ススキノには労働者だけではなく、高級官僚も多く訪れました。こうして男達の生活に潤いができたため、治安も安定するようになりました
発案者の岩村もこの歓楽街はありがたかったに違いありません。彼の目にはさらに発展する札幌、ススキノが見えていたでしょう。
しかし、札幌の建設を着工してようやく軌道に乗り始めた明治6年、岩村は突然辞職させられてしまいました。
原因は、開拓長官の黒田清隆との衝突でした。
性格が合わなかった彼らは、意見が衝突し、ついに岩村は東京に
帰ることになります。
しかし明治19年、北海道庁が置かれると、岩村は再び北海道に戻ってきます。
北海道庁初代長官に就任し、赤レンガ庁舎を建設し、産業の復興、交通網整備等に努めました。
明治20年代になると、すすきのには大きな料亭が開業し、伊藤博文をはじめ日本の政財界のトップが次々と来札しました。
==つづく==
魅力、再発見!! =すすきのゼロ番地=
昭和の雰囲気を残すスナック、居合わせた人と仲良くなれる居酒屋、心落ち着くバーなど通いつけたくなるお店が31軒、営業しています。
❉中央区南6条西4丁目。札幌のメインストリート駅前通りを南に下ると、配達用の自転車が並び、昭和レトロな雰囲気を漂わせる建物。
1階にはすすきのの台所と言われてる『すすきの市場』魚屋や八百屋、酒屋、駄菓子、クリーニング、おにぎり屋など軒を並べ、2~5階に住宅、そして地下には1971年8月に誕生した飲食店街【すすきのゼロ番地】がある。
建物の中央、東側、西側と3ヵ所ある階段を下りると、元気をくれるお母さんがいるスナック、酒をじっくり味わえる様に程よい距離感で接してくれるマスターがいるバー、シンプルだが愛情がたっぷり入った料理を楽しめる居酒屋など様々な魅力を持った
31もの店が待っている。
ネオンに彩られた街ではなく個性溢れる「すすきのゼロ番地」で、通いつけたくなる
お気に入りの一軒を見つけてみたい。