昨日、日本詩の読書会で島崎藤村の詩鈔を読んだ。有名な「初恋」を久しぶりに声に出して読みながら、中3の国語の授業を思い出していた。そして当時、音楽の授業で歌っていたシューベルトの「主はわが飼い主」を懐かしく思い出して、今、CDを聞いている。
先日企画した中高の同窓会に、高1のときの担任・寺澤先生がいらしてくださった。私は中学3年から高校3年まで、先生に国語と古文を教わり、漢文の最初の手ほどきもしていただいた。「文語の美しさ」に気づかせてくださった、恩師である。藤村の「初恋」が登場したのも、寺澤先生の授業だった。
教科書に載っていたこの詩は、中3の私にとっては、竹取物語と大差ない「古いことば」であり、語句と文法の解説を聞いてやっと理解できるような世界だった。しかし、とびきり素敵な宿題が出た。それは「意訳と想像をまじえた作文」と書かれた1枚のプリントで、第一連のところに先生の書いた例文があった。私は、やっといくつかの単語がのみこめた程度なのにもかかわらず、とにかくできる限り想像をふくらませて、紙を真っ黒にして提出した。想像というよりむしろ、妄想と呼べるほどの文章だった。
次の授業で、いくつかの作文が紹介された。先生は書き手の名前を一切出さずに、淡々と読んで下さった。私の書いたものが読まれると、その微に入り細を穿つ内容に、クラスメイトは「誰だよ、これ書いたの…?」と苦笑する。私は最後まですっとぼけていたが、一緒に同人誌を作っていた仲間たちは「あれはぜったい牧菜だと確信した」らしい。いずれにしても、文語の響きとニュアンスを自分なりに感じ取り、好きなだけ想像力を羽ばたかせて良いのだと、その日私は気づいた。
ところで、現代の日本の子供達が最初に接する文語は、おそらく文部省唱歌ではないかと思う。私にとっては、学校や教会で歌う讃美歌だった。小学生用の讃美歌集にも、いくつか有名な「大人の」讃美歌が入っており、これが基本的に文語体だった。説教中に取り上げられるなどの理由がない限り、解説は一切なしだ。まったく訳もわからないまま歌っていた。
「などかはおろさぬ おえるおもにを」「おのがさちを いわわずや」「あめよりくべしと たれかはしる」「いましきます あまつきみ」「いそぐひあしは やよりもとし」ひらがなだと、まるで何かの呪文のようだ。さらに、西洋音楽のメロディーの「音符一つに、文字一つ」が割り当てられているので、語句の切れ目すらわからない。高校生になっても、朝の礼拝で「われはげにも幸なるかな」の「は」を、何も考えずに皆で「ハ」と発音して歌っていた。
それが、時間の経過とともに、少しずつ意味がわかってくる。大人になってから、ある日突然意味がわかって、はっとしたこともたくさんある。「よびとこぞりて しゅをばなみし」とは、いったい何を意味していたのか、ある朝はたと気づく。語句の意味がわかるようになっただけではなく、文全体の意味が理解できるようになったからだ。そして、文語体の力強さに、思わずうなる。だから、子供時分に難しいものをそのまま投げ与えられて、それを鵜呑みにして、良かったのだと思うのだ。長い時間を経て「了解した」この瞬間が、本当に貴重なのだから。
ちょうど授業で「初恋」を教わっていた中3のとき、音楽の授業で練習していたのは、シューベルトの「主はわが飼い主」だった。女声四部の合唱曲で、文語体の日本語訳詩がついていた。4人ずつでテストまで受けた記憶があるが、授業で与えられた曲として大した感慨もなく歌っていたはずだ。いったいこの難しい曲を少しでも歌えたのか、かなりあやしい。当時使っていた譜面をひっぱり出してきて、CDを聴いてみた。
歌詞の内容は、有名な詩編23篇の「主はわが牧者」。全体的に平和で、たえずやさしい3連符が流れている。シューベルトお得意の自然な転調が繰り返される。「たとひわれ死のかげの谷をあゆむとも」の部分の半音進行は秀逸だ。フレーズが長くて、中3の私ではとても息が持たなかったらしく、当時の楽譜にはあちこちに括弧つきのブレス記号が書き込まれている。しかし、こんなに繊細で、美しい名曲だったのか、と今更になって気づく。なぜこの曲が教材に選ばれたのか、やっと今「了解した」。
そういえば、高1のころ、遅刻ぎりぎりで教室に滑り込んで、げほげほ咳き込み、ぜえぜえ言う胸を押さえていると、寺澤先生がゆっくりと歩いていらして、よくおっしゃった。「牧菜、ロウガイか?」私は「15歳に向かって老害とはなんだ」と内心思っていた。労咳という言葉を知ったのは、最近のことだ。
