NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音曲日誌「一日一曲」#392 クラレンス・カーター「Slip Away」(Atlantic)

2024-05-02 09:15:00 | Weblog
2024年5月2日(木)

#392 クラレンス・カーター「Slip Away」(Atlantic)





クラレンス・カーター、68年リリースのシングル・ヒット曲。ウィリアム・アームストロング、マーカス・ダニエル、ウィルバー・ティレルの作品。リック・ホールによるプロデュース。デビュー・アルバム「This Is Clarence Carter」に収録。

米国のソウル・シンガー、クラレンス・カーターは1936年、アラバマ州モンゴメリー生まれ。盲目ながら同州の州立大学を出て、音楽で理学士号を取得した俊英である。

音楽仲間のカルヴィン・スコットと組んだデュオでフェアレーンレーベルより「I Don’t Know (School Girl)」でレコードデビュー。続いてデュークレーベルでもシングルを何枚もリリースしたが、不発に終わる。

65年、同デュオはアラバマ州マッスル・ショールズのフェイムスタジオでプロデューサー、リック・ホールのもと「Step By Step」をレコーディング、アトコレーベルよりリリースしたが、これも不発。

66年にスコットが自動車事故で重傷を負ったため、カーターはソロで活動せざるを得なくなる。翌67年、フェイムレーベルよりリリースした「Tell Daddy」が初ヒット、R&Bチャートで35位となる。

この曲は同年、女性シンガー、エタ・ジェイムズにより「Tell Mama」のタイトルでカバーされ、R&Bチャート10位、全米23位の大ヒットとなった。これもあって、クラレンス・カーターはにわかにクローズアップされるようになる。

カーターは67年末にアトランティックレーベルと契約、快進撃が始まる。翌68年にリリース、R&Bチャート6位、全米6位の超特大ヒットを出す。それが、本日取り上げた「Slip Away」である。

この曲は、カーターのバックバンドのメンバーであるアームストロング、ダニエル、ティレルの共作。このうちふたりは前述の「Tell Mama」をカーターと共に作曲している。

筆者は10代の初めよりソウル好きを自認しながらも、恥ずかしながら「Slip Away」は長らく聴いたことがなかった。いや、クラレンス・カーターという盲目のシンガーの存在を、知ってはいた。中学1年の時に買ったアルバム「Led Zeppelin III」のレコードスリーブがアトランティックのアルバムカタログとなっており、カーターのデビューアルバムもそこにしっかり載っていたからだ。

しかし当時の筆者は、英米の白人ロックバンドをフォローするので手一杯。ソウルのアルバムまではとても買う余裕はなかった。そんな理由で、そのまま10代、20代は過ぎていった。

「Slip Away」の存在を知ったのは、そこから実に22年ほど経った1992年のことだ。前年末から日本でも公開された英米アイルランド合作映画「ザ・コミットメンツ」において、同曲が映画の主役であるローカルバンド、コミットメンツにより演奏されたのを聴いたのである。

独特のホンワカした雰囲気のソウル・バラード、でもその歌詞内容は不倫がテーマという「オトナ」な味わいを持つ「Slip Away」に筆者は強く惹きつけられたのである。そのオリジネーターはクラレンス・カーターであった。

その後、この曲に強い影響を与えたといわれる先行曲の存在も知るようになった。1938年生まれのR&Bシンガー、ジミー・ヒューズのヒット曲「Steal Away」である。

これはリック・ホールのフェイムレーベルからリリースされた1964年のシングル。8小節のブルースをベースとしたバラードだ。

このわりと型にはまった感じの「Steal Away」に比べると、4年後に生まれた「Slip Away」はだいぶん当世風で洒落たメロディとアレンジだが、どこか共通した明るいムードを持っているように思う。プロデューサーが共通していることが大きいのかも。

映画「ザ・コミットメンツ」にはもうひとつ、「The Dark End Of The Street」という不倫をテーマにした印象的なバラード(オリジナルはジェイムズ・カー)が演奏されているが、ソウル・ミュージックにおいては、こういった「道ならぬ恋」も重要な題材なのである。

この「Slip Away」もどうやら、作者のうちのひとりの実体験から生まれたものらしい。まったくの想像からだけでは、聴き手の心を揺り動かすような歌詞を生み出すことは難しいからね。

