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OSAMUの写真記録

花を中心に、時に旅先で写真を撮っています

晩秋から初冬への装い(庄内緑地公園)

2020-12-31 19:10:46 | 
撮影日:2020年12月13日

少し前からあちこちで山茶花が咲いているのを見かけるようになり、庄内緑地公園に行ってきました。
ここではテニスコートから陸上競技場周り、そしてガマ池周辺に多くの山茶花の木があります。
それらを巡りながら晩秋から冬の気配を感じてきました。

1)山茶花はツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹


2)中国語でツバキ類一般を指す山茶に由来し、サザンカの名は山茶花の本来の読みである「サンサカ」が訛ったものといわれる


3)秋の終わりから、初冬にかけての寒い時期に、5枚の花弁の花を咲かせる、5枚?
ということはこれは山茶花ではなく、椿との交配品種の寒椿、その中の勘次郎という品種みたいです。


4)


5)散った花びらの色をバックに


6)一本の木に非常にたくさんの花をつけるため、散った花びらが地面を覆ってもまだまだ見頃は続きます


7)花がびっしり
その中で太陽の向きなどを考慮して気に入ったものを探して撮影します。


8)ラクウショウを背景に


9)水仙もラクウショウを背景に
水仙は冬の花の代表ですね。


10)メタセコイア(ヒノキ科メタセコイア属)


11)


12)


13)これがこの日最初に撮影したものです


14)名残のモミジ
メタセコイアをバックに


15)ドウダンツツジが真っ赤でした


16)


17)思いがけず薔薇がまだ咲いていました


18)なかでも白い花をつけているものが綺麗でした


19)水仙
こちらは十月桜が背景です。


20)駐車場付近のモミジ


21)これを撮っていたら、カメラを持ったグループがやってきました


22)


23)


今年も今日で終わりです。
今年は114の投稿(アップした写真は1,653枚)ができました。
対象は基本アウトドアなので、3密は回避できているとはいえ気を遣わずにはいられませんでした。
来年はCOVID-19も終息し、いつもの日常が戻っていることを望まずにはいられません。
そして何の気兼ねもなく出かけられるよう願っています。

白鳥庭園のライトアップ

2020-12-28 19:28:20 | 文化施設
撮影日:2020年12月4日

京都での紅葉のタイミングちょっと遅かったため、今年の紅葉はもう終わったと思っていたら、名古屋市の標準木の色づきはまだこれからだというニュースを聞き、まだ見られるかもしれないのとライトアップを見たくなって訪れてみました。
これから色づく木々もあり、まだ紅葉を楽しめそうでした。
初めてということもあり、日没前の4時過ぎに着き、一回りしてから最も人が集まっている場所でタイミングを待って撮ったのがタイトル画像です。
白鳥庭園は熱田神宮の近くにあり、池泉回遊式庭園で中部地方の地形をモチーフに、築山を「御嶽山」、そこからの流れを「木曽川」、流れの水が注ぎ込む池を「伊勢湾」に見立て、源流から大海までの『水の物語』をテーマにした日本庭園。

1)今年は既に散りかけている木と全く色づいていない木の差が極端です


2)色のグラデーションが綺麗でした


3)だんだん暗くなってきました


4)芝生広場から下の池のライトアップです


5)ライトアップされた雪吊り
金沢から技術指導を受け、冬の風物詩として平成10年からはじめられた。


6)出会い橋からの雪吊りの眺め


7)


8)竹林に表現された〇△□
江戸時代の禅僧「仙厓義梵(せんがいぎぼん)」が禅の極意として描いた〇△□
〇は円相、悟りや心理・仏性・宇宙全体を象徴
△は座相、座禅中の姿勢を表す
□は捉われの心、枠に囲まれ捉われた心を表す


9)「不安という世の中(□)であっても、心を鎮め穏やかに(△)平和に大乗的に(〇)過ごしていけるように」という願いを込めたと書かれていました。
京都建仁寺での〇△□の庭に続き、ここでも禅の精神を目にするとは、単なる偶然でしょうか。


10)三脚で固定できればもっと明るく映し出せるのでしょうか、これが手持ちの限界です


おまけというわけではありませんが、前日撮影したものをいくつかアップします。
11)料亭幸楽のエントランス
素通りできずシャッターを切ってしまいました。


12)名古屋栄のテレビ塔
虹色にライトアップされたセントラルブリッジと。


13)最近テレビ塔周辺含め久屋大通公園が再整備されました
池の周囲から霧が出てそこにレーザー光線が当たって軌跡が映ります。
でも少しでも風があると霧が流れてしまい上手く映ってくれません。


