私の母の母。
その、私にとっての母方の祖母が
寝ついてしまい、日々弱っていく・・・
昨年の始まりはそんな状況でした。
1月から子供達や孫達が交互にかけつけ
勿論母も、東京にいる弟さえも
お見舞いや励ましに岩手まで行っては祖母の様子を伝えてくれた。
なのに私はなかなか行けず
やっと父と2人でかけつけたのは
3月も中頃。
祖母はもう起き上がる事も出来なかった・・・
『こっちは雪が多いから、冬は来ないで夏に遊びにおいで』
『冬は雪ばっかりでつまんないから、夏に涼みにおいで』
と、よく言っていた祖母。
その祖母が最後を迎えようとしている時
私は数十年ぶりに冬の岩手へ行く事になった訳である。
(2006.3.19 岩手山)
祖母の入院している古く暗い町立病院は
他に誰もいないかの様に静まりかえり
階段を上り病室を探す私達からたつ音だけが響いていく。
もう食べる事も出来なくなった祖母は
寝ているか
交替で付き添う娘達に痛みを訴えるか
回診の先生に強がって痛みを見せないようにするか
それが精一杯との事だった。
その祖母が
「おたふくちゃんが来たよ~
」
の叔母の声に目を開け
自分の力で上半身を起こし
「遠いところよく来たね~、ありがとうございます」
「私は頑張って待っているから、夏にまた来なね」
「必ず頑張って待っているから」
と握手をした。
年を重ねるたびに小さくなっていく祖母が
入院して以来あってみると
二まわりも三まわりも小さくなり
目だけが大きく見え
かかえたら持ち上げることが容易な印象さえ受けた。
1週間ぶりに起き上がり
私としっかり対面し
私の懇願でまた横になり目を閉じる。
祖母の言葉
「夏にまた来て」
それは、お盆にお墓参りに来てね・・・
という意趣返しのような気がした。
後で母に聞いたら、母も同じ思いをしていた。
きっと祖母に会うのは今日が最後だろう。
祖母は精一杯の気力を振り絞って
ずっと来たくて来れなかった孫の私に
精一杯のお別れをしてくれたのを感じた。
もう、私の知っているいつもの祖母ではなかった。
その鬼気迫る様子は目に焼きついているのに
言葉にするのは難しい。
そして、鬼気迫る様子とは裏腹に
もう自由に動かすのが困難になってきたその手は
静かで軽く何の感慨も与えてくれなかった。
でも祖母は、全身全霊をかけて私に挨拶をしてくれた。
それだけは
目でなく胸の奥がズキッと痛んだくらい
心に直接激しく伝道した。
私が見たことがないくらい
古く暗い病院。
休日とはいえ、私達の他は誰もいないような静けさ。
母が言う
「おたふく、ここで生まれたんだよ」
「あの時は病院出来たばかりだった」
(病院って30年でこんなに時代から取り残され傷んでいくのかぁ)
(私も実はそうなっているの
)
(私が生まれた場所で祖母は消えていくのか・・・)
(雪の白樺自然林)
冬の岩手は地球温暖化の影響か
年々雪が少なくなり
思ったよりスムーズに行けた。
それでも福島の浜通りでは見れないほど
雪のある冬
というものを十分実感させてくれた。
雪は、夏にしか見たことのない景色を
すべてを包み隠して
全く別の風景を見せてくれる。
また冬に来たい
そう思わせてくれる。
帰路には雪の景色をずうっと目にうつしながらも
『祖母に会う』という待ち望んだ一つの事を済ませた安堵感と
最後になるかもしれない祖母の姿とが
心や頭や胸・・・体の中で入り混じり
自分の体が音の無い世界にピッタリと接触してしまったようだった。
そして、祖母という点と私という点が
日本という小さな国の中ながら
どんどんと離れていって
会いたくてもすぐに会えない距離がつくられていく淋しさがつのる。
(子供だったら泣いてしまうだろうなぁ)
(仕方がないんだよなぁって思って居られるって
ちょっとは大人になっているんだよなぁ)
なんて事も思ったりした。
高速に乗って平行な景色が壁だけになり
ふと目を上げると
そこには意外なほど青い空と
眩しい位の白い雲があって
ちょっとくやしいけど
少し心が軽くなった。
続く
その、私にとっての母方の祖母が
寝ついてしまい、日々弱っていく・・・
昨年の始まりはそんな状況でした。
1月から子供達や孫達が交互にかけつけ
勿論母も、東京にいる弟さえも