クラレンス・カーターのハスキーだがよく通る歌声に、マッスル・ショールズならではの、いなたいサウンド。これぞ、サザン・ソウルの粋だと思う。半世紀以上経とうが、まったくその魅力は色褪せていない。






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音曲日誌「一日一曲」#391 リトル・ジョニー・テイラー「Part Time Love」(Galaxy)

2024-05-01 08:52:00 | Weblog
2024年5月1日(水)

#391 リトル・ジョニー・テイラー「Part Time Love」(Galaxy)





リトル・ジョニー・テイラー、1963年リリースのシングル・ヒット曲。クレイ・ハモンドの作品。クリフ・ゴールドスミスによるプロデュース。

米国の黒人シンガー、リトル・ジョニー・テイラーことジョニー・ラモント・メレットは、1943年アーカンソー州グレゴリー生まれ。

以前取り上げたことのあるジョニー・テイラー(1934年生まれ)とはまったくの別人である。ジョニーの綴りも、前者がJohnny、後者がJohnnieと異なっている。

幼少期の1950年にロサンゼルスに移住、ゴスペルを歌いはじめる。ゴスペル・グループ、マイティ・クラウズ・オブ・ジョイに参加。その後R&Bに転向、スウィンギンレーベルで初録音するもヒットには至らなかった。

1963年、20歳となったテイラーはファンタジー傘下のギャラクシーレーベルと契約。ここで彼の才能が開花する。プロデューサー、クリフ・ゴールドスミスのもと「You’ll Need Another Favor」をシングルリリース、R&Bチャート27位のヒットとなる。

続いてリリースしたシングルで大ブレイクを果たす。それが、本日取り上げたスロー・ブルース・ナンバー「Part Time Love」である。思い入れたっぷりなギターはダイアナ・ロスのバッキングなどで知られるアーサー・G・ライト。

この曲はR&Bチャートで1位を獲得しただけでなく、全米19位の栄誉にも輝いた。

この曲の作者、クレイ・ハモンドはソウルシンガーにしてソングライターでもあった。1936年生まれで、テイラーとともに前述のマイティ・クラウズ・オブ・ジョイを結成した、いわば盟友。ソロや弟ウォルターとのハモンド・ブラザーズでレコードをリリースしたが、鳴かず飛ばず。

そんな不遇時代を経て初めて得た成功が、この「Part Time Love」を作曲して得た大ヒットであった。その後は大成功とは無縁となったが、ケントレーベルでシングル数枚をリリースしたり、リビングトンズなどのドゥワップ・グループにも参加している。

テイラーもこの曲の成功後は、目立ったヒットを出せていない。71年にジュエル傘下のロンレーベルからリリースしたシングル「Everybody Knows About My Good Thing(Pt.1&2)」でR&Bチャート9位、全米60位となったぐらいである。

言ってみれば、テイラー、ハモンド共に典型的な一発屋で終わってしまったわけだが、たった一発すら簡単には当たらないショービズの世界、ただ一曲ナンバーワンヒットを出しただけでも充分スゴいと筆者は思う。

そして、この曲の良さは、ヒット後も長期に渡り、さまざまなアーティストがカバーしてきたことでも証明済みである。

なんと名前かぶりしているジョニー・テイラーが本曲をカバーしたのをはじめ、クラレンス・カーター(68年のデビュー・アルバム「This Is Clarence Carter」収録)、アン・ピーブルズ(70年のシングル、R&B7位・全米45位)、アイザック・ヘイズ(71年のアルバム「Black Moses」収録)といったアーティストが次々とレコーディングしている。

ちょっと変わったところでは、白人バンドのファビュラス・サンダーバーズが「Full Time Lover」というタイトルに改作している(アルバム「Girls Go Wild」に収録)。

クレジットではフランキー・リー、フランク・スコットの作品となっているが、一聴すれば明らかに「Part Time Love」のリメイクだと分かるはずだ。

満たされない愛に苦しみ悶える歌詞が、実に切ないバラード。哀感に満ちたテイラーの歌声は、万人の心に届き、共感を誘う。

カバーバージョンしかこの曲を知らない方も、オリジナルバージョンでそのディープな歌声に触れて、大いに悶えてくれ。




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