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素数定理のもう一つの歴史と”池原の定理”〜リーマンの謎”3の5”

2020年11月09日 05時27分04秒 | リーマンの謎

 ”3の2”ではディリクレが発見したL関数(ゼータ関数の親玉)と素数の接点を、”3の3”ではオイラー積からギリシャ時代の素数物語への変換点を、そして前回”3の4”では、チェビシェフとリーマンとマンゴルドの素数階段の物語を長々と述べました。
 そこで今日は、もう一つの素数定理の歴史について、進めていきたいと思います。

 その3はオイラー積からディリクレ級数(L関数)、そしてラマヌジャンのL関数へと駒を進めるつもりですが、歴史上の偉大な数学者たちの素数物語にどっぷり浸かるのもまんざら悪くはないと思います。
 関数式や定理などは殆どないので、前回同様に長くてもスラスラ読めると思います。


素数定理のもう一つの歴史

 ”2の16”では、よく知られてる所の素数定理の歴史を大まかに述べました。
 特に1896年にプーサンとアダマールにより得られた、リーマンと同様にゼータ関数と複素解析を使った素数定理の証明は、その後の素数定理の研究を大きく加速させます。
 この”2の16”に寄せられたコメントを追加&補足しようとも思ったんですが、纏めるうちに長くなりすぎて、今日の記事にする事にします。

 素数定理の近似式には、ガウスが発見したπ(x)~x/logと、その精度を高めたπ(x)~Li(x)=∫(2、x)dx/logx(=対数積分)、それにチェビシェフ第1関数ψと第2関数θを使ったθ(x)~xψ(x)~xがあります。
 特にθ(x)とψ(x)の関係ですが、θ(x)=Σ(p≤x)logp=log2+log3+log5+•••+logpで、ψ(x)=Σ(pⁿ≤x)logpは前回”3の4”で述べた様にpⁿでlogp増加する階段関数で、同じ階段関数のθ(x)を使えば、ψ(x)=Σₙ(1,∞)θ(x^(1/n))=θ(x)+θ(√x)+θ(³√x)+•••で表せる。またマンゴルド関数Λを使えば、ψ(x)=Σₙ(n≤x)Λ(n)とも表せます。
 故に、チェビシェフ第2関数ψ(x)の方が汎用性が高く、チェビシェフ関数といえばψ(x)がよく使われます。θ(x)とψ(x)の関係は”2の14”も参照です。

 素数定理”π(x)~x/log”を大雑把に言えば、”xの周辺でlogx個に1つ素数”があるという事ですが。階段関数ψ(x)を図で見ると、傾き45度の直線で近似できそうな気がしますね。
 更に直感的に言えば、素数定理はy=ψ(x)がy=xで近似できる事と同値と言えます。
 これを”ψ(x)~x”と書きますが、厳しい言い方をすれば、”dψ(x)~dx”は、点測度dψ(x)の平均密度に関する主張以外には何ら意味を持たない。しかし、以下で述べる”タウバー定理”はψ(x)~xに自然な解釈を与えます。

 リーマンの素数公式(誤差項付きの明示公式=素数の解析公式)は、ガウスの素数定理”π(x)~Li(x)”をより精度を高めた形で示唆したものですが、奇怪な事に素数定理そのものを証明したものではありませんでした。
 このリーマンの素数公式は大まかに見れば、主要項(リーマン関数)と周期項(リーマン予想)と誤差項の3つで形成され、主要項だけ見てもガウスの素数定理よりも精度が高いものでした。
 因みに、1859年の論文の最後には、”π(x)~Li(x)の振るまいよりも私の主要公式J(x)の方が最初の100の所でも平均して、Li(x)+logζ(0)と一致しており、より規則的である”とリーマンは自信をもって書いてます。

 このゼータ関数の複素解析を使い、素数の素性を完全に暴くというリーマンの試みは、当時も今も神憑り的なレベルでした。
 事実、”ζ(s)がRe(s)=1上に零点を持たない”との”弱いリーマン予想”だけで素数定理が導ける事を、リーマンの死の30年後、アダマールとプサンが証明します。
 但し、彼らが行ったのは、リーマンの主要公式J(x)ではなく、チェビシェフの(第2)関数ψ(x)を用いた、複雑ですがシンプルな証明でした。


タウバー型定理とは

 その後、様々な数学者により素数定理の簡略化が進められ、1930年代にはランダウ(1908)を経て、フーリエ解析を応用したウィナー=池原の”タウバー型定理”を使った非常にシンプルな証明を得ます。
 これはゼータの零点の定理(ζ(s)はRe(s)=1上で零点を持たず、s=1の留数1の1位の極を除き、Re(s)≥1で解析的)から、−ζ’/ζをラプラス変換で変形した式のRe(s)≥0における正則性を導き、タウバー型定理を使えば、チェビシェフの近似であるψ(x)~xを導けるとされます。

