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水心子正秀(すいしんしまさひで)・鈴木三郎宅英・秋元家臣川部儀八郎藤原正秀・英國・水心子正日出・天秀

2006-01-22 14:45:53 | 刀工
 享和・文化年間、武蔵の国で作刀。
 羽前山形の秋元但馬守家の藩士で、川部儀八郎という。
 寛延三年赤湯で生まれ、後に武州下原派の刀工吉英に師事し鍛刀の技を修める。
 初銘を「鈴木宅英」または「宅英」と切り(「英國」も初銘の一つとする説もあり)、安永三年に正秀に改めた。
 山形と江戸の間を往復したが、やがて江戸の浜町に定住し浜町老人などと称したという。
 正秀の音から「正日出」または「正日天」などとも切り、水心子(水心子)の他に「水神子」と切った物もある。
 文政元年子の貞秀に「水心子」の号を譲り、銘を天秀と改めた。文政八年七十六歳で没。
 銘を頻繁に替えたのは贋作対策であったといわれている。
 
 相州・備前の両伝に通じ、復古刀論を唱える。
 初期の大坂新刀を写したものに優品がある。彫り物は門人の本荘義胤の手によるものが多い。

 その思想は、門下の大慶直胤の元で大きく開花した。
 啓蒙性に優れ諸国に多数の弟子を持った。
 婿に水心子秀世がいる。
 新々刀最上作。

 銘は「鈴木三郎宅英」裏銘「真十五枚甲伏」、「英國」「水心子正秀」「秋元家臣川部儀八郎藤原正秀」「」「水心子正日出」「正秀作」「天秀」。

 この項は信頼に足る資料を筆者が手にしていないため、風聞により書く。したがって、決定稿ではなくあくまで参考としてみてもらいたい。
 甲伏の刀は量産は容易だがもろく、実用に耐えないという。
 宅英時代の裏銘の「真十五枚甲伏」はかなり気になる部分である。
 正秀門下の大慶直胤は真田家の試しにより実用に耐えないほどにもろく切れないことが暴露されたという。
 もろく切れないのは正秀一門について回っている特性なのか。

 研ぎ師の本阿弥日洲氏は、新々刀は刃味という点では清麿をのぞいてあまり良くなく、大慶直胤などは切れない方の刀で、帰って無銘工のものの方がよく切れるものがあるかもしれないというようなコメントをのこしていることを考えても、新々刀という時代そのものが刃味よりも見栄えを重視していたといえるのではなかろうか。
 
 文政九年?に「刀剣実用論」を著し、鎌倉から吉野朝時代の豪壮な作風の太刀姿を理想とする刀剣の復古主義を世に広めたことで有名とのこと。
 なお、文政八年歿は複数の資料で確認が取れているので文政九年が誤りか、はたまた他者の功績か。刀剣実用論についてふれている筆者の手持ちの資料が一冊のため確認が取れずにいる。情報をお持ちの方はお寄せいただきたい。

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源清麿・源正行・山浦環正行・一貫斎英壽・(四谷正宗)

2006-01-22 01:38:31 | 刀工
 弘化年間、武蔵の国の人。
 江戸時代後期に登場した天才刀工。
 信州小諸赤岩村の郷士山浦信風の二男として生まれる。
 内蔵助環(くらのすけたまき)といい、号を一貫斎と称した。
 はじめ、兄山浦真雄(やまうらさねお)とともに上田の藩工河村寿隆(かわむらとしたか)の門に学ぶ。
 最初の作刀は兄との合作の脇差で、文政十四年十八の時と言われる。
 初銘を「正行」と切り、次いで師である寿隆が自分以上の才能があると見込んで与えたと言われる「秀寿」を切ったが、「秀寿」銘は天保五年に一度切ったのみと言われる。
 天保五年(六年とも言う)に武士を志し江戸に出、幕臣の軍学者窪田清音(くぼたすがね)の門に入り剣を学んだが、清音は刀鍛冶師としての逸材と知り、後援をし刀鍛冶師として世に送り出した。
 もともと兄真雄は、一流の剣士で武器目利きにこるも満足のゆく刀に中々出会えず、自らが槌を取り刀を鍛える以外にないと転身した異色の刀鍛冶であった。そのような真雄に幼少から仕込まれた清麿の剣は、一級であったといわれている。その剣の道を断念させてまで刀鍛冶に戻させた清音は、まさに慧眼の持ち主であったといえよう。
 天保十年、清音の肝いりで武器講を作ったが、結局「武器講一百之一」を作ったところで、二は出来ずじまいであった。清麿謎の失踪である。その後、江戸に戻り再び舞い戻り寡作ながら優れたものを残した。
 
 正行が清麿と改名するのが、弘化三年でこの年の作刀には、正行銘・清麿銘の両方が存在する。
 
 清麿はその居住地にちなみ、四谷正宗と賞賛された。
 しかしながら、安政元年十一月、四十二歳で自刃しこの世を去る。
 酒毒に犯され腕が利かなくなったためとも言われるが真相はわかっていない。
 作風は相州伝に限られるが、豪壮なものが多く刃文は大互の目乱・互の目丁子にて砂流し、金筋がかかる。特に金筋の絶妙さは到底他工の及ぶところではない。
 また大慶直胤とは異なり、その切れ味の鋭さにも定評がある。
 
 銘は「山浦内蔵助英壽」「源正行」「山浦環正行」「源清麿」「清麿」「一貫斎英壽」。

 現在、その峻烈な生涯もあり異常なほどの人気を誇っている。


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