NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音曲日誌「一日一曲」#243 デフ・レパード「Action! Not Words」(Retro Active/Mercury)

2023-11-30 05:12:00 | Weblog
2012年11月25日(日)

#243 デフ・レパード「Action! Not Words」(Retro Active/Mercury)





イギリスのハードロック・バンド、デフ・レパード、93年のアルバムより。同国の先輩バンド、スウィート、75年のヒットのカバー。スウィートのメンバー4人の共作。

デフ・レパードはベースのリック・サヴェージを中心にイングランド・シェフィールドで77年結成、80年レコードデビュー。以来、何回かのメンバーチェンジをおこないながらも、現在も活動を続ける5人編成の長寿バンドだ。

レコードの売上げは全世界で6500万枚を越え、その半分以上がアメリカでのセールス。英国っぽさを余り感じさせない、アメリカ人ウケのする抜けのいいサウンドが、その理由だろう。

さてきょうの一曲は、70年代に一世を風靡したスウィートへのトリビュート。テンポにしても、細かいアレンジにしても、単なるカバーというよりは、フルコピーに近い一曲だ。

スウィートは68年結成・レコードデビューなのでデフ・レパードの大先輩格にあたる。フォンタナよりデビューするも鳴かず飛ばず。パーロフォンを経て、RCAに移籍後、マイク・チャップマンらのプロデュースにより、ヒットが出るようになる。日本では、ボ・ディドリー・サウンドの「ブロックバスター」(73)で初ヒット。余談だが、同じ頃、デイヴィッド・ボウイも「ジーン・ジニー」というボ・スタイルの曲をヒットさせていたので、「どっちがパクりか?」なんて筆者の仲間うちでは話題になっていたが、タネを明かせばなんのことはない、ともにボ・ディドリーの影響を受けたってことだ。それをいえば、ヤードバーズだって同じなんだが。

ともあれ、だいぶんバンド名が世間に定着してきたので、75年には自分たちのオリジナルで勝負をかけることになる。それが「フォックス・オン・ザ・ラン」とこの「アクション」の英米両国での連続ヒットだ。メンバー全員の共作による、新しいスウィートの世界が大ブレイクしたんである。

スウィートはいわゆるグラム・ロックにカテゴライズされることが多い。確かにメンバーたちのルックスやコスチュ-ムなど、ビジュアルはきわめてグラマラスだ。しかし、ただそれだけではない。サウンドは見事な本格派ハードロックで、ほぼ同時期に出てきたクイーンやUFOにも負けず劣らずのテクニック、パワーを持っている。さらに、彼らの作るメロディラインはポップなセンスに満ち溢れている。グラム、ハードロック、ポップの三位一体、それがスウィートなのだ。

バンド名や見てくれから、彼らを女性向けの単なる甘ちゃんバンドだとナメるとエラい目にあう。スウィートの本質は、筋金入りのロックンロール・バンドなのである。

その見事なショーケースが、この「アクション」。イントロから息もつかせぬ目まぐるしい展開を見せる、ジェットコースター・ロックとでもいうべき一曲。激しいテンポ・チェンジ、ケレンに満ちた速弾きギター・プレイ、きらびやかなコーラス。スウィートの魅力がてんこ盛りなのだ。

デフ・レパードは、その原曲をほぼ忠実に再現しているが、これを聴くに、ホント、70年代の曲とはとても思えない。音の感覚の新しさには舌を巻かざるをえない。

80年代を制覇したハードロック・バンドのひとつ、デフ・レパード。彼らの原点はスウィートにあった。ハードロックを基調としながらも、聴きやすさ、ポップネスを忘れず、歌でも勝負したから、彼らの成功はあったんじゃないかな。

新旧バンドの競演、ともにバッチグーです。



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音曲日誌「一日一曲」#242 ラリー・デイヴィス「Texas Flood」(Duke)

2023-11-29 05:23:00 | Weblog
2012年11月17日(土)

#242 ラリー・デイヴィス「Texas Flood」(Duke)





36年ミズーリ州カンサス・シティ生まれ、アーカンソー州リトルロック育ちのテキサス・ブルースマン、ラリー・デイヴィス、58年録音のシングル・チューン。デイヴィス自身の作品。

皆さんには、スティービー・レイ・ヴォーンのデビュー・アルバム(83年)のタイトル・チューンとしてあまりにも有名な曲であるが、オリジナルを聴いてみたいと思っても、この曲を収録しているCDで容易に入手できるものはほとんどなかったので、聴いたことのある人は意外と少ないんじゃないかな。

が、そこはIT時代の恩恵、いまでは単曲をmp3でダウンロードしたり、youtubeのような動画サイトで聴いたりすることが出来るようになった。まことにありがたい。

フライングVを握ったり、かついだりした写真でよく知られているギタリスト、デイヴィスだが、もともとはベーシストとして出発した。

50年代はフェントン・ロビンスンのもとで、また60年代はアルバート・キングのバックでベースを弾いており、独立後ギターに転向。68年にBBのヴァーゴ・レーベルでシングル録音をおこなう。

72年に交通事故に遭い、後遺症のためしばらくは引退状態だったが、周囲の励ましもあって82年カムバック。作品数は少ないものの、何枚かのアルバムを遺すも、94年に57歳の若さで亡くなっている。

遅咲きでヒットにもあまり恵まれず、初アルバムを出したのも交通事故からの復帰後、しかも若死にと、生きている間はあまり報われることがなかったが、いくつかの佳曲を遺し、それが死後も聴かれたり、カバーされたりしているのだから、ミュージシャン冥利に尽きるというものだろう。

まずは曲を聴いてみてほしい。レイ・ヴォーンでもおなじみの、特徴的なギターのイントロから始まる、スロー・ブルース。

シンプルなバック・サウンドに乗って歌われる、デイヴィスの適度に粘りのある声がいい感じだ。テキサスのいなたい雰囲気が、彼のちょっと脂っこい歌声にはある。

間違いやすいのだが、この曲で印象的な早弾きギターをキメているのは、歌っているデイヴィス本人ではなく、フェントン・ロビンスンなのだ。デイヴィス自身はベース担当なので、ご注意を。

したがって、デイヴィスのギター・プレイを聴きたいむきには、10年後、68年以降にレコーディングされた音源を聴いてみてほしい。そのころ以降の彼は、この「Texas Flood」みたいな、直球ど真ん中なブルースというよりはむしろ、ファンキー・ブルースのスタイルに移っている。

