NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

#127 オーティス・スパン「I Got Ramling On My Mind #2」

2010-06-27 09:20:54 | Weblog
#127 オーティス・スパン「I Got Ramling On My Mind #2」(Otis Spann Is The Blues/Candid Records)

オーティス・スパンのソロ・デビュー・アルバムより。ロバート・ジョンスンの作品。ボーカルはロバート・ロックウッド・ジュニア。

オーティス・スパンといえば、マディ・ウォーターズのバック・バンドのピアニストとしてあまりにも有名だが、その一方、60年代からはソロ・レコーディングもしばしばおこなっている。

この「Otis Spann Is The Blues」はその第一弾。ジャズ評論家にしてプロデューサーのナット・ヘントフによりプロデュースされた。ニューヨーク録音。

ギターのロックウッドとのデュオで、ボーカルも二人が交互に担当しており、この一曲は作者ジョンスンの義理の息子であるロックウッドによって歌詞等がアレンジされている。

「(I Got) Ramling On My Mind」は、エリック・クラプトンの歌によって、いまや音楽ファンなら知らぬ者もない名曲という扱いを受けているが、当時はまだ、ブルースファンしか知らぬマイナー・ナンバーであったことだろう。クラプトンがブルーズブレイカーズで初カバーをするだいぶん前のことでもある。

だが、とにかく、この一曲の出来映えは素晴らしい。躍動感あふれるスパンのピアノ、息のぴったりあったロックウッドのギター、そしてハイト-ンのシャウトが心をゆさぶるようなボーカル。まさにこの曲のベスト・テイクと呼ぶにふさわしい。

なんのリズム楽器も伴わなくても、ギターとピアノだけでこれだけのグルーヴを生み出せるとは! やはり、プレイヤーの力量が桁外れというしかない。

このアルバムが高い評価を受け、スパンはいくつかのレーベルでアルバムを発表していくことになる。

きょうの一曲では聴けなくて残念だが、スパンはそのピアノだけでなく、歌声のほうも枯れた味わいがあってなかなかいい。シンガーとしても十分な才能を兼ね備えたひとだったのだ。

だが70年、40才の若さでガンのため亡くなってしまう。その溢れるようなピアノの才能をまだまだ発揮出来ただけに、悔やまれる死だ。

50~60年代のスパンの演奏、そして歌声は、いまだに聴く者の魂に響き続けている。彼こそが、まさに生きたブルースなのだ。

本家はこちらです


#126 ジミー・ヤンシー「Shake 'Em Dry」

2010-06-20 06:57:54 | Weblog
#126 ジミー・ヤンシー「Shake 'Em Dry」(Best of Jimmy Yancey/Blues Forever)

ピアニスト、ジミー・ヤンシーのベースとのデュオによる演奏。ヤンシーのオリジナル。

ジミーことジェイムズ・エドワード・ヤンシーは1894年イリノイ州シカゴ生まれ(98年とも)。51年に同じくシカゴで亡くなるまで人生の大半をシカゴで過ごしている。シカゴ・ブルースマンは、他の地域から移住してきた者が結構多いが、彼の場合は、文字通り生粋のシカゴっ子なのである。

20代の初めからハウスパーティやクラブ等で演奏して生計を立てていたが、初レコーディングは39年で40代半ばになってから。小レーベルでデビューした後、その圧倒的な腕前を認められ大手レーベル、ビクターから再デビュー。51年までに100曲以上を残している。代表曲は「ヤンシー・スペシャル」「ホワイト・ソックス・ストンプ」「ステイト・ストリート・スペシャル」など。

デビュー当時、すでに地元では実力派ブギウギ・ピアニストとして名が通っており、彼より少し若いミード・ルクス・ルイス、パイントップ・スミス、アルバート・アモンズといった人気ピアニストにも、その独自な演奏スタイルが大きく影響を与えたという。

非常に力強く堅実なビート感覚、特にその左手の自由自在なプレイは、N.O.の天才プロフェッサー・ロングヘアにまで影響を与えたというから、ブルース・ピアノ界に冠たる存在といえるだろう。

きょうの一曲は、ラグタイム的な味わいのインスト・ナンバー。ヤンシーはラグタイム・ピアニストである兄、アロンゾ・ヤンシーからピアノの手ほどきを受けているので、彼のプレイにもそういった要素を散見できる。

ほのぼのとした雰囲気の小品だが、こういうなごみ系というか、リラックスしたプレイを得意とする一方で、「ホワイト・ソックス・ストンプ」のような激しいテンポのブギウギもうまい。緩急自在のピアノなのである。

シカゴっ子らしく、地元の野球チーム、シカゴ・ホワイト・ソックスの大ファン。25年間チームのグランド・キーパーをつとめたというから、相当な野球キチでもあったヤンシー。曲名にも、モロに使われているぐらい。

ヴォードビル芸人一家に生まれ育ち、幼少時からタップ・ダンスや歌を得意としてきただけあって、その音楽にはエンタテインメントのエッセンスが溢れている。

ヤンシーなくして、その後のブルース・ピアノの発展はなかっただろうと思われるくらい、卓越したリズム感をもったヴァーチュオーゾ。なかなか聴く機会はないと思うので、これをきっかけにぜひ。

本家はこちらです


#125 ジミー・リード「Honest I Do」

2010-06-12 18:01:30 | Weblog
#125 ジミー・リード「Honest I Do」(I'm Jimmy Reed/Vee Jay)

ジミー・リード、56年のヒット・シングル。リードのオリジナル。

50年代ブルース界有数のヒットメーカー、ジミー・リードについてこれまでほとんど取り上げることがなかったが、もちろん軽く見ているわけではない。個人的にもお気に入りのブルースマンだし、彼の輝かしいヒット実績を考えると、ブルース界のトップテンに入れておかしくない人だと思う。

