韓国は現在、陰暦の旧正月連休。ところで、日本のお正月と韓国のお正月の違いは何でしょうか?
私の考えでは、日本のお正月は新しい年を祝うお祝いの日。一方、多くの韓国人にとっては、一族総出で祖先に対する祭祀を執り行う、一大イベントの日。韓国では「民族大移動」などと呼ばれますが、祖先への祭祀を行うために多くの人はそれぞれの本家に帰省します。
韓国の人口のおおよそ半分はソウルとその周辺に集中しているので、ソウルから地方に向かう高速道路は大渋滞。鉄道はよほどの努力をしないと事前予約できません。
もっとも、これはあくまで原則論。逆帰省(역귀성)といって地方から逆にソウルに上京する人や、キリスト教関係者を中心に祭祀を行わない人。国内や海外に旅行に出かける人。ぶらぶらしていて、結局、何もしなかったという人。
だから、「韓国人はこうだ!」と一言でかたずける訳にはいきません。昔の韓国社会を知る私から見ると、今の韓国社会は本当にバラバラで、社会から求心力が無くなっているのです。
ふだんは大勢の人でにぎわう裏通りの市場もこのとおり閑散としています。
そんな中でも営業しているお店もあります。まずは餅屋さん。お正月にお餅を食べるのは韓国も一緒。
それから果物屋さん。といってもリンゴと梨しかありません。よく見ると、日本ではなかなか見られない大玉の立派な梨ですね。リンゴも立派ですが、それもそのはず。これは祭壇へのお供え用です。ちなみに見栄え抜群の梨ですがお味の方は、やや大ざっぱ、まるで韓国社会の縮図です。
あと、故郷の本家へのお土産もこのとおり。
お正月は新しい一年が始まる日。一族郎党が本家に集まり、一族の無事平安を祈って祖先をお祀りします。日本とずいぶん違うでしょう。
前から見るとこんな感じ。韓国語では차례상(チャレサン)と言いますが、魚東肉西(魚は東、肉は西)というふうにそれぞれの方角や配置が厳格に決められています。
チャレサンの配置。上が北です。御膳の並べ方は韓国人にとっても頭の痛い問題で、お魚の向きも決まっています。
日本の仏教風習と似ているようで大きく異なるのは「仏壇」らしきものがなく、仏様(仏像や仏画)がいないこと。韓国は日本とは違う国だという当たり前の現実を改めて認識させられます。中央に位牌らしきものが見えますが、これは神位(シンウィ、신위)と呼ばれるもので、ここに祖先の霊魂が宿るとされます。
日本の場合、位牌には戒名を書くのが普通ですが、韓国の神位には、その人が生前、官位があった場合は「国会議員」、「判事」(法曹人の場合)という感じで官位を記載し、官位が無かった場合は「学生」と書きます。それから神位に故人の名前を書くのは、故人が喪主より若い人の場合。通常は喪主より年上ですから、「府君」とだけ書きます。
ナニ?民間企業の社長はどうするか?ですって!本来は官職の有無で神位を区分するのが原則です。ただし、現代社会では官職以外でも社会的に重要な地位があるので、「○○商事会長」とか「○○製薬社長」と書いている場合もあるようです。
韓国人にとって官職や肩書きは重要。それがなければ、死んだ途端にただの「学生」サンとして永遠に祀られてしまいます。もっとも、ここで言う学生とは、(官職にはつかなかったけれども)学問を学んだ者であるという意味。何も大学生だと言っている訳ではありません。考えてもみれば、戒名という制度もよく考えたもの。生前に失敗があっても立派な戒名を頂けて、あの世ではその戒名で永らく生きていくというのですから....
多くの韓国人女性にとって、盆正月はストレスです。というのも、配置や魚の向きに至るまで細かい規則だらけのチャレサン準備や目上の人や親戚への挨拶、お姑や一族の同性の人とのつきあいやらなにやらで、正月連休とは名ばかり。現実的には一年で一番、忙しく神経を消耗する時期だからです。(とりわけ長男の配偶者は高度なリーダーシップ(?)の発揮を期待されます。)
ただ、それも今は昔。今ではチャレサン代行業といって、チャレサンを代行してくれる業者に依頼する家庭が増えています。面倒なことは業者にまかせて、旅行にレジャーにと、お正月の連休をたっぷりエンジョイしようというわけですね。事前に適当な言い訳をして集まりを欠席し、さっさと海外に出かける人も。仮にこれが長男の一家であった場合は一族を巻き込んだ深刻な兄弟喧嘩に発展する可能性があります。美しい家族愛の話がテレビやラジオでよく紹介される反面、周囲でよく見聞きする今の韓国社会の厳しい現実です。
それでも、今なお多くの韓国人にとって、盆正月は一族の結束を確認する重要な機会です。ただ、お正月の連休を家族で、あるいは仲の良い友人たちと一緒にエンジョイしようという人が非常な勢いで増えており、一族の結束という韓国の伝統的な価値観が急速に崩壊しつつあるのが昨今の流れです。
私も何度か韓国人のご家庭からご招待にあずかりましたが、私が韓国の大家族制を直接体験し、見聞きした最後の世代では....。大勢の見知らぬ親族の方の中で、正直、戸惑いましたが、それでもたった一人の日本人である私を客分として歓待してくれました。一族のご先祖様代々、そして最年長の方に全員一緒にご挨拶したことも、良い思い出です。時代の流れというとそれまでですが、こういった風習がみるみる風化していくのはさびしいことです。