ぼくの心のなかに受け入れられるわけではないが、いなくなると空白のもの足らなさを感じるわき役も人生にはいる。
再呈示。
この過去節が人気ランキングに入るほど自発的に読まれている。
没収ではなく横領である。どの国でも時代でも、国は統治下にある個人にたいしそういうことをする。フランスでも、戦直後抑留からパリの自宅に帰って来た高田先生の、文化人たちとの貴重な手紙文書は、仏国は全部没収して返さなかった。
紛失した純学問文書
日記
2022-01-27 01:45:12
2017年03月21日筆
文書・書物というものは、精神労働の証であり、その意味をもつ。 ぼくも すくなくとも精神労働の証は積んでおこう。 それがこの欄のほんらいのいみでもあった。 言葉は精神を形成する。たとえまだ愛でなくとも。想念は人間の条件である。 東京在住中、郷里のぼくの部屋の引き出しに保管していた、ソルボンヌ大学哲学博士号取得論文を審査してくださったフランスの教授たちによる論文評価文書が、彼らからいただいたクリスマスカードの束と一緒に全部紛失している。ぼくの部屋を物色した証拠は多数見いだされている。 手放さなかった博士号証書は無事だが、こういうことを実際、或る組織がやっているという現実がある。国は捜査し、責任をもってぼくに返してほしい。言語道断である。 ぼくの純粋精神の歴史ですよ。 世のなかがこれほど勝手でひどいとは、ぼくは経験しなかった。いまの日本でね。 自分のなかで納得していたら、それが決定的なことであり、いかなる客観的真理と目されるものの権威も消える、ということを、ぼくは状況から確信した。