納得した写真が撮れず、いつまでも粘り続けたときは、選ばれるのは決まって最初のカットか最後のカット。今日は最初のカットが選ばれた。
その粘りの時間は無駄ではない。その時間があったからこそ最初が生きた、といつも思っている。
完璧など、どこにもない。
ベストなどあり得ない。
だからこそ、よりマシな写真を、ベターな写真を、撮り、届ける。
間違ったベターもあるかもしれない。選択に食い違いが生じるかもしれない。
それでも、僕たちは諦めない。
伝えようとする気持ちが、行動が、努力が、交渉が、大切なのだ。
例え、世界を震撼させる事件の現場でなくても、歴史に残るニュースの現場でなくても、帰国ラッシュの一コマというすぐに記憶の片隅に追いやられるニュースの現場であっても、僕たちの写真の向こうには、何百万人のお金を払ってくれている読者がいるのだ。何百万人のクリックしてくれるユーザーがいるのだ。
それが、僕たちの写真の重みであり、力だと思っている。
時にその重みに潰されそうになる。時に背負った肩の痛みを忘れて安きに流れようとする。
そんな時は、誰の目にも留まらず、誰の記憶にも残らず、鼻で笑われる写真が載った新聞が、何百万の読者の元に届けられる明日の朝を想像する。
それは、とてつもない恐怖。
膝が震え、心臓がばくつき、しょんべんちびりそうになる、おぞましく恐ろしい朝。
その恐怖が、僕をいつも奮い立たせてくれる。