先日企画した中高の同窓会に、高1のときの担任・寺澤先生がいらしてくださった。私は中学3年から高校3年まで、先生に国語と古文を教わり、漢文の最初の手ほどきもしていただいた。「文語の美しさ」に気づかせてくださった、恩師である。藤村の「初恋」が登場したのも、寺澤先生の授業だった。
教科書に載っていたこの詩は、中3の私にとっては、竹取物語と大差ない「古いことば」であり、語句と文法の解説を聞いてやっと理解できるような世界だった。しかし、とびきり素敵な宿題が出た。それは「意訳と想像をまじえた作文」と書かれた1枚のプリントで、第一連のところに先生の書いた例文があった。私は、やっといくつかの単語がのみこめた程度なのにもかかわらず、とにかくできる限り想像をふくらませて、紙を真っ黒にして提出した。想像というよりむしろ、妄想と呼べるほどの文章だった。
次の授業で、いくつかの作文が紹介された。先生は書き手の名前を一切出さずに、淡々と読んで下さった。私の書いたものが読まれると、その微に入り細を穿つ内容に、クラスメイトは「誰だよ、これ書いたの…?」と苦笑する。私は最後まですっとぼけていたが、一緒に同人誌を作っていた仲間たちは「あれはぜったい牧菜だと確信した」らしい。いずれにしても、文語の響きとニュアンスを自分なりに感じ取り、好きなだけ想像力を羽ばたかせて良いのだと、その日私は気づいた。
ところで、現代の日本の子供達が最初に接する文語は、おそらく文部省唱歌ではないかと思う。私にとっては、学校や教会で歌う讃美歌だった。小学生用の讃美歌集にも、いくつか有名な「大人の」讃美歌が入っており、これが基本的に文語体だった。説教中に取り上げられるなどの理由がない限り、解説は一切なしだ。まったく訳もわからないまま歌っていた。
「などかはおろさぬ おえるおもにを」「おのがさちを いわわずや」「あめよりくべしと たれかはしる」「いましきます あまつきみ」「いそぐひあしは やよりもとし」ひらがなだと、まるで何かの呪文のようだ。さらに、西洋音楽のメロディーの「音符一つに、文字一つ」が割り当てられているので、語句の切れ目すらわからない。高校生になっても、朝の礼拝で「われはげにも幸なるかな」の「は」を、何も考えずに皆で「ハ」と発音して歌っていた。
それが、時間の経過とともに、少しずつ意味がわかってくる。大人になってから、ある日突然意味がわかって、はっとしたこともたくさんある。「よびとこぞりて しゅをばなみし」とは、いったい何を意味していたのか、ある朝はたと気づく。語句の意味がわかるようになっただけではなく、文全体の意味が理解できるようになったからだ。そして、文語体の力強さに、思わずうなる。だから、子供時分に難しいものをそのまま投げ与えられて、それを鵜呑みにして、良かったのだと思うのだ。長い時間を経て「了解した」この瞬間が、本当に貴重なのだから。
ちょうど授業で「初恋」を教わっていた中3のとき、音楽の授業で練習していたのは、シューベルトの「主はわが飼い主」だった。女声四部の合唱曲で、文語体の日本語訳詩がついていた。4人ずつでテストまで受けた記憶があるが、授業で与えられた曲として大した感慨もなく歌っていたはずだ。いったいこの難しい曲を少しでも歌えたのか、かなりあやしい。当時使っていた譜面をひっぱり出してきて、CDを聴いてみた。
歌詞の内容は、有名な詩編23篇の「主はわが牧者」。全体的に平和で、たえずやさしい3連符が流れている。シューベルトお得意の自然な転調が繰り返される。「たとひわれ死のかげの谷をあゆむとも」の部分の半音進行は秀逸だ。フレーズが長くて、中3の私ではとても息が持たなかったらしく、当時の楽譜にはあちこちに括弧つきのブレス記号が書き込まれている。しかし、こんなに繊細で、美しい名曲だったのか、と今更になって気づく。なぜこの曲が教材に選ばれたのか、やっと今「了解した」。
そういえば、高1のころ、遅刻ぎりぎりで教室に滑り込んで、げほげほ咳き込み、ぜえぜえ言う胸を押さえていると、寺澤先生がゆっくりと歩いていらして、よくおっしゃった。「牧菜、ロウガイか?」私は「15歳に向かって老害とはなんだ」と内心思っていた。労咳という言葉を知ったのは、最近のことだ。
詩編23篇の「主はわが牧者の部分を、1985年2月9日土曜のドイツでの結婚式で友人に読んでもらいました(列席した客人たちの共通言語だった英語で)。「たとえ我、死の陰の谷を歩むとも」の部分が特に好きでした♪
懐かしく思い出しました。またもステキなエッセイを有難うございます♪