14)オアシス21と一緒に
手前にNAGOYAのロゴがあるのですが、それにもライトを当てたらいいのにと思います。


今年も残すところ3日余りとなりました。
COVID-19も感染者増加に歯止めがかからず、今日からGO TOトラベルも一時中止です。
おまけに感染能力の高い変異種も国内で見つかってしまいました。
この年末年始は外出自粛ですかね。


GO TO 京都⑤(建仁寺)

2020-12-25 19:43:04 | 旅行
撮影日:2020年11月25日

11月25から26日の1泊2日でGO TOキャンペーンを利用して京都に行ってきました。
最後は建仁寺です。
今回の旅で紅葉以外にぜひとも訪れたかったのが建仁寺です。
なぜならタイトル画像にした俵屋宗達が描いた風神雷神図屏風が見たかったからです。
と言うのも、少し前に原田マハ著「風神雷神 Juppiter(ユピテル)、Aeolus(アイオロス)」を読んでいて折角京都に行くなら見てみようと思っていたのです。
俵屋宗達は戦国から江戸時代に活躍した絵師ですが、生没年不詳な他生涯には不明な点が多く、それが小説の中の設定に繋がったものと思います。
小説で描かれた少年時代の宗達の冒険はとても魅力的で、海外と閉ざされてしまったコロナの時代に読むことに運命的なものを感じてしまいました。
残念ながら風神雷神図屏風は現在建仁寺にはレプリカしかなく、本物は京都国立博物館に寄託されており、京都国立博物館に行ってもいつも見られるわけではなさそうでしたので、レプリカでも見たいと思っていました。
この絵は、画面の両端ぎりぎりに配された風神・雷神が特徴であり、これが画面全体の緊張感をもたらしているが、その扇形の構図は扇絵を元にしていると言われる。
小説では扇屋の息子として描かれており、ヨーロッパに渡る際にも風神・雷神が描かれた父親から渡された扇子を持参しており、悪天候などの苦難の際に安全に導いてくれたと考えるよう、心の拠り所として描かれています。
人生を見守る存在として見ると、どこか優しさを感じさせる目をしているように感じられます。

建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立され、京都で最古の禅寺(臨済宗建仁寺派の大本山)。
豊臣秀吉を祀る高台寺や「八坂の塔」のある法観寺は建仁寺の末寺だそう。
そんな建仁寺にはその他にも見るものがたくさんありました。

1)法堂(はっとう、と読むのですね)の天井に描かれた双龍図(小泉淳作筆)
2002年、創建800年を記念して2年をかけ描かれたもの。
龍は仏教を守護する八部衆で「龍神」ともいわれ、禅寺の本山の多くで法堂の天井に描かれている。
法堂は仏法を大衆に説く場所であり、龍が法の雨(仏法の教え)を降らすといわれ、また龍神は水をつかさどることから「火災から守る」という意味も込められている。
仏教を守り、かつ教えを伝える重要な存在なのですね。


2)方丈から枯山水様式の庭「大雄苑(だいおうえん)」と法堂を眺める
波状に引かれた線が心を落ち着かせてくれるような気がします。


3)方丈から法堂に繋がる回廊から大雄苑を横から眺める


4)方丈障壁画「雲竜図」海北友松筆(安土桃山時代から江戸時代に活躍)
これは複製で、オリジナルは襖から掛け軸に変え、京都国立博物館に保管されている。


5)方丈障壁画「雲竜図」海北友松筆
複製であってもガラスも何も隔てるものがない状態で見られる方がいいです。


6)「竹林七賢図」海北友松筆
同様にオリジナルは京都国立博物館に保管。


7)唐子遊戯図
写真を2枚繋いでいます。


8)潮音庭
向かいに風神雷神図屏風が見られます。


9)潮音庭を反対側から眺める


10)「船出」染色画家である鳥羽美花氏(京都市立芸術大学大学院修了)がベトナムの水辺の風景を描いたもの


11)襖の反対側には同氏による「凪」
型染めと呼ばれる伝統技法で絹織物の白山紬に染め上げたものを表具師が襖に仕立てたのだそうです。


12)「伝説の湖」
もう一つ同氏による掛け軸がありました。


13)


14)〇△□の庭
宇宙の根源的な形態を示し、禅宗の四大思想(地水火風)を地(□)、水(〇)、火(△)で象徴したものと言われている。
木が〇を、井戸が□を、庭の隅の形状で△を表しているとか。


15)反対側から〇△□の庭
庭の隅の形状が△?


