NEST OF BLUESMANIA

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音曲日誌「一日一曲」#408 レイ・チャールズ「Georgia On My Mind」(ABC-Paramount)

2024-05-18 07:59:00 | Weblog
2024年5月18日(土)

#408 レイ・チャールズ「Georgia On My Mind」(ABC-Paramount)



レイ・チャールズ、1960年リリースのシングル・ヒット曲。ホーギー・カーマイケル、スチュアート・ゴレルの作品。シド・フェレルによるプロデュース。同年のアルバム「The Genius Hits The Road」に収録。

米国のシンガー、レイ・チャールズについては「一枚」「一曲」でそれぞれ1回ずつ取り上げているが、まだまだ語るべきことがあると思うので、久しぶりにピックアップしてみたい。

チャールズについてざっと紹介しておこう。彼は1930年、ジョージア州オールバニにてレイ・チャールズ・ロビンスンとして生まれ、幼少期に盲目となった。

ピアノと歌をマスターして、レコードデビュー。50年代はアトランティック、60年代はABCレーベルでヒットを連発、黒人・白人を問わず数多くのリスナーを獲得して、米国の国民的シンガーのひとりとなった。2004年に73歳で亡くなっている。

そんな彼が1960年に放った特大級のヒットにして、彼を白人層にも著名シンガーにした曲が、本日取り上げた「Georgia On My Mind」である。

この曲はチャールズ版に先立つこと30年前の1930年に書かれている。作曲はスタンダード中のスタンダード、「Stardust」であまりにも有名なホーギー・カーマイケル(1899年インディアナ州生まれ)。作詞は彼のルームメイト、スチュアート・ゴレル(1901年同州生まれ)。

特にジョージア州出身ではないこのふたりが何故この曲を書いたのかについては、カーマイケルの姉妹のジョージア由来であるという説もあったが(ゴレルの発言より)、カーマイケル自身がその自伝で、サックス奏者のフランキー・トラムバウアー(1901年イリノイ州生まれ)からジョージア州をイメージした曲を作ってほしいと依頼があり、作ったのだと語っている。

カーマイケルは1930年にこの曲をシングルリリースしている。翌年には依頼したトラムバウワーが彼の楽団でレコーディングしてシングルリリース、ヒットとなっている。以後、多くのジャズ・アーティストによりカバーされていく。

その中で最大級のヒットとなったのが、レイ・チャールズ・バージョンである。全米1位を獲得し、全英でも24位となった。79年にはジョージア州がチャールズ版を公式の州歌に認定し、またグラミー賞の殿堂入りを2度(1993年と2014年)も果たしている。

まさに20世紀を代表するポピュラー・ソングのひとつとなった「Georgia On My Mind」であるが、その作りは、白人の作曲家が作っただけあって、いかにも万人ウケするタイプのバラードである。黒人音楽的な要素は、まったくといっていいほど、感じられない。

そういう典型的なポップ・バラードを、50年代にはゴリゴリのR&Bナンバーを歌っていたチャールズがカバーしたのは、当時としてはなかなかのミスマッチだったのではなかったろうか。

しかし、この意外な取り合わせが、見事成功する。

それまでの「Georgia On My Mind」とはひと味違う出来上がりとなったのは、いうまでもなく、チャールズのソウルフルな歌唱によるところが大きい。

過去の多くのシンガーはこの曲を、ジャズとして歌っていたが、チャールズはそのハスキー・ボイスでR&B、ソウルナンバーとして歌った。これが多くのリスナーの心に刺さったのだと思う。

楽曲というものは、メロディや歌詞は同じでも、歌い方ひとつでまるで違ったニュアンスをまとうようになる。

レイ・チャールズによって「Georgia On My Mind」は誕生の30年後に生まれ変わったのだと言える。

チャールズにとっては、生まれ故郷でもあるジョージア。郷里への深い想いを込めた、彼の渾身の歌唱によってはじめて、本曲は単なる「ご当地ソング」の域を越えて、公式州歌という輝かしい名誉を与えられたのだ。

そのしみじみとした味わいは、レコードリリース後60年以上経っても変わることはない。望郷の名曲として、永遠不滅に残ることだろう。








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