月下に杯を重ね

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新藤五國光

2006-01-13 10:39:26 | 刀工
 相模國鎌倉在住、正安年間の人。
 相州正宗の師といわれている。
 一説には粟田口國綱の老後の子供と伝えられるが、年代的な隔たりから疑問の残るところである。
 法名は光心。
 
 年紀として「鎌倉住人新藤五國光作」裏に「永仁元年十月三日」とあるものがあり、作刀に見る年紀としては最も古い(永仁元年は1294年)。
 太刀作の現存は少なく、もっぱら短刀であり、秀作も短刀に多い。
 短刀作りの名手、古今を通じ粟田口藤四郎吉光と短刀の名人の双璧とたたえられている。
 國光は一人ではなく、その子國重・國康・國廣(二男)は皆「國光」と銘したといわれる。
 しかしながら、國廣以外はその作刀が明らかではなく「國光」銘の区別も付かない。
 また國光の子の中には、幼くして日光山の法師になり後に下山して鍛冶となった大進坊もいる。
 銘は「國光」「鎌倉住人新藤五國光作」「鎌倉住新藤五國光法名光心」。
 
 門人に、行光・則重・正宗の三工がおり彼らが相州伝を大成した。
 國光が刀剣の歴史に残した影響は計り知れない。

 名物
  会津新藤五