月下に杯を重ね

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堀川國廣

2006-01-11 22:05:23 | 刀工
 慶長年間、山城國の人。
 旅泊と号す。実忠の孫、あるいは門人か。藤原國昌(田中國昌)の子ともいう。
 明寿とともに、新刀鍛冶の祖といわれる。
 日向國飫肥の産で、伊東家で作刀した。
 伊東家没落後は、各地を回りながら鍛刀し、晩年に京一条堀川に定住。
 多くの優秀な弟子を排出したことでも知られる新刀初期の名工である。
 その門下には、
  國安(國廣弟)
  越後守藤原國儔(國廣甥)
  和泉守國貞(初代)
  初代河内守國助(ソボロ助広の師)
  石見守國助(初代河内守國助の弟)
  阿波守在吉
  山城守國清(初代)
などがいる。
 また、和泉守國貞(初代)の子である井上真改(和泉守國貞二代目)も一門といってよいだろうか。

 彫り物が巧みで、國廣一派の彫り物を俗に堀川彫りと呼ぶ。
 埋忠明寿一派の埋忠彫り、越前康継一派の越前彫りと並び、初期新刀に見る彫り物の代表的三派である。
 銘は「日州古屋住國廣作」「信濃守國廣」「洛陽一条住國廣」「國廣」「洛陽一条堀川住藤原國廣造」。

 豊太閤供養のため北野天満宮の再造営を行った際、豊臣秀頼の依頼によって作刀した太刀が同社に現存している。
 また、秀頼が寄進した國廣刀は、高野山金剛峯寺にも現存する。