたが、亡き母をテーマにした、実に味わい深い歌だったと思います....。

機会があれば、ぜひもう一度、歌ってみたいですね。