極楽とんぼは風まかせ

東は東、西は西。交わることなき二つとはいえ、
広い太平洋、東の風が吹き、西の風が吹き・・・

夢いまだ覚めやらず

2007年11月10日 | 今日の風の吹きまわし
ゆうべはけっこう嵐っぽかった。シーズン到来というところかな。最近の天気予報で「storm season(嵐の
季節)」という言葉をよく聞くのがちょっと気になる。元々バンクーバーは晩秋から春までが雨期で、とにかく
よく降るんだけど、どうも荒れることが多くなってきた。気候変動の症状のひとつらしいけど、去年のように
大雪を挟んで短期間にミニ嵐が15個なんてのはごめんだなあ。電力会社が売り出す「エマージェンシー
キット」を買っておくことにするか・・・

小町にゆかいなトピックが立っていた。『高ビーじゃないけど庶民的なものが嫌い』というタイトルからして
何となく自己撞着して聞こえるからおもしろい。まずは「高ビー」という語の意味がわからなくて、やっとの
ことで「日本語俗語辞書」というサイト(http://zokugo-dict.com/)で「高飛車な人」の意味だとわかった。
どうやらバブル時代に高くもない鼻をツンと空のてっぺんに向けて優越感を満喫していた成金族を評して
言ったのだろうけど、本来の「高飛車」の意味からずれている気がする。まあ、自己陶酔しているだけの
人に「自分は見下されている」と感じてしまう人の視点からの発想だと思えば何となくわかるような・・・。

要するに、自分はそういう人間じゃないといいながら「庶民的なものが嫌い」といっているところがよけいに
oxymoronicでおかしい。「日頃のモヤモヤを語ろう」というのは、「自分は庶民であるべきではないはず」
というモヤモヤした焦燥感を語ろうということなのかもしれない。いつも他人に「見下される」ことに警戒して
いそうな人たちの自衛策としての「こだわり」のようなものが見えてくるからおもしろい。

まず、節約雑誌が嫌いだという。「節約雑誌」などというものがあることさえ知らなかったけど、要は節約は
貧乏たらしいからイヤ(でも、生活上は節約せざるを得ない)ということかな。田舎のレストランは(おいしく
ないから)嫌いというあたりは田舎=劣等という構図がしっかりと描かれている。「都心にいる、隣県や郊外
(横浜を除く)のナンバープレートの超高級車」が(安っぽくて)イヤだというのはすごい。高ピーな田舎者は
鼻につくから消えてくれということかな。どうりでモヤモヤするわけだ。完全にけちの域に入っている節約は
「見苦しい」というのもすごい。見苦しいというのは自分が感じることなんで、他人さまは「完璧なるけち」を
楽しんでいるかもしれない。(まあ、他人さまが楽しそうにしているとおもしろくないというあたりも「見下され
恐怖症」の症状みたいなところがあるけど・・・)

お礼が手作りのクッキーやケーキだったら「安く済ませたのか」と思ってしまって(イヤ)というのもすごい。
こういう人たちは、いくら腕自慢のクッキーやケーキをあげても「貧乏ったらしい」と憤慨するんだろうなあ。
もったいない話。(あ、「もったいない」も貧乏たらしい表現かな。)庶民というのは一億総中流階級と信じて
日本を発展させて来たその「中流」の人たちだと思っていたけど、繰り返し出てくる「嫌いな庶民的なもの」
や「庶民の見苦しさ」なんて表現から察するに、今どきの「庶民」と言うのはちまちまと貧乏たらしく暮らす
「他人さま」のことらしい。実はそれが現実の自分の姿でもあるのだろう。つまり、「脱庶民願望」という名の
陽炎こそが、庶民的なものが嫌いだという人たちが常日頃感じているらしい「モヤモヤ」の正体なのだろう。
バブル時代の一億総非庶民化の夢いまだ覚めやらずというところなのかもしれない。