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音の向こうの景色

つらつらと思い出話をしながら、おすすめの名曲をご紹介

R.シュトラウス 「ばらの騎士」より 元帥夫人のモノローグ

2008-04-03 01:10:00 | オペラ・声楽
 その年はじめの春風が頬を抜けると、なんとも言えない、切ない気持ちになる。そして毎年、「パラダイス銀河」が耳の奥をよぎる。「大人は見えない しゃかりきコロンブス 夢の島までは 探せない」―― 飛鳥涼さんのこの詩に深い衝撃を受けたのは、小6になる春だった。私は目黒駅のホームに立って、ウォークマンで「パラ銀」を聞いていた。そして、気づいた。自分は大人になる。それは止められないことなのだ。生あたたかい春風が吹いていく。涙が止まらなかった。
 「時間が一方向に進む」という概念を、一種の恐怖と共にはっきりと認識したのは、5年生の頃だ。6年生になったときには、大人になりたくない、とはっきり思っていた。「ナルニア王国物語」の最後に、子供の心を忘れてナルニアに行けなくなってしまう「スーザンのようにはなりたくない」が持論だった。当時、一体どこで言葉を覚えてきたのか、私は自分自身を「ピーターパン症候群」だと診断していた。12歳になったときには、人生がほとんど消えてしまったかのように感じた。
 昨年31歳になったとき、「いよいよ本当にマルシャリンの歳だ」と思った。オペラ「ばらの騎士」の元帥夫人(マルシャリン)は、32歳未満の女性という設定になっている。私が「老いる」という実感を覚えたのは24歳ぐらいだが、その頃から、マルシャリンの歳になったのだと感じていた。もちろん、このオペラを通して彼女が投げかけるメッセージは、人生の時期にも、男女にも関係なく、普遍的なものには違いない。しかし、とにかく「今の私の問題」なのだ。
 一番好きなオペラと言われれば、私は真っ先に「ばらの騎士」を挙げる。その魅力を語りだしたら止まらない。ホフマンスタールの含蓄のある言葉、全体を通して流れる哲学、思わず感情移入してしまうキャラクターたち、一瞬として飽きさせないストーリー。そして、ひたすら美しい音楽。ベタだと言われるかもしれないが、私にとっては沢山の思い出があり、あれこれの縁もある、大好きな作品だ。京大で勤めていた頃、『バラの騎士の夢』の著者である岡田先生が、同じ所属先におられると知ったときは、アンダーラインだらけの本を持って、サインをもらいに飛んで行った。
 オペラのあらすじについては、ここでは立ち入らないことにするが、この作品の中で、多くの女性が心を震わせるのは、第一幕のマルシャリンのモノローグだと思う。一人、鏡の前で老いを感じ、忍び寄る恐怖と向き合うシーンだ。感情が静かに揺れ動く、非常に内面的な音楽である。そして、老いの問題、時間の流れという問題に対する、彼女のとりあえずの結論は、「Wie(いかに)」だ。「なぜ」と問うのではなく、「いかに」それを受け入れるかが大事なのだ、という結論で、このモノローグは締めくくられる。諦念を示すというB♭7の和音は、あくまでやさしい。私がずっと探してきた答えが、いつもそこで与えられるような気がする。
 このモノローグの後で、彼女が若い恋人に語る「真夜中に、時計を全部止めたくなる」という心情も、非常にリアルだ。そのとき、オーケストラでは13回の鐘が鳴る。時間よ止まれ、と私も思う。そしてまた、B♭7の和音が鳴る。そうだ、時は進んで行くのだ。何度も、何度も、この結論に立ち返るのだ。このオペラは私のために書かれたんじゃないかとさえ、思えてくる。
 今年も、春風が通り抜けた。パラ銀を思い出す。そして、B♭7の和音が心に響く。マルシャリンのように優美に、自分を律して、一歩進めるかどうか。それは「今の私の問題」であり、きっと一生の問題なのだ。

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