お見舞いや励ましに岩手まで行っては祖母の様子を伝えてくれた。
なのに私はなかなか行けず
やっと父と2人でかけつけたのは
3月も中頃。
祖母はもう起き上がる事も出来なかった・・・
『こっちは雪が多いから、冬は来ないで夏に遊びにおいで』
『冬は雪ばっかりでつまんないから、夏に涼みにおいで』
と、よく言っていた祖母。
その祖母が最後を迎えようとしている時
私は数十年ぶりに冬の岩手へ行く事になった訳である。
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祖母の入院している古く暗い町立病院は
他に誰もいないかの様に静まりかえり
階段を上り病室を探す私達からたつ音だけが響いていく。
もう食べる事も出来なくなった祖母は
寝ているか
交替で付き添う娘達に痛みを訴えるか
回診の先生に強がって痛みを見せないようにするか
それが精一杯との事だった。
その祖母が
「おたふくちゃんが来たよ~
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の叔母の声に目を開け
自分の力で上半身を起こし
「遠いところよく来たね~、ありがとうございます」
「私は頑張って待っているから、夏にまた来なね」
「必ず頑張って待っているから」
と握手をした。
年を重ねるたびに小さくなっていく祖母が
入院して以来あってみると
二まわりも三まわりも小さくなり
目だけが大きく見え
かかえたら持ち上げることが容易な印象さえ受けた。
1週間ぶりに起き上がり
私としっかり対面し
私の懇願でまた横になり目を閉じる。
祖母の言葉
「夏にまた来て」
それは、お盆にお墓参りに来てね・・・
という意趣返しのような気がした。
後で母に聞いたら、母も同じ思いをしていた。
きっと祖母に会うのは今日が最後だろう。
祖母は精一杯の気力を振り絞って
ずっと来たくて来れなかった孫の私に
精一杯のお別れをしてくれたのを感じた。
もう、私の知っているいつもの祖母ではなかった。
その鬼気迫る様子は目に焼きついているのに
言葉にするのは難しい。
そして、鬼気迫る様子とは裏腹に
もう自由に動かすのが困難になってきたその手は
静かで軽く何の感慨も与えてくれなかった。
でも祖母は、全身全霊をかけて私に挨拶をしてくれた。
それだけは
目でなく胸の奥がズキッと痛んだくらい
心に直接激しく伝道した。
私が見たことがないくらい
古く暗い病院。
休日とはいえ、私達の他は誰もいないような静けさ。
母が言う
「おたふく、ここで生まれたんだよ」
「あの時は病院出来たばかりだった」
(病院って30年でこんなに時代から取り残され傷んでいくのかぁ)
(私も実はそうなっているの
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(私が生まれた場所で祖母は消えていくのか・・・)
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冬の岩手は地球温暖化の影響か
年々雪が少なくなり
思ったよりスムーズに行けた。
それでも福島の浜通りでは見れないほど
雪のある冬
というものを十分実感させてくれた。
雪は、夏にしか見たことのない景色を
すべてを包み隠して
全く別の風景を見せてくれる。
また冬に来たい
そう思わせてくれる。
帰路には雪の景色をずうっと目にうつしながらも
『祖母に会う』という待ち望んだ一つの事を済ませた安堵感と
最後になるかもしれない祖母の姿とが
心や頭や胸・・・体の中で入り混じり
自分の体が音の無い世界にピッタリと接触してしまったようだった。
そして、祖母という点と私という点が
日本という小さな国の中ながら
どんどんと離れていって
会いたくてもすぐに会えない距離がつくられていく淋しさがつのる。
(子供だったら泣いてしまうだろうなぁ)
(仕方がないんだよなぁって思って居られるって
ちょっとは大人になっているんだよなぁ)
なんて事も思ったりした。
高速に乗って平行な景色が壁だけになり
ふと目を上げると
そこには意外なほど青い空と
眩しい位の白い雲があって
ちょっとくやしいけど
少し心が軽くなった。
続く