奥様ご逝去の連絡に続いて笹路眞三氏ご逝去の連絡に接し驚いています。お二人とも、ボランティア精神が豊かでした。ご家庭を訪問すると、いつも奥様がお茶菓子を出して接待してくれました。お二人は中でも外でも礼儀正しい方々だったと思います。
西洗自治会夏祭り、日限山いぶき会いぶき会展、NPO総ぐるみ福祉の会男の料理、日限山小昔遊びなどにおける氏の実績は非常に印象深いものでした。晩年は、一生懸命、町のために生きて燃え尽きた方だと思います。
夏祭りでは、自転車2台を鉄パイプで結合し、台車をつくり、その上に台を置き、またその上にねぷたを置いてねぷた自転車山車をつくりました。この山車は2019年の夏祭りまで何年も長く使われ、子供達に喜ばれました。ねぷたには毎年彼が時の人を描いていました。氏は、昔はテント張りなど会場設営の指導などもやっていたようです。
いぶき会展では、長くその企画実行の実務を担ってきました。会場に自治会館1階洋間を使っていますが、絵画などの展示は、簡便法としては、壁・窓を厚手の布膜で覆って展示する方法がありますが、彼は、手抜きが嫌いで、特別展示パネルを設計制作しました。大きなパネルで、特に台部は分厚い板を使って頑丈に作っていました。制作は大変だったと思いますが、畳1畳ぐらいの大きさのパネルを20枚ぐらい制作しました。
5年ぐらい前だったと思いますが、展示作品が増え、パネルを増やすことになりました。足腰が弱っていた氏に配慮し、別の人が制作しようとしたら、氏はその人に、自分が作りたい、作らせてくれと言って何と何枚か自分でつくりました。パネルは自分がつくってきたという思い入れがあったのでしょう。昔のパネルと同じ設計でしっかりしたものでした。
氏は毎年出展する絵も描きました。上記山車のねぷた絵も展示されてきました。
そのほか、総ぐるみ福祉の会ではお寿司づくりなどで活躍しました。また、日限山小の昔遊びでは企画が保守になることを嫌い、面白い遊びを見つけると、提案しました。提案するだけでなく、実行されるように努力しました。
どこかシャイで、控えめな方でしたが、頑固なところがあり、強靭な意志と、企画実行力を持っていた方でした。足腰が弱くなってからも電動車椅子を使って町の中で活動していました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます