
約1年弱ぶりの”リーマンの謎”ブログです。”その3”に突入する前に、大まかな概略を述べます。
以下で述べる”その1”と”その2”に関しては、コツコツと更新を続けてたので、多少は読み易くはなってるかと思いますが。
因みにイラストは、かのアーベルが憧れたという、ガウスがいた頃のゲッティンゲン大学の図書館らしいです。
リーマン予想で言えば、素数の謎とゼータの謎という2つの大きな潮流が存在します。
まず素数の謎でいけば、オイラーの素数の無限大の証明から、ガウスの素数定理の発見、そしてディリクレの算術級数の素数定理やチェビシェフの素数に関する不等式を経て、リーマンは誤差項付きの素数定理(明示公式)を導きます。
一方ゼータ関数で言えば、オイラーのゼータの発見に始まり、ディリクレのゼータ級数(L関数)の研究と考察、そして、リーマンゼータ関数へと繫がっていきます。
但し、面白い事に両者ともリーマンが複素解析を駆使してる点です。これは、かつて”フランスのガウス”とまで言われた、このオギュスタン・ルイ・コーシー(仏)の偉業をリーマンがそのまま引き継いだ結果でもあります。
大袈裟な言い方をすれば、近代数学の基礎が築いたのがコーシならば、現代数学の扉を開いたのがリーマンであるとも言えますね。
ただ、リーマンの第4の論文中の主要公式(解析公式)の導きは、オイラー積から出発しますが、オイラーの偉大な研究が直接リーマンの研究に結びつく事はなく、やはりリーマンの師匠であるガウスの素数定理とディリクレのゼータ関数、それにライバルであったチェビシェフの初等的素数定理の考察が、リーマンとリーマン予想の大きなバックボーンになった様な気がします。
”旧その3”では、大まかにオイラーからディリクレへと継承されるゼータの偉業を簡単に纏めましたが、まだまだ説明不足も沢山あります。余り自信はないのですが、”その3”ではオイラーからガウス、そしてディリクレからリーマンへと繋がるゼータ関数の旅をできるだけ判り易く説明したいと思います。
ゼータ関数と現代数学
”その1”(全12話)では、リーマンゼータ関数の2つの解析接続を中心に、最後はゼータと素数の完備化について纏めました。
”その2”(全20話)では、ゼータの起源からオイラーの偉業と貢献、ガウスがディリクレがチェビシェフが、そしてリーマンが眺めた素数定理について纏めました。
そして今回登場する”その3”ですが、リーマンがゼータ関数を確立する大きな起点となったオイラーのゼータとオイラー積に舞い戻り、オイラー積とディリクレ級数(ディリクレのL関数)、そしてラマヌジャンのL関数へと進みます(予定)。
このL関数こそがリーマンゼータ関数の親玉であり、ディリクレの発見やラマヌジャンやセルバーグらの拡張により、ゼータの世界が大きく広がりました。今や現代数学とはこのゼータ関数の為にあると言われる程です。
特に、ディリクレの偉業こそが”解析数論の始まり”と言われ、リーマンの研究(1859)を促します。それまでの数学はその殆どが経験的洞察的発見でした。
しかしリーマンはディリクレの解析的手法を駆使し、数学の深く暗い闇を照らし出しました。
目に見えない部分を照らし出したという点では、ニュートン力学から量子力学への移行とよく似てますね。物体の運動という目に見える力学から、目に見えないミクロの視点の力学。
素数がそれ以上分解できないのと同じく、素粒子もそれ以上分解できない物質の最小単位です。故に、素数の謎(=ゼータの謎)を考える時、上で述べた物理の理論との大きな類似性が現れます。
目に見えないゼータの謎
ゼータ関数は実部が1より大きい領域でオイラー積やディリクレ級数といった表示を持ちますが、これは”見に見えるゼータ”であり、この領域の境界(実部=1)でゼータが非零であるという事だけで素数定理が示されます。
しかし、この素数定理は大雑把な漸化式で、より精密化するには、ゼータを見に見えない領域へと解析接続する必要がある。
つまり、この”目に見えないゼータ”の謎(素性)を解く事こそが、素数の謎を解く鍵なのです。この領域内にあるゼータの零点を探る終わりのない旅なのでもある。
セルバーグは、1950年代に数学史上初めて、ゼータの零点をスペクトルという波動的性質して捉えました。
これはゼータの零点をスペクトル解釈する事で、セルバーグの跡公式とも言われ、現在ではリーマン予想を解き明かす大きな潮流となってます。
量子力学にて、物理量の取る値とは作用素のスペクトルの事です。つまり、目に見えない部分の世界がスペクトルによって解明される。今、この量子力学での現象が数学の世界でも起きようとしている。つまり、素数とゼータの世界でも同じ事が起きようとしてます。
物理学がニュートン力学から量子力学へと遂げた様な革命的進化が、数論でも起きる可能性はあるのだろうか?
そういう意味では、”リーマンの謎”は数学が日常の世界へと結びつく橋渡しの役目を担ってる様に思えてならない。
ベルリン大学でリーマンは先輩で超天才のアイゼンシュタインと喧嘩したりして、精神的に不安定になったらしいが、コーシーの複素関数論に出会ったことで、新たな数学の未来を予見した。
つまり、リーマンの数学者としての出発点は、この複素関数の解析にあったんだよ。そしてリーマンはアーベル積分(関数)論を確立したんだが、それこそがコーシーの複素関数論の完成形とも言えるね。
つまり、リーマン予想はオイラー積から出発したんだが、実はコーシーの複素解析が大きな起点となったんだよな。
この複素関数をまずはアーベルが受け継ぎ、その後リーマンが受け継いた。アーベルはコーシーに純粋数学の真髄を見たし、リーマンはコーシーに新しい数学の未来を描いた。
複素関数論の創始者とも言われ、19世紀前半の複素解析の研究をほとんど一人で担ったコーシーだが、アーベルやガロアの論文を紛失するという不可解な大失態を犯したんだけど、それを差し引いても偉大な数学者だったんだよ。
でも転んだがやったように、リーマンの謎をコーシーの偉業と結びつけ、これがコーシーの謎につながるのならこれほど面白い推理小説もないや。
特に、複素解析ではワイエルシュトラスがリーマンの複素解析の基礎づけに使った”ディリクレの原理”にイチャモンをつけます。お陰で多くの数学者がリーマンの複素解析に疑念を持ちます。
しかし、シュワルツやフックス、クラインらベルリン学派の数学者たちはリーマンの正当性を主張し、ヒルベルトはディリクレの原理には問題がないことを証明し、リーマンの複素解析論は再評価されます。
ポアンカレはリーマンの位置解析(位置の幾何学)を発展させ、トポロジー(位相幾何学)を体系化します。
クラインはリーマンの複素解析を支持しましたが、リーマン幾何学には否定的でした。しかしテンソル解析が確立すると、その後アインシュタインの相対性理論により再評価されることになりますね。
ディリクレの研究を拡張した”三角級数”に関する論文は、カントールの集合論にも大きな影響を与えました。
こうしてみると、コーシーの偉業とと共に、それを見事に継承するかのように、リーマンの偉業もまた幅広く継承され、大きく評価されるようになっていくんですね。
”リーマンの謎”ブログはこれで終わるのかなと思った時、コーシーの謎が浮上してきたんです。
勿論、オイラーの偉業は凄い事なんですが、コーシーの偉業も負けてはいません。
リーマンの背中を大きく押したのが、実はコーシーだったという事実に、何か新たな因縁みたいなものを感じますね。
勿論、ガウスもディリクレもチェビシェフも偉大な数学者ですが、若きリーマンはコーシーの複素積分論を自分の血や肉や骨とし、最強のツールとして大きな原動力となり、学士論文から始まる主要4つの論文に活かしていきます。
”その3”では、コーシーも付け加える必要がありますね。お陰でいい勉強になりました。
私としたことが、すっかりコーシーの偉業を忘れてました。そのコーシーの偉業を受け継いだリーマンも、生前は思ったほどの評価を得られてなかったんですよね。
勿論、独力で偉業を達成する事も凄いんですが、継承を繰り返す事で現代数学を大きく拡げる事はもっと偉大な事なんですよ。
コメント有り難うです。
リーマン先生の4つの論文はすべてコーシーの複素関数論が基盤となって完成されたのかな
それがホントだとすると少し展開が変わるかもね〜
オイラー先生やガウス先生にも少し飽きてきた感があるしちょうど良いきっかけかもね
しかし、パリの数学者たちは純粋数学過ぎると気嫌いしました。
ただ、そのコーシーがアーベルとガロアの論文を理解出来なかったとはどうも思えない。これこそがコーシーの謎なんだろうか。
”リーマンの謎はコーシーにあり”ですかね。
その3は少し様相を変えて書くつもりです。これからもリーマンブログを宜しくです。
コメント有り難うね。
でもそのコーシーが・・・謎は深まるばかりです。