建武年間、越中の人。
南北朝期の刀工である。
呉服江則重の子。
郷義弘は越中松倉郷に在住したことから「松倉郷義弘」略して「郷義弘」或いは「郷」と呼ばれている。「郷」と「江」の音が相通じるため天正以来「江」の字で呼ばれている。
相州正宗の門人といわれ、正宗十哲のひとりに数えられている。
在銘確実のものを見ず、すべてが大磨上無銘である。
徳川時代には、相州正宗・藤四郎吉光と並び三作と称され珍重された。
享保名物牒では11口にもおよび、富田江・稲葉江は群抜いて評価が高い。
諺に「江と化け物は見たことがない」とある。
有銘で確実なものはなく、無銘のものですらきわめて少ないこともあるが、一般の士では生涯お目にかかることはないほど貴重なものであるという意味もあるのではなかろうか。
南北朝期の刀工である。
呉服江則重の子。
郷義弘は越中松倉郷に在住したことから「松倉郷義弘」略して「郷義弘」或いは「郷」と呼ばれている。「郷」と「江」の音が相通じるため天正以来「江」の字で呼ばれている。
相州正宗の門人といわれ、正宗十哲のひとりに数えられている。
在銘確実のものを見ず、すべてが大磨上無銘である。
徳川時代には、相州正宗・藤四郎吉光と並び三作と称され珍重された。
享保名物牒では11口にもおよび、富田江・稲葉江は群抜いて評価が高い。
諺に「江と化け物は見たことがない」とある。
有銘で確実なものはなく、無銘のものですらきわめて少ないこともあるが、一般の士では生涯お目にかかることはないほど貴重なものであるという意味もあるのではなかろうか。