NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音曲日誌「一日一曲」#425 ジュニア・ウェルズ「Little By Little」(Profile)

2024-06-04 07:17:00 | Weblog
2024年6月4日(火)

#425 ジュニア・ウェルズ「Little By Little」(Profile)




ジュニア・ウェルズ、1960年リリースのシングル・ヒット曲。メル・ロンドンの作品。ロンドンによるプロデュース。

米国のブルースマン、ジュニア・ウェルズについては、すでに3回取り上げているので、きょうは「Little By Little」の作曲者にしてプロデューサー、メル・ロンドンについて掘り下げてみたい。

メル・ロンドンことメルヴィン・R・ロンドンは1932年4月、ミシシッピ生まれ。もともとはプロミュージシャンを目指していたが、1950年代半ばより、1975年5月に43歳の若さで亡くなるまで、ソングライター、レコード・プロデューサー、レコードレーベルのオーナーとして、シカゴのブルース、R&Bシーンで活躍した。

彼の最初の成功は、1954年のウィリー・メイボンのために書いた「Poison Ivy」であった。

シンガー/ピアニストのメイボンについては、だいぶん前に「一枚」の方で取り上げたきりなのでおさらいすると、1925年テネシー州ハリウッド生まれで当時29歳。チェス傘下のパロットレーベルよりレコードデビュー。

「Poison Ivy」は、すでに52年のデビュー・ヒット「I Don’t Know」により人気シンガーとなっていたメイボンの3年目の曲で、R&Bチャートで7位とまずまずのヒットとなった。

これを振り出しに、ロンドンのソングライターとしてのキャリアが始まった。翌55年には同じチェスのアーティスト、ハウリン・ウルフに「Who Will Be Next」を提供してR&Bチャート14位のヒットになる。

次は同55年のマディ・ウォーターズの「Mannish Boy」をマディ、ボ・ディドリーとの共同クレジットによりリリース、チャート5位となる。また、同じくマディ・ウォーターズの「Sugar Sweet」も彼が提供しており、チャート11位となった。共にチェスからのリリース。

ソングライターとしての評価を固めたロンドンは、それによりついに自分自身の歌でレコードをリリースする。57年に自らが設立した独立系レーベル、チーフからリリースした最初のシングル「Man From The Island」である。残念ながら、この曲のチャートインは叶わなかった。 

しかし同レーベルはその後、他の新進アーティストのシングルを積極的にリリースしていく。57年中にエルモア・ジェイムズの「Comig Home」「The 12 Year Old Boy」「It Hurts Me Too」、ジュニア・ウェルズの「Two Headed Woman」がリリースされる。その大半がロンドンの作品である。

これらは独立系レーベルゆえか、いずれもヒットには至らなかったが、「It Hurts Me Too」のように後にエルモアの代表曲となったナンバーも含まれている。

チーフレーベルからのジュニア・ウェルズのシングルとしては、58年に「I Could Cry」をリリース。これも特にヒットはしなかったが、60年についに大当たりが出る。

それが本日取り上げたロンドンの作品「Little By Little」である。本曲はチーフの子会社、プロファイルレーベルよりリリースされてR&Bチャートの23位を獲得、ジュニア・ウェルズ初のスマッシュ・ヒットとなった。

のちに再録音やライブなどで頻繁に演奏され、彼の定番曲として定着する。現在も、多くのブルース・ミュージシャンによってカバーされ、ブルース・スタンダードとなった。

そして同時期、ロンドンにより書かれてプロデュースされた、もうひとつの重要曲がチーフレーベルよりリリースされている。「Messin’ With The Kid」である。

こちらはヒットとはならなかったものの、ジュニア・ウェルズのその後の定番レパートリーとなっている。

この時期のロンドンの仕事ぶりは、実にすさまじい勢いがあった。ウェルズ、ジェイムズに加えて、女性シンガー、リリアン・オフェット、マジック・サム、アール・フッカー、リッキー・アレン、A.・C.・リードといったブルース、R&Bミュージシャンのプロデュースや作曲で八面六臂の活躍をしている。

63年にはリッキー・アレンの「Cut You a Loose」をチーフのもうひとつの子会社レーベル、エイジからリリース、R&Bチャート20位のヒットとしている。

ただ、会社経営は相当苦しかったようで、64年までに財政難により3レーベルは全て廃業の結末を迎えてしまった。実に残念である。7年ほどの活動期間にリリースされたシングルは約80枚、アーティストは40人近くに及んだという。その後音源は他社に引き継がれることになる。

レコード会社廃業後のロンドンは、いくつかの小規模レーベルと提携して、ソングライター、プロデューサー業を続けたものの、チーフ時代のような華々しい業績は残せずに、75年にこの世を去ることとなる。

彼が人生で最も輝いていた時期に書かれた至高の一曲、「Little By Little」。

ロンドンが紡ぎ出す、聴く者の耳をとらえて離さないメロディは、ジュニア・ウェルズという極めて個性的な歌い手を得て、大きく開花した。

優れた才能と才能がぶつかることにより起きる、奇跡にも似た化学反応を、このヒット曲に感じとってくれ。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 音曲日誌「一日一曲」#424 ザ... | トップ | 音曲日誌「一日一曲」#426 ザ... »
最新の画像もっと見る