レイ・ヴォーンが90年にこの世を去り、彼の後押しを得て現役で頑張っていたデイヴィスもその後を追うように94年に亡くなってから、もう18年も経ってしまった。

でも、まったく変わることのない世界が、このわずか3分未満の音源の中に、いまもしっかりと続いているのだ。

VIVA BLUES、BLUES FOR EVERと呟きたくなるのだよ、この一曲を聴くたびに。

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音曲日誌「一日一曲」#241 レオン・ラッセル「Hummingbird」(Leon Russell/Shelter)

2023-11-28 05:59:00 | Weblog
2012年11月11日(日)

#241 レオン・ラッセル「Hummingbird」(Leon Russell/Shelter)





シンガー/ソングライターのハシリ的存在である白人シンガー/ピアニスト、レオン・ラッセルのデビュー・アルバムより。ラッセル自身の作品。

レオン・ラッセルは42年オクラホマ州ロートン生まれ。10代の頃からバンドマン、またスタジオ・ミュージシャンとして幅広く活動し、その一方でカーペンターズをはじめとする多くのアーティストに楽曲を提供し、自らもソロ・シンガーとしていくつものヒットを飛ばしている。

ま、そのへんは皆さんご存じだろうから、ここでは詳しく触れるつもりはないが、その音楽の影響力はハンパなく、その交友関係はとてつもなく広かった。

例をあげてみると、デイヴィッド・ゲイツ(ブレッド)、ジェリー・リー・ルイス、ローリング・ストーンズ、エリック・クラプトン、ジョー・コッカー、フィル・スペクター、べンチャーズ、デラニー&ボニー、ビートルズ、スティービー・ウィンウッド、マーク・ベノ、エトセトラ、エトセトラ。とにかく、英米を股にかけた活躍ぶりだった。

彼の曲をカバーしたアーティストも、スゴい。レイ・チャールズ、B・B・キング、ジョージ・ベンスン、アレサ・フランクリン、フランク・シナトラ、ウィリー・ネルスンといった大どころが勢揃いなのだ。

そんな彼の諸作品の中でも筆者が気に入っているのが、「Hummingbird」である。

この曲は翌年、盟友ジョー・コッカーとのアルバム「Mad Dogs And Englishmen」でも再度録音されたが、なんといってもB・B・キングによるカバーで一躍有名になったといえる。

70年リリースのアルバム「Indianola Mississippi Seeds」に収められているバージョンは、BB本人のほか、ラッセル、ジョー・ウォルシュ、ラス・カンケル、メリー・クレイトンらが参加しており、ブルースと白人のポップス、ロックが融合されたサウンドとなっている。

一方、ラッセル自身のバージョンも、なかなか面白いアレンジだ。イントロはまるでデルタ・ブルースのような、アコギのストロークで始まるが、それに続くメロディ・ラインは必ずしもブルース的とはいえず、転調を繰り返したりして、まことに変幻自在だ。

そして、オルガンや女声コーラスやサックスのソロをたくみに配し、ドラマティックな音作りに成功している。

筆者がこの曲を聴いて、ふと思い出したのは、その後デビューすることになる、ビリー・ジョエルだ。

その声質こそだいぶん違うものの、ピアノをフィーチャーし、R&Bをベースとした粘りのあるサウンドということでは、両者は意外なほど近しい。

ラッセルのクセの強いダミ声に比べると、ジョエルのそれはかなり聴きやすく、よりポピュラリティを得やすかったということだろう。

それはともかく、ラッセルの生み出すメロディ・ライン、その創り出すサウンドは、職人芸とよぶにふさわしい。聴き手の期待をけっして裏切らず、いや、それ以上のものを必ず見せてくれるのだ。

トップ・アーティストたちを魅了したメロディ・メイカー、レオン・ラッセルの才能がまるごとつまった一曲。誰にでも出来るワザではおまへん。まさに神曲(かみきょく)であります。

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音曲日誌「一日一曲」#240 ジョニー・ラング「Cherry Red Wine」(Wander This World/A&M)

2023-11-27 05:48:00 | Weblog
2012年11月3日(土)

#240 ジョニー・ラング「Cherry Red Wine」(Wander This World/A&M)





今週も白人ギタリスト/シンガーだ。81年生まれの若手、ジョニー・ラング98年のセカンド・アルバムより。ルーサー・アリスンの作品。

ノースダコタ州ファーゴに生まれたラングは、12歳でライブに接してブルースに開眼、ギターを始めるや、みるみる上達してローカル・バンドに参加、フロントマンとなる。

インディーズのアルバムが3万枚も売れ、ルーサー・アリスン、バディ・ガイ、ジミー・ヴォーン、B・B・キングといったベテラン・ブルースマンとも共演して話題となり、96年、16歳の若さでA&Mよりメジャー・デビューしたという超新星であった。

その後も映画「ブルース・ブラザーズ2000」に出演したり、07年にはアルバム「Turn Around」でグラミー賞を受賞したりと、常に話題にはことかかないアーティストだが、日本ではあまり人気があるとはいえない、特にコアなブルースファンにおいては。

そのワケを考えてみるに、やはり、彼らに根強い「黒人ブルース原理主義」というのが大きくかかわっているのだろう。クラプトンの音楽でさえブルースとしてはあまり評価しない、みたいな。

しかしですね、音楽を人種・民族で切り分けるなんて、どう考えてもナンセンスでしょ。

すぐれた歌唱や演奏をしているのであれば、それが黒人だろうが、白人だろうが、はたまた東洋人であろうが、関係ないはず。

ジョニー・ラングは、さまざまな黒人アーティストを聴き続けてきた(筆者を含む)人々にも、十分訴求するものをもつ、本当の実力派だと思うのである。

論より証拠、まずはこの「Cherry Red Wine」を聴いてほしい。

これはルーサー・アリスンでおなじみのスロー・ブルース・ナンバーのカバーだが、ラングは過剰なまでの熱唱を聴かせてくれる。

もちろん、アリスン直伝の泣きのギター・プレイも素晴らしいのだが、それ以前にボーカリストとして十二分の表現力を持っていることが重要なのだ。

黒人ブルースマンでも、ギターは上手いが歌は愛嬌程度、みたいなのが多いなかで、彼は実に真剣に歌に取り組んでいることが伝わってくる。

ところどころヤリ過ぎ感があるのも否めないが(笑)、17歳の血気盛んな青少年としては、こういう「熱暴走」こそがふさわしいという気もする。

はっきり言って、高校2年のときの自分がこれだけ歌えていたかというと、まったく足元にも及ばなかったと思う。やっぱ、スゲー人なのだ、ラングは。

もちろん、「若いのにスゲー」という評価だけでは、すぐにやっていけなくなる。20代半ばともなれば、年齢による甘い採点はなくなる。

でもその後も、より男臭く、硬派なイメージで成長し続けるラングを見るにつけ、一過性のアイドル・ブルースマンではなく、その実力はホンモノだったんだなと感じる。十年、二十年としぶとく生き残り続けること、これこそがアーティストの実力の証明なのだ。


