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OSAMUの写真記録

GO TO 京都③(慈照寺銀閣)

撮影日:2020年11月25日

11月25から26日の1泊2日でGO TOキャンペーンを利用して京都に行ってきました。
2日目は慈照寺銀閣からスタートです。
ホテルに荷物を預け、タクシーで向かいました。
正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。
銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれている。
室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられた。
義政は九歳にして家督を、十五歳にして将軍職を継ぎ、生涯をかけ自らの美意識のすべてを投影し、東山文化の真髄たる簡素枯淡の美を映す一大山荘を作り上げた。
銀閣寺は美の求道者ともいえる義政の精神のドラマを五百年後の現代にも脈々と伝えている。
(銀閣寺ホームページhttps://www.shokoku-ji.jp/ginkakuji/about/より)

1)銀沙灘から向月台、観音殿銀閣を見る
銀沙灘は月の光を反射させるためとか、向月台はこの上に坐って東山に昇る月を待ったものだとかの俗説があるが、これら二つの砂盛りも室町時代まではとうてい溯り得ず、近世以後の発想ではないかと考えられるとか。


2)振り向くと池が広がっています


3)池の反対側に回って、東求堂(国宝)を見る
東山殿造営当時の遺構として現存。東求堂は本来は阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂であった。
浄土信仰の象徴として東求堂を建て、禅宗様式の庭園を周囲にめぐらしたところに、義政公の精神世界を垣間見ることができる。


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5)坂を登って展望所に向かいます


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8)展望所からの景色
白砂の砂盛り向月台と、波紋を表現した銀沙灘とのコントラストは訪れる人々を立ち去り難い世界に誘う。


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12)池まで降りてきました
池に観音殿が映っています。
慈照寺の象徴というべきものがこの観音殿(銀閣・国宝)。
義政公は自らの宗教観を託し、一層を心空殿、二層を潮音閣と命名。


13)鹿苑寺の舎利殿(金閣)、西芳寺の瑠璃殿を踏襲、唯一現存する室町期の楼閣庭園建築の代表的建造物として有名。


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15)苔の上に散るモミジ

朝一番で来たお陰で、まだ人も少なくゆっくり見ることができました。
ただ、白装束の一団が写真を撮っており、お寺の人に注意されていました。
新興宗教か何かですかね。
ここから哲学の道を歩いて、南禅寺に向かいます。
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