喰らいたい魚を釣る 撃沈パイロット

趣味の飛行機とプラモデルと旅行の日記帳・たまに釣り記

零式(レイシキ)戦闘機が産まれるまで その2

2013-12-16 05:59:02 | 日記

残念?ながら三菱の技術はまだまだ中島飛行機には追いついていないようですね。

これからどうなって行くのか、また、読み進んで見ましょう。

 

因みに大正13年に一三式艦上攻撃機以来、三菱は艦上攻撃機を独占していました。

一三式艦上攻撃機です

 

その後堀越は空気抵抗を抑える為に突出した鋲の改良を行った

また馬力に対して重たい三菱のエンジンでは要求される性能が出せないので

やむなく中島製の寿五型を採用した。

そして九試単座戦闘機は設計開始から十ヶ月五の昭和十年1月に完成した。

九試単座戦闘機

この性能は設計者も驚く程の高性能であったらしい。

当時の世界新鋭機の最高速が時速410Km程度であったが、この機は時速450Kmの

記録を打ち立てた。

しかし、この1号機は着陸時に抵抗が少なすぎてなかなか沈下せず、思う地点に

着陸出来ない性質があり、諸試験後に強度を調べる為に過重試験にかけられ、破壊された。

 

次の2号機はフラップを採用し接地しにくい問題点を解決された。

そして更に改良が加えられ、正式に九六式艦上戦闘機として昭和十一年に

採用された。

この機は海軍の誇る製当機として、名古屋工場で782機/九州で200機、

合計で約千機生産された。

九六式艦上製当機

 

かなり、零戦に近い形になっていますね。

 


零式(レイシキ)戦闘機が産まれるまで その1

2013-12-16 05:40:28 | 日記

知人より、零式戦闘機の本をお借りして読んでいます。

いや~久々の読書です(汗)

老眼が進行してなかなか読書する気になれなかったので、良い切っ掛けとなりました。

 

この本は挿し絵も無く、タダ読んでいてもなかなかイメージがつかめ無いので

私はネットで機体などの情報を確認しながら読んでいます。

後で内容?を確認するためにもブログにアップすれば、分かり易いと思い、少し連載することにします。

まず最初に出て来るのは「堀越次郎」「中島飛行機」「三菱航空機」です。

「堀越次郎」はみなさん風立ちぬでご存じと思います。

「中島飛行機」は、現富士重工の前身ですね。

「三菱航空機」もご存じと思います。

 

では・・・本題に

大正15年から昭和2年にかけて海軍から「愛知」「中島」「三菱」の三社の航空機会社に

海軍から艦上戦闘機の競争試作が命じられた、このとき三菱は自社創立以来海軍の

艦上機を独占してきて自負しており、型式/構造は一〇式を路襲はしていたが

当時(昭和6年)九一式戦闘機は中島飛行機が製造して陸軍の主力戦闘機でした。

胴体は、初の流線型全金属機体を採用しており、主翼配置はパラソル翼で桁にはフランス製のニッケ

ル・クロム・モリブデン鋼を使用、開放式風防となっている。制式採用後も主翼や支柱の強化やエンジン

の換装等の改良が継続して行われたが、水平状態できりもみに陥りやすい癖があり、これは最後まで解

決しなかった。

 

昭和7年に大日本帝国海軍で採用された、九○式艦上戦闘機(中島飛行機制作)

 

昭和7年度から始まる海軍機の試製3ヵ年計画の一環とし、上記九○艦上戦闘機の更新を目的として、こ

の二社へ競争試作として発注された。

 

そして出来たのが七試艦上戦闘機である。

堀越次郎が主務を務めた飛行機です。

ただ、飛行時の安定性が極めて悪く、製作した2機(中島/三菱)とも飛行試験中に墜落してしまった。

 

これが三菱七試艦上戦闘機です。

ん~・・・・今にして見ると主翼も太く、固定ギアがかなり空気抵抗になるしオモチャっぽいかもですね。

 

しかし、この2社の七試艦上戦闘機は採用されず、九五式艦上戦闘機が日本海軍で

一時的に採用された(中島飛行機製)

九五式艦上戦闘機です(日本海軍最後の複葉機でもあります)

私のわずかな知識で本の流れに沿って書いていますので、間違いがあるかも

知れませんので、ご了承ください。 これはあくまで個人の資料ですのでご注意のほど。