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音曲日誌「一日一曲」#239 ライ・クーダー「Smack Dab In The Middle」(Chicken Skin Music/Reprise)

2023-11-26 05:37:00 | Weblog
2012年10月28日(日)

#239 ライ・クーダー「Smack Dab In The Middle」(Chicken Skin Music/Reprise)





白人ギタリスト/シンガー、ライ・クーダー、76年のアルバムより。チャールズ・キャルフーンの作品。

クーダーといえば、ヒット曲こそ少ないものの、やたら玄人にウケる、いわゆる「ミュージシャンズ・ミュージシャン」の最右翼みたいなアーティストだ。

その音楽性は異常なほどカバー範囲が広く、ブルース、R&B、ソウル、カントリー、テックス・メックス、ケイジャンなど多岐にわたっている。

その彼の代表的アルバムが「Chicken Skin Music」だが、とにかくカバーしている曲のセンスには唸らされる。たとえばレッドベリーだったり、ピンク・アンダースンだったり、ベン・E・キングとリーバー=ストーラーだったりするわけだが、その中でも、ひときわ異彩を放っているのが、この曲なのである。

作者はチャールズ・キャルフーン。「誰や?」というツッコミが100%来そうだが、この人、実はイマイチな知名度のわりに、その作品がえらくさまざまなアーティストに影響を与えているんである。

本名、ジェシー・ストーン。といっても、ロバート・B・パーカーの書いた警察署長シリーズの主人公ではない(コアなネタですまん)。1901年カンサス生まれの、ピアニスト兼ソングライターなんである。

ミンストレル・ショーの一座で育った彼は、生まれながらのショーマン。20代半ばには「ブルース・セレネーダーズ」なるバンドを組んで、27年に最初のレコードを出している。同じくカンサスのジャズマンであるカウント・ベイシーとも付き合いがあった。

その後、カンサスからニューヨークに移住。ビッグバンドのリーダーとして、アポロ劇場に出演する一方で、ソングライター、アレンジャーとしても活躍するようになる。スウィング・ジャズ・ブームの一翼を担った一人なのである。

ルイ・ジョーダンが在籍していたチック・ウェブ楽団、ジミー・ランスフォードなどのために曲を書き、それらがヒットしていった。ただ、彼はあくまでも裏方に徹していたので、作曲家・ジェシー・ストーンという名前はさほど浸透していかなかった。

その後黒人音楽のメインストリームがスウィング・ジャズからR&Bに変化していくと、それにも見事に対応、ロックンロールの原型のような曲も生み出したのである。それが50年代のレイ・チャールズの「Losing Hand」や「Money Honey」、ビッグ・ジョー・ターナーの「Shake, Rattle And Roll」や「Flip, Flop Anf Fly」なのである。チャールズ・キャルフーンは、その頃使い始めたペンネームという。

それを知ると、彼が当時いかに強力なヒットメーカーであったかがわかるだろう。白人のリーバー=ストーラーにも匹敵する存在だったのだ。

60年代にはシンガー、ラバーン・ベイカーのプロデューサーとして活躍していたが、ほどなく引退。フロリダを余生を過ごす地として選んでいる。99年、その地で97歳の天寿を全うする。

彼の作品は、上記のシンガーのほか、エルヴィス・プレスリー、サム・クック、ビートルズなどさまざまなトップ・ミュージシャンたちが取り上げていて、枚挙にいとまがない。

ライ・クーダーもロック・コンポーザーの始祖としてのキャルフーンにリスペクトを抱いており、71年の「Into The Purple Valley」で「Money Honey」をカバーしており、本曲で二度目のカバーとなる。

聴いてみると、いかにもクーダーらしく、ブルース、カントリーなどのルーツ・ミュージックをゴッタ煮にして、ポップな味付けをしたような感じ。

この曲はもともとレイ・チャールズのレパートリーだったのだが、元歌とはかなり趣きが異なる。ふたりともyoutubeにライブ映像がアップされているので、聴き比べてみると興味深い。

ウィットのある歌詞といい、リズム感あふれるメロディ・ラインといい、バンド・ミュージックを知り尽くした人でなくては書けないカッコよさに溢れている。

レイ・チャールズのように、ジャズィにキメるもよし、ライ・クーダーのようにちょいとイナタくキメるもよし。歌い手を選ばないところが、また、名曲の名曲たるゆえんでしょう。





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音曲日誌「一日一曲」#238 レア・アース「Get Ready」(Get Ready/Motown)

2023-11-25 05:29:00 | Weblog
2012年10月21日(日)

#238 レア・アース「Get Ready」(Get Ready/Motown)





白人ソウルバンド、レア・アース70年のヒット曲。スモーキー・ロビンスンの作品。

レア・アースはデトロイトで60年に結成された5人編成のバンド。当初はサンライナーズと名乗っており、68年にレア・アースに改名。69年にモータウンと契約、レコードデビューを果たす。

70年に同じレーベルの先輩格、テンプテーションズのカバーとして、「(I Know)I'm Losing You」そしてこの「Get Ready」の2曲を立て続けにシングルヒットさせ、注目を浴びるようになる。

モータウンと契約した白人バンドとしては、彼らより前にラスティックスというのがいたのだが、鳴かず飛ばずで終わったので、ほとんど知られていない。彼らが最初の成功ケースとなった。

既にこの手の白人バンドとしては、ダンヒル・レーベルのスリー・ドッグ・ナイトが華々しい成功を収めていたので、レア・アースはなにかにつけ彼らと比較されていたのを思い出す。

パッと聴いただけでは、とても白人とは思えない、パワフルな歌声とグルーヴあふれる演奏。公民権運動、あるいはオリンピックをはじめとするスポーツ界での活躍など、ブラック・パワーに押され気味だった当時のアメリカ白人層だったが、「白人だってソウルしたい」という願望を叶えてくれたということで、この二つのバンドの人気はうなぎ昇りとなったのである。

が、もちろん、黒人たちにとってはほとんど関心の対象とはならず、彼らのライブ映像を観ていただくとおわかりのように、観客すなわち支持層はもっぱら白人だった。

本家本元の黒人たちからすれば、「白人ソウルバンドは、しょせんオレたちの猿真似にすぎない」と思われていたんだろうなぁ。悲しい話だが、まあ、いたしかたないという気もする。