16)


17)「花鳥図」海北友松筆


18)「花鳥図」海北友松筆


19)


20)


21)

今回ばかりは写真として自分が感じたものを切り取るということではなく、記録に徹する写真になってしまいました。
でも400年前から現代までの圧倒的な芸術の前には如何ともしがたいとも思います。
最近、SNSでここ建仁寺の潮音庭の紅葉の写真を目にしました。
なかなかタイミングよく訪れることはできないものですね。

一泊二日で京都を巡ってきましたが、改めて日本の良さを再発見したように思います。
京都は何度でも行きたい魅力的な場所です。

GO TO 京都④(南禅寺他)

2020-12-22 19:30:38 | 旅行
撮影日:2020年11月25日

11月25から26日の1泊2日でGO TOキャンペーンを利用して京都に行ってきました。
慈照寺銀閣から哲学の道を歩いて南禅寺に向かいました。

1)銀閣寺参道から銀閣寺橋を渡ったところにある豆せんべいの店、京・月待庵にて
何種類か買って帰りました。美味しかったですよ。


2)かわいい小物入れでしょうか。
これには豆せんべいは入りません。


3)哲学の道はもともと、1890年(明治23年)に琵琶湖疏水が完成した際に、管理用道路として設置された道。
明治の頃、文人が多く住むようになり「文人の道」と称されていた。


4)その後、京都大学の哲学者・西田幾多郎や田辺元らが好んで散策し、思案を巡らしたことから「哲学の小径」といわれたり、「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」などと呼ばれた。
1972年(昭和47年)、地元住民が保存運動を進めるに際し、相談した結果「哲学の道」と決まる。


5)途中、こんなベンチ?がありました


6)南禅寺に着きました
南禅寺は今から710年あまり昔の正応4年(1291年)、亀山法皇が無関普門禅師(大明国師)を開山に迎えて開創。


7)臨済宗南禅寺派大本山


8)日本最初の勅願禅寺であり、日本の禅寺の中では最も格式が高く、京都五山(天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)より格上で、別格扱いを受けている。


9)


10)法堂の天井に描かれている今尾景年画伯畢生の大作と云われる幡龍。
その下には本尊釈迦如来、右側に獅子に騎る文殊菩薩、左側に象に騎る普賢菩薩の三尊像を安置。


11)


12)


13)三門
仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない三つの関門を表す、空、無相、無作の三解脱門を略した呼称。


14)少々歩き疲れて、「水路閣」や狩野派の障壁画や庭園を見学できる「方丈」はパスしました。

ここからタクシーで再び四条に移動し、昼食です。

15)これは前日に立ち寄った錦市場です


16)綺麗なガラスのアクセサリー


次は、今回の京都旅行の最後、建仁寺です。

GO TO 京都③(慈照寺銀閣)

2020-12-19 19:40:28 | 旅行
撮影日:2020年11月25日

11月25から26日の1泊2日でGO TOキャンペーンを利用して京都に行ってきました。
2日目は慈照寺銀閣からスタートです。
ホテルに荷物を預け、タクシーで向かいました。
正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。
銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれている。
室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられた。
義政は九歳にして家督を、十五歳にして将軍職を継ぎ、生涯をかけ自らの美意識のすべてを投影し、東山文化の真髄たる簡素枯淡の美を映す一大山荘を作り上げた。
銀閣寺は美の求道者ともいえる義政の精神のドラマを五百年後の現代にも脈々と伝えている。
(銀閣寺ホームページhttps://www.shokoku-ji.jp/ginkakuji/about/より)

1)銀沙灘から向月台、観音殿銀閣を見る
銀沙灘は月の光を反射させるためとか、向月台はこの上に坐って東山に昇る月を待ったものだとかの俗説があるが、これら二つの砂盛りも室町時代まではとうてい溯り得ず、近世以後の発想ではないかと考えられるとか。


2)振り向くと池が広がっています


3)池の反対側に回って、東求堂(国宝)を見る
東山殿造営当時の遺構として現存。東求堂は本来は阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂であった。
浄土信仰の象徴として東求堂を建て、禅宗様式の庭園を周囲にめぐらしたところに、義政公の精神世界を垣間見ることができる。


4)


5)坂を登って展望所に向かいます


6)


7)


8)展望所からの景色
白砂の砂盛り向月台と、波紋を表現した銀沙灘とのコントラストは訪れる人々を立ち去り難い世界に誘う。


9)


10)


11)


12)池まで降りてきました
池に観音殿が映っています。
慈照寺の象徴というべきものがこの観音殿(銀閣・国宝)。
義政公は自らの宗教観を託し、一層を心空殿、二層を潮音閣と命名。


13)鹿苑寺の舎利殿(金閣)、西芳寺の瑠璃殿を踏襲、唯一現存する室町期の楼閣庭園建築の代表的建造物として有名。


14)


15)苔の上に散るモミジ

朝一番で来たお陰で、まだ人も少なくゆっくり見ることができました。
ただ、白装束の一団が写真を撮っており、お寺の人に注意されていました。
新興宗教か何かですかね。
ここから哲学の道を歩いて、南禅寺に向かいます。