NEST OF BLUESMANIA

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音曲日誌「一日一曲」#416 デイル・ホーキンス「Susie Q」(Checker)

2024-05-26 08:25:00 | Weblog
2024年5月26日(日)

#416 デイル・ホーキンス「Susie Q」(Checker)





デイル・ホーキンス、1957年5月リリースのシングル・ヒット曲。ホーキンス本人、ロバート・チェイスンの作品。

米国の白人シンガー、デイル・ホーキンスは1936年8月、ルイジアナ州セントメアリー生まれ。エルヴィス・プレスリーをはじめとするロックンロール、ロカビリーの影響を受けて、同州シュリープポートのクラブで歌い始める。

56年よりレコーディングを始め、翌57年5月にチェッカーレーベルから出したシングルがいきなりヒット、ホーキンスは一躍全国的な人気を獲得する。それが本日取り上げた一曲、「Susie Q」である。

本曲はR&Bチャートで7位、全米27位にまで上りつめ、カナダでも16位となった。

ヒット後に出演したテレビ番組での、ホーキンスのパフォーマンスを観ていただこう。細身でイケメンの彼に、ティーンの白人女性ファンが黄色い歓声を上げている。新たなるロックンロール・スターの誕生である。

バックでテレキャスターを抱えて、イカしたギターソロを決めているのは、プレスリーとの共演でも有名なジェイムズ・バートンである。このプレイもまた、本曲の魅力を大いに高めている。

この曲を実際に作ったのは、ホーキンスとバンドメイトのロバート・チェイスンであるが、他に2名がクレジットされていた。スタン・ルイスとエレノア・ブロードウォーターだ。

ルイスはジュエルレーベルのオーナー。彼の娘、スーザン(愛称スージー)がこの曲をインスパイアしたと言われている。ブロードウォーターは、ナッシュビルの有名DJ、ジーン・ノーブルズの妻。要するに、ホーキンスがこれまでお世話になった人たちに印税で恩返ししようと、クレジットに加えたということなのだろう。

前述のバートンも、レコーディング時に曲のアレンジに深く関わったので、彼も共同作曲者のひとりと言えるかもしれない。

ホーキンスはその後、チェスレーベルで60年代初頭までレコードをリリースし続けた。彼自身のテレビ番組「デイル・ホーキンス・ショー」を持ち、60年代後半はレコード・プロデューサーにも進出して、ユニークス、ファイブ・アメリカンズなどでヒットを出した。

シンガーとしてのホーキンスを世間が忘れかけていた頃、彼の作品が再び注目を集めた。ウェストコーストのロック・バンド、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)による、「Susie Q」のカバーである。

68年6月、彼らのデビュー・シングルとして、アルバムに先行する形で「Susie Q」はリリースされた。ホーキンスのオリジナルは2分ちょっとの短尺だったが、こちらはアルバムでは8分37秒と長い曲なので、シングルのA面とB面に分けて収録された。

これが見事、オリジナル以上の大ヒット。デビュー曲ながら全米11位を獲得、CCRの名を米国中に轟かせた。以降の彼らの活躍ぶりは、語るまでもないだろう。

テンポやアレンジなどで若干の違いがあるものの、両バージョンに共通して感じられるのは、白人のロカビリー・ミュージックと、黒人のブルース、R&B、ソウルが完全に融合、一体化していることである。

だからこそ、ホーキンスは白人ながらチェスというレーベルに加入でき、本曲はR&Bチャートでもヒットしたのだ。

湿地帯の多いルイジアナで生まれたホーキンスのサウンドは、後に「スワンプ・ロック」と呼ばれて、CCRをはじめ、トニー・ジョー・ホワイト、レオン・ラッセルらが深めていき、70年代にはアメリカン・ロックの根幹を成すようになる。

ホーキンスの白人っぽい軽く洒脱なボーカルと、好対照をなす黒いグルーヴを持つバック・サウンド。「Susie Q」の魅力は、そのコンビネーションの妙にあるのだと思う。ぜひ、スワンプ・ロックの源流を辿ってみてほしい。




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