歌や演奏については、オリジナルと比べても遜色はないのが、いかんせん、見た目がイマイチだ。テンプスのあの垢抜けたパフォーマンスを観てから、都会出身なのにどこかもっさりした彼らを観ると「カッコいい!」とはいいがたい。

エディ・ケンドリックスの洗練されたファルセットに比べると、ドラマー兼ボーカルのピーター・リヴェラの歌声はちょいと暑苦しいしね。

ただ彼のリズム感については、さすがと言わせるものがある。ビートルズやストーンズを聴いてきてそれらが標準と思っていた当時の筆者の耳は、その抜けのよいドラミングに、ものすごく白人ばなれしたものを感じたのである。

いまならば、彼ぐらいの演奏はどうってことないと片付けられそうだが、当時の白人ドラマーとしては群を抜いていたのは間違いないだろう。

ただ、ルックス、パフォーマンス、作曲力など、演奏力以外の取り柄がなかったのが災いして、レア・アースはその後大きく人気が伸びることはなかった。日本での人気はないに等しかったしなぁ。

ということで、彼らのことを覚えているリスナーはいまではごく少数だと思うが、でもこうして動画サイトで約40年も昔のレアな映像が観られるってことは、少ないなりに熱心なファンがいるのだろう。

おそらく大半の皆さんにとっては、初めて聴く音だと思うが、きょうびのR&Bにはない、独特の熱いグルーヴがそこにはある。

レア・アースのうねるようなビート、一聴の価値ありです。

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音曲日誌「一日一曲」#237 バディ・ホリー「Not Fade Away」(The Best Of Buddy Holly/MCA)

2023-11-24 06:18:00 | Weblog
2012年10月14日(日)

#237 バディ・ホリー「Not Fade Away」(The Best Of Buddy Holly/MCA)





ロックンロール草創期のスター、バディ・ホリー57年のヒット曲。チャールズ・ハーディン(ホリー自身)=ノーマン・ペティの作品。

ホリーは36年テキサス州ラボックの生まれ。56年にデッカよりレコードデビューするもヒットせず、翌年コーラルより再デビュー。「That'll Be The Day」がヒットして、人気シンガーへの道を歩み出す。

59年2月に飛行機事故のため、22歳の若さで亡くなるまで、短期間ではあったが華々しい活躍をし、ビートルズをはじめとする、後続の多くのバンドに大きな影響を与えている。

きょうの一曲「Not Fade Away」は彼の率いるバンド、クリケッツ名義でブランズウィックから57年10月にリリースされている。その頃は、ソロ名義とバンド名義とを使い分けていたのである。

まずは曲を聴いてみよう。おなじみのしゃっくり(ヒーカップ)唱法で明るく高らかに歌いあげているのが印象に残るが、それと同時にサウンドも特徴的だ。

つまりセカンド・ラインに源流をもつ、ボ・ディドリー・ビートってやつなのだ。まさに黒人音楽のリズムそのもの。

ホリーは白人なので、もちろんカントリーを聴いて育ったわけだが、エルヴィスやジェリー・リー・ルイスのような白人のロックンロール、さらには黒人のR&Bにも同様に大きな影響を受けている。

見た目は眼鏡にスーツ、いかにも都会のインテリっぽい白人青年だが、彼の音楽的嗜好は意外と黒人寄りだったりするのだ。

これはミック・ジャガーの発言だ。「レコードジャケットの写真を見るまでバディ・ホリーは黒人だと思っていた」「バディほど独創的な人はいない。ロックンロールの真の天才だ」。

つまり、ヒット曲はラジオで聴く、というのが一般的だった時代は、アーティストのビジュアルに接する前に、まず音そのものに触れるのが通例だったのである。

イギリスに住むミック少年は、まずラジオでホリーの歌声を耳にし、この人は白人なんだろうか、黒人なんだろうかと想像をめぐらし、しばらくしてホリーのレコードを見て、「えっ、白人だったの!」と驚いたのである。エルヴィスも、最初にオンエアされたときは、リスナーからはほとんど黒人だと思われていたというが、彼の唱法が、カントリーに代表される白人音楽のそれとはあまりにかけ離れていたからだろう。ホリーもまたしかり。

ホリーの見事なまでのハイブリッドなサウンド、そして野性派、肉体派のエルヴィスとはまったく違ったスマートで知的な雰囲気は、ロックンロールの新しいファン層を開拓した。それまでの「ガテン系」「不良系」な人々だけでなく、「一般ピープル系」をもまきこんだムーブメントとなっていき、それはビートルズやマージービートの諸バンドに引き継がれていく。

ところで、ローリング・ストーンズもこの「Not Fade Away」を演っていることをご存じだろうか。実は彼らのアメリカでのデビューシングルは、この曲だったのである。

ドスのきいたボーカルが売りのストーンズと、ハイトーンで歌うホリー、ちょっと意外な組み合わせだが、この曲がボ・ディドリー・サウンドであることを考えると、腑に落ちるのではないかな。

そう、雑誌ポパイのキャッチコピーじゃないけど「アメリカ大好き少年」だったミック、キース、ブライアンらにとって、ボ・ディドリー・サウンドを演奏すること自体、夢や憧れであったのだ。嬉々としてカバーしたのは、そういうわけだ。

ロックンロールという3分足らずのショーが、本国アメリカはもちろん、英国、日本など世界中の若者を魅了し、言語の違いさえも越えて、あっという間に世界標準となった。

その過程で、エルヴィスと同じくらい影響力があったのが、彼、バディ・ホリーだ。眼鏡ロッカーのはしりというだけでなく、ギター・バンドというフォーマットを定着させたのも大きな功績だ。今日、ホリーの作ったバンド・スタイルと無縁なバンドなんて、まず存在しない。

たった数年間の活動だけで、以後50年以上にわたって全世界に影響を及ぼし続けるなんて、やっぱりミックのいう通り、ホリーは天才以外のなにものでもないね。


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音曲日誌「一日一曲」#236 ロバート・パーマー「Trick Bag」(Riptide/Island)

2023-11-23 05:14:00 | Weblog
2012年10月7日(日)

#236 ロバート・パーマー「Trick Bag」(Riptide/Island) 





英国のシンガー、ロバート・パーマー、85年のアルバムより。アール・キングの作品。

パーマーは49年、ウェスト・ヨークシャー州バトリーの生まれ。10代の頃から歌い始め、72年にR&Bバンド、ビネガー・ジョーのボーカリストとしてレコード・デビュー。バンドは鳴かず飛ばずだったが、74年にソロデビューを果たす。

デビュー・アルバムのバックにはミーターズが起用されるなど、そのサウンドはアメリカ、それも南部への指向が非常に強かった。78年「Every Kinda People」が最初のスマッシュ・ヒット、翌年にも「Bad Case of Loving You」がヒットして、注目されるようになる。

