月下に杯を重ね

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正宗十哲(まさむねじってつ)

2006-02-21 13:50:26 | 日本刀
 来國次(らいくにつぐ)      正応年間(1288-1293)、山城の人
 長谷部國重(はせべくにしげ) 延文年間(1356-1361)、山城の人
 志津兼氏(しづかねうじ)    元応年間(1319-1321)、美濃の人
 金重(きんじゅう)        元応年間(1319-1321)、美濃の人
 郷義弘(ごうよしひろ)      元応年間(1319-1321)、越中の人
 則重(のりしげ)         嘉歴年間(1326-1329)、越中の人
 直綱(なおつな)         建武年間(1334-1338)、石見の人
 兼光(かねみつ)(二代目?)   延文年間(1356-1361)、備前の人
 備前長船長義(ちょうぎ)    延文年間(1356-1361)、備前の人
 左(さ)              元応年間(1319-1321)、筑前の人

 正応年間から嘉暦年間(1288~1329年)にかけて相模の国で活躍した正宗(通称相州正宗)の弟子といわれる刀工十名だが、年代からみてその弟子とはなり得ない人間も含まれている。また、貞宗のように、正宗の直弟子であることが確実視され、かつその後継者であると目される人物の名がないのは奇妙な話である。
 後の世の人の創作であろうか。
 十哲に名を連ねる人の基準はおもに正宗の作風である相州伝を継承しているかにある。
 しかし、中には兼光のように作風までも相州伝とはほど遠い刀工も混じっている。なお、件の兼光であるが初代・二代は同一人物との説もある。
 則重に関しては、室町時代の刀剣書に正宗の相弟子とあり、正宗の師である新藤五國光の門人であることがわかっている。

長谷部國重

2006-02-20 01:15:54 | 刀工
 建武文和・延文年間、山城の国の人。本国、大和。
 千手院重信の子、長兵衛。
 南北朝時代の山城京五条坊門猪熊に在住した名工。
 彼の作刀には文和四年(1355年)・延文二年(1357年)等の年紀がある。
 正宗十哲の一人に数えられ、作風は前時代までの京風とは一線を画し、相州風をよくする。
 同時代の相州鍛冶、広光・秋広に似通っているが、乱込んだ帽子が相州伝ほど尖らないなど独特の特徴を持っている。
 銘は「長谷部國重」。
 在銘の物はほとんど存在せず、大磨上の物が多い。
 名物「へし切長谷部」も大磨上で本阿弥光徳が長谷部國重と鑑定し金象嵌を施した物である。

関連
 正宗十哲
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 記載済み刀工 目次

備前長船長義(ちょうぎ)

2006-02-20 01:00:05 | 刀工
 延文年間、備前国長船の鍛冶。
 銘は「備州長船住長義」。
 長船派は鎌倉中期に名工光忠の出現により俄に栄えた流派であるが、この長義(ちょうぎ)は光忠を祖とする主流派でなく、別派の異色の刀工である。
 古来より「備前物中最も備前らしからざるもの」とされている。
 それは作風が相州鍛冶のそれであるからと思われ、正宗十哲の一人と数えられる所以とも言える。
 しかしながら、年代的には長義は正宗よりもやや時代的に下る。
 長義の兄に長重がおり、長重の作刀には建武年紀(1334~)のものが現存する。
 長義においては延文年紀が最古となり、時代的に見ても正宗とのつながりはむしろ長重と考える方が妥当ではなかろうか。長義は長重を介して相州伝を会得したと考える方が自然であろう。
 作刀は短刀が多く、太刀はまれである。なお、まれと言われる太刀は現存し重要文化財に指定されている。

加卜(かぼく)

2006-02-12 22:48:35 | 刀工
 正保年間、武蔵の国の鍛冶。
 大村治部左衛門安秀。
 本国は駿河。はじめは、医師として越後松平家に仕えていたが刀鍛冶に転身した。
 水戸と江戸の鉄砲州で鍛刀している。
 元禄十七年没。
 銘は「越後幕下士大村加卜慰作之」「真十五枚甲伏造」、初銘「義博」「義秀」。


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