goo blog サービス終了のお知らせ 

音の向こうの景色

つらつらと思い出話をしながら、おすすめの名曲をご紹介

ハイドン オラトリオ「天地創造」より 「天は御神の栄光を語り」

2010-02-07 03:47:40 | 宗教曲
 最近、仕事でかなり頻繁に小学校を訪れている。音楽室は最上階にあることが多い。来客用のスリッパをパタパタ鳴らして階段を登りながら、いつも自分の小学生時代を思い出す。そして心の中で、お世話になった先生方に「ごめんなさい」を言う。
 私は、屈託のない、明るく元気な小学生だったはずだ。友達とも仲良くやっていたし、成績も悪くなかった。ただ高学年になるにつれ、今の「私」に近づいていた。つまり、「積極性」が他人のペースと合わなくてもお構いなしだった。記録の束を開いてみると、5年生のとき、担任の先生からもらったコメントは、こうだ。「共同生活には必ず自分以外にも人がいることを忘れず行動しましょう」
 5、6年生の頃は、ひたすら担任の上村先生の揚足を取ることが日課だった。通知表を見ると、「○○は理解できたか」といった項目は、ほとんど全部一番良い評価なのに、「まじめな態度で授業を受けたか」という項目だけは、どの教科もダメだ。通知表を手にした父が、「お前が学校で何やってるのか、大体想像できるな」と、頷いていたことも覚えている。
 上村先生とは毎日よくやり合った。黒板消しで叩かれようと、チョークで頭をつつかれようと、ひるまず、授業に茶々を入れた。ある日、朝の会の歌で、先生の音程が悪いと指摘したら、廊下に立たされた。行き過ぎる先生達に眺められて恥ずかしかったのだが、私は正しいことを言ったのだ、と自分に言い聞かせた。今となっては、彼を怒らせた本当の理由は謎だ。いずれにしても、上村先生、ごめんなさい。
 いつの頃からか、音楽に関しては、強い自信があった。だから、音楽の授業の態度は最悪だった。特に6年生のときは、ひどかった。先生が座るピアノの反対側の隅に、悪友C、ピアノの上手なH子、私の3人が座っていた。授業中は完全に先生に背を向けて、延々としゃべっているが、筆記のテストは揃って百点という、極めてタチの悪い3人だった。髪の毛の太さを比べ合ったり、絵を描いたり、光GENJIの話で盛り上がったりしていた。
 そして3人して、まったく容赦なかった。先生が伴奏を間違えると、平気で舌打ちした。先生を非難するときは、よく聞こえるように大きな声で言った。初めて四部合唱の曲が配られた日、先生がまず一番上のパートの音取りを始めると、我々は一人ずつ他の声部を歌って悠々とハモり、大満足した。手に負えなかっただろう。照屋先生、ごめんなさい。
 音楽の授業も嫌いではなかったし、歌うことは大好きだったのだが、いくつか不満があった。まず私は「移動ド」ができなかったので、授業でこれをやらされたときには、先生に復讐されているのだと確信した。メロディーがいいのに伴奏がダサイ曲も許せなかった。「紅葉」の輪唱風のハモりも大嫌いだった。私の頭の中では、「山の麓の」の「ふ」のところでF-durだったらA7の和音を鳴らしているのに、下のパートが土足で踏み込んで邪魔するので、いつも気分が幻滅した。(なので今、小学校の声楽ワークショップで、唱歌の伴奏をするときは、当時の鬱憤を晴らしている。)
 最もいやだったのは、大勢で合唱すると、音程が下がることだ。自分の声でなんとか周りの音を上げられないかと、無駄な抵抗を試み、必死になって声を張り上げていた。ちなみに、小6ですでに歌姫だった悪友Cは、幼稚園ではまったく歌を歌わなかったらしい。まわりの子供たちが「なんであんなに汚い声で歌うのか」理解できないと言って、一緒に歌うことを断固拒否したそうだ。さすが、つわものである。
 私が在校していた頃の母校では、5,6年生になると、ハイドンの「天は御神の栄光を語り」を三部合唱していた。もちろん日本語だが、6年生からソリストと伴奏者が出る。1年生からの憧れだった。だいたい、「天地創造」の中でも、最も感動的な名曲なのだ。当然、小学校で演奏される中では、圧倒的にいい曲だった。たたみかけるように盛り上がるところは、いつも鳥肌が立つぐらい感動した。これでもか、これでもかと変わっていく和音。解決するまでの緊張がこんなに長い曲は、歌ったことがなかった。
 ところが、自分が5,6年生になってみると、この名曲も「大勢で歌うと音程が下がる」問題の餌食になっていた。2学年の音につぶされるのは、苦痛以外の何ものでもなかったのだが、それでも歌いたかった。学芸会の雛壇でも、必死で正しい音程を狙おうと苦戦していた。なんとしても闘わねばならないという気持ちを掻き立てられる、本当の名曲だった。今になると、この曲に出逢わせていただいたことに、何より感謝でいっぱいだ。小学校の思い出の中で、きらきらと輝いている。
 悪ガキがそのまま大人になってしまったが、実は小学校の先生方とは、いまだにお手紙をやりとりしている。音楽の照屋先生は、私が小学校に行って、アーティストの授業を手伝っているという話をしたら、とても喜んでくださった。実際、恩返しというよりは、罪滅ぼしのような気持ちである。クラスの輪を乱す、うるさい男子を見ると、思わず胸に手を当てる。先生、本当にごめんなさい!

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
笑えた! (H子)
2010-02-08 00:54:43
全く、どこの子かしら。
本当、性質の悪いガキどもで^_^;

照屋先生、ごめんなさい。

こんな私も、今や教員…
返信する
せんせい (ブログ管理者)
2010-02-08 03:25:17
H子の弾いた「天は御神~」の伴奏、かっこよかった。

気づいたら、我々3人とも「先生」とか呼ばれるようになっちゃったねえ。
返信する

コメントを投稿