街のあちこちで新しいカバンがまぶしい、4月。私にとって最も環境変化の大きかった4月は、大学に入ったときだ。初めての一人暮らし、初めての共学、初めて住む東京以外の場所。知り合いは一人もいない。知っているお店も一軒もない。でもまあ、なんとかなるだろう。まるで他人の引越しを手伝うような気持ちで、リアカーを引いた。
入居したのは、大学の宿舎だった。学生宿舎と言っても、普通のアパートのような造りで、基本的には個人の暮らしが確保されていた。台所とランドリーとトイレは共同で各階にあり、夜さっさと閉まってしまう風呂や食堂などは別棟にあった。カビ臭い部屋には、小さな洗面台と、鉄パイプのベッドと事務用机とロッカーがあり、灰色の独房然としていた。それでも、自分の城には違いなかった。家賃、月1万3百円也。
人間の適応能力というものは、なかなか高いものだ。部屋中に現われるダンゴムシにも、勉強中のノートを平気で横切っていくアリにも、あっという間に慣れてしまった。はじめは夜中のトイレでムカデに会うと、すごすごと部屋に戻ったりしていたが、そのうち気にならなくなってしまった。体育専門の元気なお姉さんたちに気圧されながら大きなお風呂に入るのも、楽しかった。天井の水漏れも水道管からの異臭も、「生活上の問題を自分で解決する」という冒険心をくすぐった。
ところで、大学入学前に、先輩の作った「生物学類マニュアル」なるものが送られてきていた。宿舎に関する説明には、こんな文章が載っていた。「昔の生物学者は『箱の中に汚れたシャツと小麦を入れ放置すると、ネズミが発生した』と言った。宿舎では『三角コーナーの中に野菜屑と食べ残した物を入れ、五日でショウジョウバエが発生した。』自然発生説を信じた、いにしえの生物学者の気持ちになれるのである。」これほど私の不安を煽った情報はなかった。
そこで、共同台所へのデビューは少々躊躇われた。しかし、そうそう外食ばかりしているわけにもいかないので、私も料理を始めることにした。台所は狭いので、自分の部屋で材料を切ってフライパンや鍋に入れて、廊下を歩いて行く。私の作ったほぼインスタントの麻婆豆腐と、ご近所のよりちゃんの味噌汁をバーター取引した。悪くない。ところが、台所の清潔さ以前に問題があった。
実はそれまで私は、ほとんど料理をしたことがなかった。リンゴは剥けた、ケーキは焼けたが、お米は炊いたことがなかった。母が台所に立っている間、まともに手伝いなどしたことがなかった。仕方ない。今まで食べてきたものを思い出して、やってみるしかない。レシピを見ようという発想すらなかった。
自炊を始めてまもなく、ほうれん草のソテーを食べようと思い立った。できあがったものは、よく洗っていないために泥臭く、ちゃんと切らなかったために麺のように長く、やたらと水っぽい「緑色の何か」だった。ずるずると音を立てて、劇的にマズいほうれん草を1把すすりながら、母のありがたみを、初めて心の底から感じた。
宿舎には、月に2、3度「シーツ交換日」というのがあり、交換所に持って行くと枕カバーやシーツを洗濯済みのものにしてくれた。ある晴れた日、シーツを抱えて行って、交換所のおばちゃんと立ち話をした。私が辛気臭い顔をしていたのか、おばちゃんは、からっと言った。「闘うっきゃないのよ!」いい笑顔だった。それは、決して悲壮な叫びではなく、現実がどんなであろうと、とにかく前へ進めという、明るい励ましだった。
あのおばちゃんのことを思い出すと、なぜか私の頭の中には「ルスランとリュドミラ」の序曲が聴こえてくる。クラリネット吹きの麻衣ちゃんは、確か小学校の掃除の時間のBGMがこの曲だったと言っていた。かなり激しいお掃除だったんじゃないかと想像する。オペラは滅多に上演されないのに、この序曲だけは人気がある。弾けもしないのに一度だけアマオケに混ぜてもらったとき、私はこの曲の持つ力に、妙に納得した。有無を言わさぬ前進力のある曲だ。ヴァイオリンが弾けようが弾けまいが、とにかく前へ前へ進んで行く。それが心地良いのだ。
生活は進んで行く。どんなところで始めた生活でも。どんな状況であっても。たとえ料理がヘタクソでも。「闘うっきゃない」。だったら、「ルスラン」の序曲のように、意気揚々と進みたい。
今は二人が、比較文学&教職志望の大学4年生と、医学専攻2年生で、学生宿舎を追い出されて、アパートに移り住みました。今後どうなるかが楽しみです。
というのも、息子の某大学の修士2年目が就職が筑波に決まり、医学専攻3年生と同居するかも…
人生面白いモノです。
リヤカーを、我が家も使いました。
ルスランとリュドミラ、耳に聞こえる気がします。
筑波大学4年生の娘のオーケストラの今月の定演は、カルメン組曲です♪