80年代前半は、アメリカでのヒットが途絶えていたが、85年のアルバム「Riptide」からは「Addicted To Love」「Didn't Mean to Turn You On」が連続ヒット、それぞれ全米1位、2位という大成果を収める。

同年にはデュラン・デュランのアンディ・テイラーらに請われてスーパー・バンド、パワー・ステーションにも参加し人気を博したので、その年はパーマー最大の当たり年だったといえるね。

さて、きょうの一曲は、前述のヒット曲群ではなく、カバー・ナンバー。ニュー・オーリンズ出身のユニークなブルースマン、アール・キングの代表的ヒットだ。

つーか筆者的には、永井ホトケ隆さんが約10年前にやっていたバンド、そしてこの「巣」を作る直接のきっかけともなった「tRICK bAG」の名前はこの曲にちなんでいるので、非常に大きなモーメントをもっている曲なのだ。

ミーターズもカバーしたことのあるこの「Trick Bag」は、62年、キングがインペリアルにて録音。

キングは同じくN.O.で活躍したブルースマン、ギター・スリムの影響を強く受けているが、このふたりに共通するのは、脱力系といいますが、いい感じに肩の力が抜けたボーカル/ギターのスタイルでしょうな。

ほとんどヘタウマといってもいいのですが、でも侮れないのは、ふたりの作曲センス。

他の個性の違うシンガーが歌ってもピシッときまるような、メロディとリズムの絶妙なコンビネーションが心憎いばかりなのです。

この「Trick Bag」もまたしかり。パーマーの張りのあるボーカル・スタイルでも、キングのトボけた歌い口とはまた違った味わいがあるのですわ。

バックは80年代半ばだけに、流行を反映してかなりニューウェーヴ、あるいはエレクトリック・ポップ色が強く、シンセサイザー音がビンビンって感じだが、これもまたオリジナルのアレンジとは違ったカッコよさである。ちなみにプロデュースとベースは、シックのバーナード・エドワーズ、ドラムスは同じくトニー・トンプソン、キーボードはグレース・ジョーンズのバックなどで知られるウォリー・バダルー。ファンキーかつ洗練された先進的なサウンドは、彼らならではものだ。

彼らのある意味無機質的ともいえる音に、人間臭くアクの強いパーマーのボーカルが絡むことで、この「Trick Bag」は無双の出来ばえとなった。

いかにオリジナルとは異なる味を加えられるかで、カバー・ナンバーとしての成功/不成功は決まってくる。となれば、このパーマー版は、見事な成功例のひとつといえるだろう。

2003年に、54歳の若さでこの世を去ったのが本当に惜しまれるひとだ。でも、彼の遺したもろもろのアルバムを聴けば、いつだって彼の素晴らしさにふれることができる。

流行をうつし出したサウンドは、歳月を経て聴くと、ときにものすごく陳腐に思えたりするが、パーマーの場合はけっしてそういうことがない。それは彼の骨太の歌声が、ソウル・ミュージックというものの、根源的なものを確実に体現にしているからなのだ。必聴です。

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音曲日誌「一日一曲」#235 バディ・ガイ「Let Me Love You Baby」(Damn Right, I've Got The Blues/Silvertone)

2023-11-22 05:22:00 | Weblog
2012年9月23日(日)

#235 バディ・ガイ「Let Me Love You Baby」(Damn Right, I've Got The Blues/Silvertone)





ことしで76歳。現役最年長ブルースマンのひとり、バディ・ガイ、91年のアルバムより。ウィリー・ディクスンの作品。

バディ・ガイは36年、ルイジアナ州レッツワース生まれ。57年にシカゴへ出て、マディ・ウォーターズらのバックミュージシャンとなる。翌年にはアーティスティックよりレコード・デビュー。以来、チェス、ヴァンガード、ワーナーなどのレーベルから、ソロおよびジュニア・ウェルズとのデュオとして、数々のアルバムをヒットさせている。

そんな彼も80年代は失速気味でレコーディングの機会に恵まれなかったが、90年代に入りシルバートーンに移籍するや息を吹き返し、以降、精力的にアルバム制作、そしてライブ活動を続けている。B・B・キングと並ぶ、「生きたブルース伝説」といえるだろう。

さて、きょうの一曲は、その大復活のきっかけとなったシルバートーンでのファースト・アルバムより。彼のチェスにおけるセカンド・アルバム「I Was Walking Through the Woods」に収められていた60年代の名曲、「Let Me Love You Baby」の再演である。

レコーディング・メンバーはバディのほかに、ジョン・ポーター、ニール・ハバードがギター、グレッグ・アーザブがベース、リッチー・ヘイワードがドラムスで参加している(ピアノはノー・クレジット)。3ギターという、厚みのあるサウンドが特徴だ。

ライブでも定番となっているこの曲、約30年間、何百、何千回となく演奏されているだけに、100%完成したスタイルとなっており、一瞬として無駄な展開がない。

おなじみの特徴あるイントロで始まり、そこからはもう、お約束の世界。ヒステリックなバディのシャウトが聴く者のハートをゆさぶり、派手にスクウィーズするナチュラル・ディストーション・ギターが、ところ狭しと暴れまくる。これくらい耳に心地よいバイオレンスはない、といっていいんじゃないかな。4分弱の短い一曲に、バディのすべてが凝縮されているのだ。

筆者も、10年前、2002年のジャパン・ブルース・カーニバルのトリで登場したバディ・ガイを観る機会があったが、とにかくハイ・テンションでとどまることを知らぬ66歳のパワーに圧倒されたことを、ほんの昨日のことのように覚えている。

彼の最近の演奏はyoutubeなどで観ることが出来るが、年齢とともに枯れていくどころか、パッショネイトなパフォーマンスはいまもまったく変わらないようだ。さすがやな~。

引退することなく、このままずっと現役を続けていってほしいもんだ。いやホント。

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音曲日誌「一日一曲」#234 スタッフ「Signed, Sealed, Delivered I'm Yours」(Live Stuff/Warner Bros.)

2023-11-21 05:00:00 | Weblog
2012年9月16日(日)

#234 スタッフ「Signed, Sealed, Delivered I'm Yours」(Live Stuff/Warner Bros.)