ジミー・リードことマティス・ジェイムズ・リードは、1925年ミシシッピ州リーランド生まれ。

幼少からの友人、エディ・テイラーとともに、40年代前半シカゴ近郊に移住。以降、本格的にミュージシャンとしての活動を開始、ブルースの花道を歩んでいくことになる。

53年、チャンス・レーベルよりデビュー。同年、名門ヴィージェイと契約、64年の同レーベル倒産にいたるまで、数々のヒットを生み出していくことになる。

今日聴いていただく「Honest I Do」はリード最大のヒット。いわば名刺代わりの一曲だ。

彼の他の多くの作品と同様、相棒エディ・テイラーの弾く特徴的なウォーキング・ベースに乗って歌われるブギ・ナンバー。

タイトル通りに、ただ一人の女性への心の底からの愛を語る、究極のラブソング。彼の最愛のひと、メアリー・リー・リードに捧げた一曲ということになる。

この曲、メロディが実に覚えやすく美しいのだ。リードのちょっと朴訥でとぼけた味わいの歌唱もあいまって、好感度が高い。こりゃあ、ヒットしないわけがないね。

彼はこの曲も含め、ヴィージェイ時代に11曲をビルボードのポップチャートに、14曲をR&Bチャートにランクインさせている。これは、他のどのブルースマンも達成できなかった最高記録なのだ。もう黒人音楽の域を超えて、国民的なシンガーとして認められていたといっていい。

ただ、このようにヒット運には恵まれていたものの、リードは実生活では強度のアルコール依存症でよれよれ、ボロボロだったという。

すぐれたアーティストには、なにかしら創作上の苦しみがつきまとうものだろう。売れっ子リードも、命をすり減らすようにして、名曲群を世に出していたに違いない。

76年、カリフォルニア州オークランドにて50才で亡くなっている。いかにも短命である。

この曲がまさに示しているように、彼はあまりに真摯過ぎて、人生を器用にわたっていくことが出来なかったんだろうなと思う。

酔いどれ、でもひたすらハートフルなブルースマン、ジミー・リードの真骨頂な一曲。その高音が印象的なハープ・プレイも絶品だ。ぜひ聴いてほしい。

本家はこちらです


#124 ビージー・アデール「Fly Me to the Moon」

2010-06-06 09:12:01 | Weblog
#124 ビージー・アデール「Fly Me to the Moon」(Swingin' with Sinatra/Green Hill Productions)

1937年生まれのベテラン白人女性ジャズピアニスト、ビージー・アデールの最新作より。バート・ハワードの作品。

ケンタッキー州ケイブシティに育ち、5才からピアノを習った彼女は、音楽大学へと進み、セッションミュージシャンとなる。

30代前半にはジョニー・キャッシュのバックを務めていたが、彼女の本来のバックグラウンドはジャズで、80年代にはサックス奏者デニス・ソリーとともにカルテットを結成。

彼女自身のファースト・リーダー・アルバムを録音するのは、1990年代に入ってから。ビージー・アデール・クルーザー名義の「Escape to New York」('90録音)だが、これを発表するのは98年。その前に「Frank Sinatra Collection」で97年ソロ・デビューというかたちとなった。

きょう聴いていただく(映像だから観ていただくでもあるが)一曲は、シナトラのみならず、歌ではアニタ・オデイ、ナンシー・ウィルスン、演奏ではオスカー・ピータースンなど、さまざまなアーティストが取り上げ、好評を博したスタンダード中のスタンダード。

もともとは54年に「In Other Words」という原題でバート・ハワードが作曲したものだが、次第に最初のフレーズからとった「Fly Me to the Moon」というタイトルのほうが通りがよくなり、現在ではもっぱらそのタイトルで知られている。

このロマンティックな歌詞をもつ極上のラブソングを、ビージーもひたすら美しくメロディアスに奏であげている。

一聴するに、有名なオスカー・ピータースン版あたりの影響はもちろんだが、さらにいえば昨年77才で亡くなったエディ・ヒギンズの影響も感じられる。

ヒギンズ同様、非常に端正で、破綻のない演奏。ジャズピアノを志す全ての人々にとってよきお手本になる、そんな感じのプレイなのである。

裏を返せば、スリリングな要素、実験的な要素といった面白みはないのだが、ジャズというものが既に「完成期」に入ってしまった、つまりこれ以上新しいものを取り込んで変化していく可能性がほとんどなくなってしまった現在において、こういう決まりきったスタイルの演奏も、またありかなと思う。

こういうスタイルは、昔よく「カクテル・ピアノ」などと揶揄されていたものだが、ジャズがこの先もしっかり生き残っていくためには、一般大衆に好まれるカクテル・ジャズ的なありようも必要なのではなかろうか。

事実、彼女のCDは、現在ほとんど目立った売りもののない、日本のジャズ市場では、珍しくコンスタントに売れているらしい。それもコアなジャズファンというよりは、ごくフツーのリスナーに。

映像の冒頭で自己紹介をするビージーを観るに、アメリカのどこにでもいそうなおばあちゃん、って感じなのだが、いったんピアノに向き合うと、70年近いキャリアなくしては出せない、端正で優美な響きのピアノ・プレイを聴かせてくれる。

よい音楽は、一日にして成らず。何十年もの経験をへて、熟成していくものだということを感じる。

ほどよく歌い、かつスイングするビージーの演奏を聴いて、こころも体もリラックスしてほしい。

この曲を聴く

本家はこちらです