”平常心を保つには完璧な人間であろうとしないこと | 馬鹿の鑑定書の正体”
2022年10月18日
完璧な人間になろうなどとしないほうがよい、誰でも間違えるし、取り違えをし、それによって感情につき動かされる。そういうものだと察してもらうしかない。それが普通の日常なのだ。
完璧な人間であろうとして罠に嵌まり、平常心を無くす。平常心とは、常にじぶんを許し、相手を解放すること。
不完全でも自然で無作であれば、その不完全な自然さによって、最上の対処がなされているものだと思う。自然であることは完璧に神がかっていることではない。不完全なりに凌げていることである。
ぼくのこの不完全さ、これが自然でありぼくらしさなのだ。ほかにどうしようもない。気張ったって一時しかもたない。それに、そういうところにぼくの本質が出るわけでもない。
ほんとうに仕事をやっているとき、ぼくは日常ではもっと不完全になっている。そうであるのに、ぼくが仕事がうまくゆかず手を休めているとき、他に気が散っているとき、そういうぼくを、馬鹿がみて、ぼくは他を気に掛ける分、精神が一段上がってきた、などと言うのだ。これが、馬鹿の鑑定書の正体である。
仕事に集中したいなら、他からの評価が落ちることへの覚悟が要る。反対に、評価が上がるとき、じぶんのレベルは下がっている、と思っておれ。 ほんとうに仕事するには、じぶんの世界に他を容れてはならない。