1970年代に活躍したフュージョン・バンド「スタッフ」の、日本でのライブ盤より。スティービー・ワンダー、シリータ・ライト、リー・ギャレット、ルーラ・メイ・ハーダウェイの作品。78年、東京郵便貯金ホールにて録音。

スタッフは76年にアルバム「Stuff」でレコード・デビューした6人組。ツイン・ギター、ツイン・ドラムスにベース、キーボードという編成だ。もともと、ニューヨークのライブハウスやスタジオで活動していたプロミュージシャンたちが集うセッション・バンドであり、メンバーは流動的だったが、70年代なかばにはほぼ結成メンバーに固まり、ジョー・コッカーのアルバム「Stingray」 のバックや、モントルー・ジャズ・フェスティバルでのライブなどで注目されるようになる。

当時のフュージョン・バンドとしては、ホーン主体のクルセイダーズと好一対をなすかたちで、ギター中心のスタッフが、群を抜いて人気が高かったのを覚えている。

レコードデビューするや否や、FMラジオで連日パワー・プレイ。彼らの「My Sweetness」や「Foots」がかからぬ日はなかったと断言できる。

翌77年にはセカンド・アルバム「More Stuff」を発表、こちらも大ヒット。

その勢いに乗って、78年には初来日。きょうの一曲を含むライブ・アルバム「Live Stuff」を残すことになる。

さてそのスティービー・ワンダーの「Signed, Sealed, Delivered I'm Yours」、邦題「涙をとどけて」だが、実は6人全員の演奏によるものではない。ツイン・ドラムスのうちのひとり、クリス・パーカーはこのとき、急病のため参加できなかったのだ。

したがって、この演奏は正確には「スタッフ-1」によるわけだが、それがけっして悪い結果に向かわなかったのは、聴いていただければすぐわかると思う。

ツイン・ドラムスというのは、サウンドが多彩になるというメリットがある半面、演奏にそれなりに制御や連携が必要になり、ドラマーひとりの場合ほど好き勝手な演奏はできないということにもつながる。

今回は、もうひとりのドラマー、スティーブ・ガッドが思うがままにプレイしており、これがライブならではの魅力となっている。

曲は、終始アップ・テンポで軽快に進む。まずは、コーネル・デュプリーのギターによるテーマ演奏から始まり、リチャード・ティーのピアノがそれに絡んでいき、その後のギター・ソロが終わってからが、ホントにスゴい。

ティーの異常なまでに速いソロに、まったくひけをとることなくピタッとついていくガッドのハイハット・プレイ。お見事のひとことである。

そして、ハイライトはガッドのドラム・ソロが約1分10秒。そのハイ・テンションなプレイには、舌を巻くしかない。

その後、エリック・ゲイルの粘っこいギター・ソロが引き継ぎ、ステージは最高潮に達し「スタッフのテーマ」へとなだれこむのだが、長いので前半でカット。それでも11分30分以上におよぶわけだが。

とにかく、各メンバーの実力が最大限に発揮された一曲。

スタッフといえば、ティーのフェンダー・ローズをフィーチャーした透明感のある曲調、あるいはファンキーでやや泥臭いミディアムの曲調のものが多いようには思うが、本気を出せば、どんなバンドにも負けないハイ・テンションなアップ・テンポで演れるんだということがわかる。

ジャズの洗練とR&Bの泥臭さの絶妙なブレンド、それがスタッフという名のカクテル。

その究極のグルーヴを、味わってみてくれ。

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音曲日誌「一日一曲」#233 トミー・マクレナン「Baby Don't You Want To Go」(The Bluebird Recordings 1939-1942/RCA)

2023-11-20 05:31:00 | Weblog
2012年9月9日(日)

#233 トミー・マクレナン「Baby Don't You Want To Go」(The Bluebird Recordings 1939-1942/RCA)





1930~40年代に活躍した黒人シンガー/ギタリスト、トミー・マクレナンのナンバー。ロバート・ジョンスン「Sweet Home Chicago」のカバー。39年録音。

これまで取り上げてきたブルースナンバーの中でもかなり古い時代に属するのだが、聴いてみたら、みょうにビビッドでドキッとしてしまうんじゃないかな。

マクレナンは1908年、ミシシッピ州ヤズーの生まれ。ロバート・ジョンスン(14年生まれ)よりは、少し年長の世代である。

デルタ・ブルースとよばれるスタイルでは、後期に属している。シカゴに移住して都市で活動してはいたが、南部人の破天荒な持ち味をずっとなくさずにいたタイプ。

まず、声がスゴいよね。オリジナルのロバジョンとは対照的な、低めのダミ声で唸るようにこの歌をうたわれると、全然違った曲に聴こえてしまう。

野性的なのは声だけでなく、叩き付けるように弾くギターもまたワイルド。スギちゃんもビックリである。

ブルースマンが本来もつヤクザっぽい雰囲気を、まったく隠すことなく、さらけ出している感じだ。

やたらと「イエイ」というフレーズをはさむところ(口癖か?)といい、歌いながら笑い出したり、最後にはベティ・ブープの呪文のような言葉で締めるところとか、相当お茶目なひとだったようである。

シブさというより、インパクトとパンキッシュな感性で勝負する自由人タイプ。フリーダムな彼には、シカゴブルースの元締め的存在、ビッグ・ビル・ブルーンジーの睨みもきかなかったらしく、「ニガーなんて言葉を歌詞に使うな」という制止などまったく無視していたらしい。あっぱれな野生児であるな。

マジック・サム版やブルース・ブラザーズ版のヒットによって「Sweet Home Chicago」は、今日ではブルース愛好者、いやそれ以上の広範囲のリスナーでブルース・スタンダードとして認められているが、36年の初録音当時はまったく地味な存在であった。それがここまで大きな存在になったのは、このマクレナンによるカバーによるところ大だと思う。

何者にも縛られることのない、ヤクザっぽいところではどこか共通した因子をもつ、ジョンスンとマクレナン。このソウル・ブラザーズのふたつの魂が共鳴しあうことで「Sweet Home Chicago」は、とてつもなく大きなパワーを持つようになったのだと思う。

本能むき出しのストレートな表現力、ワンアンドオンリーなブルース者(もの)、トミー・マクレナンの渾身のひと咆え、一聴の価値ありです。

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音曲日誌「一日一曲」#232 ロスコー・ゴードン「T-Model Boogie」(Rosco's Rhythm/Charley)

2023-11-19 05:58:00 | Weblog
2012年9月2日(日)

#232 ロスコー・ゴードン「T-Model Boogie」(Rosco's Rhythm/Charley)





1940~50年代に活躍した黒人シンガー/ピアニスト、ロスコー・ゴードン、52年のヒット・シングル。ゴードン自身の作品。

ゴードンは28年(34年説もあるが、今日ではもっぱらこちらが有力のようだ)テネシー州メンフィスの生まれ。

彼といえば、マジック・サム、リトル・ミルトン、ロリー・ギャラガーらにカバーされてヒットした「ジャスト・ア・リトル・ビット」があまりにも有名で、その一曲だけのひとと思われがちだが、んなこたぁない、数々の輝かしいヒット曲を持つスター歌手だったのだよ、お立ち会い。

