本日は通常更新です。
自分は齢二十九にして未だ学生である。
同世代の人々の大多数は、定職を持ち、家族を持っているだろうとおもう。
あわよくば借り物ではない住まいをも持っているものもいるはずである。
どう考えても、"一般的には"そういう年頃だ。
実際、自分の同窓の仲間の多くは、キチンと社会に出ており、そろそろ責任のある地位につき始めているし、結婚をしている者も多く、子をなしているものもある。
が、自分には将来の職の保証などは何も無く、学位取得のメドすら全く立っていないし、研究計画書一本まともに仕上げることが出来ない有様だ。
「なにゆえこのような因果な人生を歩まなければならないのか?」寝る前のひと時に出ぬ答えを求めて考え出してしまい、眠れなくなることもある。
この点、何だかんだ言いながら、非常に気に病んでいるのである。
つい先日、この因果に深くかかわりがあるだろうと推察される、ある重要な出来事を思い出した。
自分は大学生時代、排気量250CCの鉄馬を駆り、一ヶ月ほどかけて北海道及び東北地方を旅したことがある。ハチクロの竹本君のような「自分探し」といったものではなかったが、どう考えても「若気の至りの集大成」のような旅であったのは事実である。
その、集大成の道すがら
完璧に晴れ渡る摩周湖を見たのである。
しかも、二回。
霧が多いといわれるこの北海道のカルデラ湖には「湖面が見えると出世できない、または遅れる」という伝説がある(参照)。特に、湖の中ほどに浮かぶ小島(カムイシュ島)が見えるとマズイのだそうだ。
自分は、島も湖面もしかと目にした。当日は恐ろし程に晴れ渡っており、島はおろか、向こう岸まではっきりと見えたのである。
余りに悔しい(?)ので、数日後にもう一度立ち寄ったのだが、やはり快晴。挙句の果てに、この二回目には道中に出合ったライダー仲間と○○○○○(諸事情により自主規制)。
起源には諸説あるこの伝説であるが、自分に関する限り恐らく本当だったのだろうと思う。
ちなみに、開陽台と多和平での「満天の星空」はダメだった。
自分は齢二十九にして未だ学生である。
同世代の人々の大多数は、定職を持ち、家族を持っているだろうとおもう。
あわよくば借り物ではない住まいをも持っているものもいるはずである。
どう考えても、"一般的には"そういう年頃だ。
実際、自分の同窓の仲間の多くは、キチンと社会に出ており、そろそろ責任のある地位につき始めているし、結婚をしている者も多く、子をなしているものもある。
が、自分には将来の職の保証などは何も無く、学位取得のメドすら全く立っていないし、研究計画書一本まともに仕上げることが出来ない有様だ。
「なにゆえこのような因果な人生を歩まなければならないのか?」寝る前のひと時に出ぬ答えを求めて考え出してしまい、眠れなくなることもある。
この点、何だかんだ言いながら、非常に気に病んでいるのである。
つい先日、この因果に深くかかわりがあるだろうと推察される、ある重要な出来事を思い出した。
自分は大学生時代、排気量250CCの鉄馬を駆り、一ヶ月ほどかけて北海道及び東北地方を旅したことがある。ハチクロの竹本君のような「自分探し」といったものではなかったが、どう考えても「若気の至りの集大成」のような旅であったのは事実である。
その、集大成の道すがら
完璧に晴れ渡る摩周湖を見たのである。
しかも、二回。
霧が多いといわれるこの北海道のカルデラ湖には「湖面が見えると出世できない、または遅れる」という伝説がある(参照)。特に、湖の中ほどに浮かぶ小島(カムイシュ島)が見えるとマズイのだそうだ。
自分は、島も湖面もしかと目にした。当日は恐ろし程に晴れ渡っており、島はおろか、向こう岸まではっきりと見えたのである。
余りに悔しい(?)ので、数日後にもう一度立ち寄ったのだが、やはり快晴。挙句の果てに、この二回目には道中に出合ったライダー仲間と○○○○○(諸事情により自主規制)。
起源には諸説あるこの伝説であるが、自分に関する限り恐らく本当だったのだろうと思う。
ちなみに、開陽台と多和平での「満天の星空」はダメだった。
摩周湖は、“原点”と思えばよいのではなかろうか。“晴れ渡る”摩周湖を見たにもかかわらず、そのあとも、果敢に困難な道に挑戦する…ね、ステキ!
ちなみに、わたしもあらゆることに遅れまくってますが、摩周湖見たことナイよ。代わりに何を見たんだろうか…。
これは笑うとこなんだけど・・・・
いや、ねぇ
言い訳のために摩周湖見に行ったほうがいいかな。
なんか、別の理由(過去の出来事)を探してみましょう。
お地蔵さんを殴ったことがある、とか。
古墳で用を足したことがある、とか。
ないか・・・・・・