ストが終結して以来初めてリサイクルトラックが来て、出しておいたブルーボックスを空にして行ってくれた
けど、今度はなぜか普通のゴミのトラックがさっぱり姿を見せない。何やってるんだろうなあ、この人たち。
次の月曜日は祝日の振り替え休日だから、収集は火曜日にずれる。まあ、不在だったせいもあってあまり
ゴミがないから別にいいんだけど、仏の顔も三度までっていうし、仕事ならそれなりにやってもらわなきゃ。
仕事のログを見たら、うひゃ、向こう2週間に6件も入っている。ファイルを数えたら8つ。まだでっかいのが
2つも手付かずなのに。こんなへっぽこセクレタリーはクビだ!と叫びたくても、自分をクビにするわけには
いかない。そろそろ「ま、いっか主義」の経営方針を見直さなくちゃならないかな。今年はとにかくやたらと
忙しい。会議でも今年は忙しいという人が多数派だった。これも産業のひとつであれば、忙しい人が多いと
いうことは需要が増えている証拠でもある。アメリカ翻訳協会(ATA)は会員数1万人強。日本語部門にも
800人以上が所属している。サンフランシスコ会議には1800人が集まったそうで、地元有力新聞『San
Francisco Chronicle』紙にも「Business is booming for translators(翻訳ビジネスは活況)」という
記事が載っていた。今一番ホットなのはテロリストの言語と中国語だそうだ。翻訳業はもろに時代を映す鏡
なのかもしれないなあ。
私の仕事ログはスケジュールや請求事務の管理のために7年前に作ったEXCEL形式のファイルで、月間
集計と年間の累計があるから、「前年同月比」と「前年比」も一目瞭然。我ながらウマくできていると思って
いるけど、仕事そのものが増えているのかどうかは、通貨単位が3つあって為替が変動する請求額よりも、
請求の基準になる英語の単語数の方が目安になりそうだ。ということで、ちょっと見てみたら、2001年は
合計47万3千語。この年は筆頭クライアントの倒産で年間売上の2割が焦げ付いた。ツレアイ君との件が
落ち着き始めた頃でもあって、人生とビジネスの厳しさをまとめて(ちょっぴりだけど)悟った気分だった。
翌2002年は思い切って仕事量を減らした年だ。語数は合計33万2千語。ばっさり減らしたつもりだけど、
こうしてみるとそうでもないような数字だ。次の2003年は23万6千語に激減。18年間で最低の年だった
けど、翌年のATA会議では「去年はきつかった」という人が多かったところを見ると、翻訳業界そのものが
不況だったのかもしれない。その後、2004年には38万語に回復、2005年は34万語、2006年は34万
6千語とけっこうコンスタントだったのが、今年は10月末ですでに41万語。このままでは2001年に逆戻り
しそうな勢いだ。やっぱり今年は「活況」ってことなんだ。ふ~ん、いったい何が起きてるんだろうなあ。
ログを作る前の10年間は「諸般の事情」で仕事に逃避していた時代だったから語数はもっとすごかった。
何せ1日10時間、週7日のペースを何ヶ月も続けるというとんでもないワーカホリックだったから、年間で
70万語を越えたこともあった。今そんなことをしたら過労死してしまうだろうけど、あの頃は仕事をしている
ことが自分が生きているという証だったのかもしれないなあ。そっか、確かに今年は忙しいけれども、まだ
まだ人生を楽しむ余裕はあるってことか。じゃあ、ギアを入れ替えて、ぶっ飛ばそうか。とはいえ、やっぱり
もっと遊びたいなあ・・・(遊んできたばかりなのに!)
けど、今度はなぜか普通のゴミのトラックがさっぱり姿を見せない。何やってるんだろうなあ、この人たち。
次の月曜日は祝日の振り替え休日だから、収集は火曜日にずれる。まあ、不在だったせいもあってあまり
ゴミがないから別にいいんだけど、仏の顔も三度までっていうし、仕事ならそれなりにやってもらわなきゃ。
仕事のログを見たら、うひゃ、向こう2週間に6件も入っている。ファイルを数えたら8つ。まだでっかいのが
2つも手付かずなのに。こんなへっぽこセクレタリーはクビだ!と叫びたくても、自分をクビにするわけには
いかない。そろそろ「ま、いっか主義」の経営方針を見直さなくちゃならないかな。今年はとにかくやたらと
忙しい。会議でも今年は忙しいという人が多数派だった。これも産業のひとつであれば、忙しい人が多いと
いうことは需要が増えている証拠でもある。アメリカ翻訳協会(ATA)は会員数1万人強。日本語部門にも
800人以上が所属している。サンフランシスコ会議には1800人が集まったそうで、地元有力新聞『San
Francisco Chronicle』紙にも「Business is booming for translators(翻訳ビジネスは活況)」という
記事が載っていた。今一番ホットなのはテロリストの言語と中国語だそうだ。翻訳業はもろに時代を映す鏡
なのかもしれないなあ。
私の仕事ログはスケジュールや請求事務の管理のために7年前に作ったEXCEL形式のファイルで、月間
集計と年間の累計があるから、「前年同月比」と「前年比」も一目瞭然。我ながらウマくできていると思って
いるけど、仕事そのものが増えているのかどうかは、通貨単位が3つあって為替が変動する請求額よりも、
請求の基準になる英語の単語数の方が目安になりそうだ。ということで、ちょっと見てみたら、2001年は
合計47万3千語。この年は筆頭クライアントの倒産で年間売上の2割が焦げ付いた。ツレアイ君との件が
落ち着き始めた頃でもあって、人生とビジネスの厳しさをまとめて(ちょっぴりだけど)悟った気分だった。
翌2002年は思い切って仕事量を減らした年だ。語数は合計33万2千語。ばっさり減らしたつもりだけど、
こうしてみるとそうでもないような数字だ。次の2003年は23万6千語に激減。18年間で最低の年だった
けど、翌年のATA会議では「去年はきつかった」という人が多かったところを見ると、翻訳業界そのものが
不況だったのかもしれない。その後、2004年には38万語に回復、2005年は34万語、2006年は34万
6千語とけっこうコンスタントだったのが、今年は10月末ですでに41万語。このままでは2001年に逆戻り
しそうな勢いだ。やっぱり今年は「活況」ってことなんだ。ふ~ん、いったい何が起きてるんだろうなあ。
ログを作る前の10年間は「諸般の事情」で仕事に逃避していた時代だったから語数はもっとすごかった。
何せ1日10時間、週7日のペースを何ヶ月も続けるというとんでもないワーカホリックだったから、年間で
70万語を越えたこともあった。今そんなことをしたら過労死してしまうだろうけど、あの頃は仕事をしている
ことが自分が生きているという証だったのかもしれないなあ。そっか、確かに今年は忙しいけれども、まだ
まだ人生を楽しむ余裕はあるってことか。じゃあ、ギアを入れ替えて、ぶっ飛ばそうか。とはいえ、やっぱり
もっと遊びたいなあ・・・(遊んできたばかりなのに!)