当時のメンフィスでは、若き日のB・B・キング、ボビー・ブランドといった新進気鋭のミュージシャンが活動していて、ビール・ストリーターズと総称されていたようだが、その中で頭ひとつ抜きん出ていたのが、ロスコー・ゴードンだった。

51年にレコードデビュー。同年リリースしたシングル「ブーテッド」がR&Bチャート1位となり、一躍スターダムに躍り出た。翌52年の「ノー・モア・ドッギン」も同じく2位。以降もチェス、デューク、サン、ヴィー・ジェイといったレーベルから、多くのヒットを放っている。

彼のスタイルは、明朗にして快活なピアノ・ブギだ。メリハリのはっきりした、躍動感あふれるそのブギは「ロスコズ・リズム」とも呼ばれたほどだ。

きょうの一曲もまた、その典型的なパターン。ラフともいえるラウドなボーカルと、ピアノの叩き出す強力無比のブギ・リズム。まさに、ロックンロールの原型的サウンドなのだ。

ワンパタ-ンなれど、実にアグレッシブでイカした音ではないか。当時大人気を博したのも、むべなるかな。

その後60年代後半には表舞台から消え、モダン・ブルース・シーンは、BBやブランドらが引き継ぐことになるのだが、モダン・ブルースのトップバッター的存在だったゴードンのサウンドは、海を越えてジャマイカの音楽にも少なからぬ影響を及ぼしたらしい。もちろん、そのリズムの魅力によって。

自分的には、ロリー・ギャラガーのカバーで初めて彼の存在を知り、その後もなかなか彼自身の音にふれる機会がなかったが、きちんと聴いてみると、その音楽のパワーにはとにかく圧倒される。

スタイルはブルースだけどポジティブ、聴くと生きる力がみなぎってくるのが、彼の音楽だと思う。

ロックの始祖のひとりともいえるゴードンの、圧倒的なストレート・パンチを喰らってみてくれ。

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音曲日誌「一日一曲」#231 ミスター・ビッグ「30 Days In The Hole」(LIVE/Atlantic)

2023-11-18 05:40:00 | Weblog
2012年8月25日(土)

#231 ミスター・ビッグ「30 Days In The Hole」(LIVE/Atlantic)







アメリカのハードロック・バンド、ミスター・ビッグ、92年サンフランシスコでのライブ・アルバムより。スティーブ・マリオットの作品。

ミスター・ビッグは88年、既に他のバンドで実力のほどを証明していた技巧派4人がサンフランシスコで結成、89年アトランティックよりデビュー、即大人気を博したスーパーグループだ。

ミスター・ビッグといえば、どうしてもポール・ギルバートのギターやビリー・シーンのベースの超絶技巧で語られることが多いバンドだが、もちろん、バンドの魅力はそれだけではない。

リード・ボーカルのエリック・マーティンの歌のうまさに加えて、他のメンバーのコーラスワークもなかなかハイレベルであり、演奏・歌、その両面において、死角なしのスーパーなバンドといえるだろう。まさにバンド名にふさわしい実力なのだ。

ロックの歴史では、常に「ソロボーカル中心の時代」と「コーラス中心の時代」が、わが国の源氏平氏の政権交代のように、あるいはロシアのゲーハー/非ゲーハー大統領の政権交代のように、交互にやってくるというジンクスがある。

具体的に見ていこう。まず50年代は、エルヴィス・プレスリーによるソロボーカルの時代、次いで60年代はビートルズによるコーラスの時代、そして70年代はレッド・ツェッぺリンによるソロボーカルの時代というふうに、交互に訪れてくるのだ。

70年代の後半からは、ふたたびコーラス中心の時代になっていく。イーグルスとドゥービー・ブラザーズがその代表選手だ。

ひとりの強力なリード・シンガーですべてをカバーできればソロ、ひとりがそれほどの力を持っていない場合は、多人数のコーラスワークを前面に押し出していくことになるのだが、80年代後半以降は少し事情が変わってきたように思う。

84年デビューのボン・ジョビ、そしてこの88年デビューのミスター・ビッグに顕著だと思うのだが、ソロボーカルでも十分実力のある者を確保した上で、コーラスワークにも手を抜かず、ソロボーカルをさらに引き立てていくという戦略をとっているのだ。

前の時代の、各シンガーの少し弱いところをカバーするためのコーラスでなく、リード・ボーカリストとコーラス陣がともに高いレベルにあるという、より高次なステージへと進化しているのだ。似たようなことは、85年デビューのエクストリームについてもいえると思う。

こうなってきた背景としては、とにかくロックというものが一般化して、数十年前とは比べものにならないくらいロック・ミュージシャンの人数が増えたことがあるだろう。単に歌がうまいだけ、単に楽器がうまいだけでなく、その両方に熟達した層が増えてきたことが大きいと思う。

また、リスナー層も同様に厚くなり、聴く耳が肥えてきたことも大きい。歌・演奏ともに、より優れた、スーパーなものを要求するようになってきたのだ。

80年代半ば以降に登場するバンドは、そういうリスナーの「欲張りなリクエスト」に応えたバンドが多いといえる。

ただ、この高度の技術を追究する傾向があまりに行き過ぎると、当然、逆方向へ向かうバンドも出てくる。オルタナ/グランジという方向性だ。

さて、きょうの一曲について少しふれておくと、第2期ハンブル・パイ72年の名アルバム「スモーキン」に収められていたナンバー。

マリオットのブラック・ミュージックまっしぐらな嗜好がそのまま反映された「濃い」曲だが、ミスター・ビッグは相当この曲がお気に入りだったようで、89年のデビュー・アルバム「MR. BIG」で既にカバーしているのだ。

ライブでも、もちろん定番曲として演っていたわけで、テクニックの披瀝よりも楽曲本位で勝負しようという、彼らの意外とオーソドックスな指向性をそこに見ることができるだろう。

ハードでタイトな演奏はいうまでもないが、歌やコーラスの出来映えもなかなかのものだ。

「けれん」だけでなく、ベーシックな部分でもロックを深く追究するミスター・ビッグ。本物の才能とはこういうものだね。

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音曲日誌「一日一曲」#230 ジョー・コッカー「You Are So Beautiful」(I Can Stand a Little Rain/A&M)

2023-11-17 05:23:00 | Weblog
2012年8月19日(日)

#230 ジョー・コッカー「You Are So Beautiful」(I Can Stand a Little Rain/A&M)





英国のシンガー、ジョー・コッカー、75年のヒット曲。ビリー・プレストンの作品。

ジョー・コッカーは44年サウス・ヨークシャー州シェフィールドの生まれ。学校を中退して働きながらプロの歌手を目指すが、下積みが長く、注目されたのは68年にA&Mより2度目のデビューをして、ビートルズの「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」のカバーがヒットしてからだ。

さらには、レオン・ラッセルのサポートのもと、69年ウッドストックに出演し、その圧倒的な歌唱力、激しいパフォーマンスを披露したことが、彼の人気を決定づけ、アメリカでも何曲かのヒットを飛ばすこととなる。

その後、「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」という大所帯のツアー・バンド(リタ・クーリッジもその中にいた)を率いて活躍していたが、ラッセルや曲作りのパートナー、クリス・ステイトンがバンドを離れ、豪州で大麻所持により逮捕されたことも重なり、しばらくはヒットも途切れてしまう。

しかし、そこでへこたれずに、74年にアルバム「I Can Stand a Little Rain」の制作を再開、翌75年には同アルバムからカットされたこの「You Are So Beautiful」で大ヒットを飛ばしたのだ。まさに七転び八起きの人生。

この曲はもともと、黒人シンガー、ビリー・プレストンの74年のアルバム「The Kids And Me」に収められていたもの。同アルバムは「Nothing From Nothing」という大ヒットを生んでいるが、もう一曲、この「You Are So Beautiful」という名曲を擁していたのだ。

それまでも数々のカバー・ヒットを放ってきたコッカーはこれに注目、さっそく自らのレパートリーとして取り入れ、ご本家プレストン以上に売れてしまった。いまでは、「You Are So Beautiful」といえばコッカーの曲、というイメージすらある。

まずは、聴いてみよう。ピアノによる美しいイントロは、名ピアニスト、ニッキー・ホプキンスの演奏だ。

このシンプルな演奏をバックに、いつもの塩辛声で歌い始めるコッカー。途中からはストリングスが加わり、このラブ・バラードを盛り立てていく。わずか3分足らずだが、このうえなく高揚感のある愛のうただ。

この曲のヒットにより彼は、従来のブルーアイド・ソウルというカテゴリーから一皮剥けて、より普遍的な「ジョー・コッカー・ミュージック」を打ち立てたのだと思う。

お世辞にもイケメンとはいいがたい風貌、風体なれど、その真摯な歌声は、世界中のリスナーの心を捉えたのである。

以後も彼は、酒やドラッグ漬けからの脱却までさんざん苦労を重ねることになるものの、前向きに音楽に取り組んで、多くのヒットを出していく。一番ポピュラーなのは、なんといっても82年の米映画「愛と青春の旅立ち」の主題歌「Up Where We Belong」(ジェニファー・ウォーンズとのデュエット)だろう。なんと全米1位の大ヒットに輝いたのである。

それもやはり、この74年のカムバックが不発に終わっていたら、まずありえなかったことに違いない。ジョー・コッカーこそは、不屈の魂のひとだな。

音楽のもつ大いなる力(パワー)が、ショービズのゴタゴタ、酒・ドラッグで心身ともにズダボロになった彼を甦らせたのだ。そういう意味でいうと、この類い稀なるラブ・バラードはまた、音楽への永遠不滅の情熱、愛をうたったものとも言えそうだね。

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音曲日誌「一日一曲」#229 ハウリン・ウルフ「Down In The Bottom」(Live In Cambridge, MA./New Rose)

2023-11-16 05:45:00 | Weblog
2012年8月12日(日)

#229 ハウリン・ウルフ「Down In The Bottom」(Live In Cambridge, MA./New Rose)





ハウリン・ウルフ、1966年のライブ盤より。マサチューセッツ州ケンブリッジでの録音。

ウルフのライブ・アルバムとしては、以前「一日一枚」で「Live And Cookin' At Alice's Revisited」を取り上げたことがあるが(2001.2.24)、チェスから出ている公式ライブ盤はその一枚のはずだ。だが、実はもう一枚、市中で堂々と売られているライブ盤があるのだ。

それがこの「Live In Cambridge, MA.」。発売元はフランスのニュー・ローズというレーベル。

アメリカでの録音なのにフランスからリリースとは、まったくもって???なのだが、まあ、事実上ブートレッグ(海賊盤)だからなのだろう。

だから、音質のほうははっきりいってひどい(笑)。筆者のようなウルフマニアでもない限り、購入の必要はないかな。

でも聴いてみるとなかなか興味深いものがある。演奏メンバーは、ウルフ&サムリンに加えて、アリスでのライブにも登場していたエディ・ショウ(t.sax)のほか、ベースは不明、ドラムスは当時バターフィールド・ブルース・バンドにも参加していた、サム・レイ。

アリスでのライブと聴きくらべてみると、一番際立っている差異は、ドラム・プレイだと思う。「静のアリス」に対しての「動のケンブリッジ」。そんな明白な違いがある。

ちなみにアリス盤におけるドラムスは、フレッド・ビロウ。彼は典型的なブルース・ドラマーのひとりといえるだろうが、細かいテクニックには凝るが、さほどパワフルとはいえないタイプ。一方、サム・レイは白人中心のバターフィールド・ブルース・バンドに、同じく黒人のジェローム・アーノルド(b)とともに参加していただけに、ロックなプレイもOKで、非常にパワフルなタイプのドラマーだった。

同じ黒人ドラマーといっても、だいぶんプレイ・スタイルが違うってことだ。これが、各時期のウルフ・バンドの音を大きく左右している。

きょうの一曲「Down In The Bottom」もその好例で、とにかく、サム・レイのプレイが熱いのだ。

まずは聴いていただこう。音質はきわめて悪いが、それでも彼のハッスルぶりが十分伝わってくると思う。

曲調は聴いてすぐおわかりいただけると思うが、ウルフ版「ローリン&タンブリン」。ハイテンポで切れ味鋭いサム・レイのビートに煽られてか、ウルフのボーカルやハープ、サムリンのギター、ショウのサックスもヒートアップ気味なのがよくわかる。

アリス盤における同趣向の曲「When I Laid Down I Was Troubled」と比較すると、一目ならぬ一聴瞭然だ。

66年当時、これだけ熱い演奏をしていたバンドが、どれだけあったか?といいたくなるくらい。そのテンションの高さは、同時代のクリームのライブにも負けていない。

結論。バンド・サウンドの決め手は、ドラムス。その演奏いかんで、バンド全体のテンションさえ、まったく変わる。

サム・レイのハイテンション・ドラミング、ぜひ体験してみて。



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