 一方で1949年には、ゼータ関数も複素解析もフーリエ解析をも使わない初等的な素数定理が、セルバーグとエルデシュによって独立して与えられました。
 これに関しては、最初に証明に成功したのはセルバーグで間違いないんですが、エルデシュが”チェビシェフ=ベルトラン定理”(1848)を初等的な方法で証明に成功した事が大きな要因となりました。
 しかし、セルバーグが発表した論文では、エルデシュのアイデアは使わず、自ら編み出した不等式(漸化式)を使い、単独で証明した様に見せかけ、フィールズ賞を獲得し、エルデシュを激怒させます。
 勿論、これには色んな意見がありますが、”継承は創造なり”という数学界の定説を考えると、セルバーグは偉大な数学者ではありますが、少し強引すぎた様な気もします。

 話は少し逸れましたが、一方で、”タウバー型定理”を使わずに、コーシーの積分公式を使い、素数定理を証明したのが1980年のニューマンでした。彼は”ウィナー=池原”と同じ様に、−ζ’/ζの正則性から∫[1,∞](θ(x)−x)/x²の収束性を導き、θ(x)~xを証明します。
 この論文は僅かに4頁で、最も短い素数定理の証明とも言えそうですね。
 因みに、ニューマンが使ったコーシーの積分定理ですが、リーマンの論文(1859)にも頻繁に出てきます。”3の1”でも少し述べましたが、コーシーの複素積分論と素数との関係は、”留数””解析性と正則性”の関係でも重要なので、別途記事にする予定です。


ウィーナーの定理

 このウィーナー&池原のタウバー型定理ですが、私なりに不完全ではありますが、少し説明します。
 元々”タウバー定理”と呼ばれ、無限級数の収束に関する定理で、オーストリアの数学者アルフレッド・タウバーが1897年に示しました。
 ウィーナー&池原の定理は、関数の漸近挙動に関するタウバー型定理の1つで、関数の”ラプラス=スティルチェス変換”の定義域の境界の解析性(有理型接続性)に関する条件から、元の関数の漸近的性質が得られるというものです。
 判り易く言えば、非負実数列{aₙ}が与えられた時、Σ[n≤x]aₖの漸近挙動をaₙのディリクレ級数Σₙ[1,∞]aₙ/nˢの極での挙動を得る。
 つまり、S(n)=Σₖ[1,n]aₖ(aₖ>0)で、n→∞の時のS(n)の漸近挙動を得る事です。
 因みにこの結果は、既にランダウが得てました(1908)が、f(s)の条件として、f(s)=O(|s|ᶜ)、Re(s)≥1、c定数という厳しい仮説を必要としました。更に、G・H・ハーディーJ・E・リトルウッドはこの条件を弱め(1911)、”タウバー定理”と言われてたのを”タウバー型定理”と呼ぶ様になりました。

 1931年に池原止戈夫(1904-1984)は、ウィーナーのタウバー型定理の初期の結果から、一般タウバー型定理を使ったランダウの素数定理の証明(1908)に改良を与えます。その後ノーバート・ウィーナー(1894-1961、写真)は1932年、フーリエ解析を元に、タウバー型定理を改良しました。
 池原氏がやった様に、ディリクレが発見したL関数(ディリクレ級数)も上述のラプラス=スティルチェス変換を行えば、タウバー型定理により、非負実数列{aₙ}にて、L関数であるf(s)=Σₙ[1,∞]aₙ/nˢ(aₙ>0)がRe(s)>1で収束し、ある定数A(>0)が存在して、g(s)=f(s)−A/(s−1)がRe(s)≥1で解析可能(有理型接続)であれば、S(x)=Σ[n≤x]aₙ~Ax、(x→∞)の漸化式を得ます。
 

”池原の定理”と素数定理

 そこで池原氏は、これを一般的に成立する事を示します(1931)。
 例えばaₙ=1とすると、f(s)=Σₙ[1,∞]1/nˢ=ζ(s)となり、ζ(s)はs=1の留数1の1位の極を除き、Re(s)≥1で解析的(正則)であり、S(x)=Σ[n≤x]1=[x]~x、(x→∞)となる。但し、[x]:x以下の最大整数。
 確かにA=1とすると、タウバーの定理が見事に成立してますね。
 故に池原氏は、タウバー型定理がゼータ関数でも使える事を示したんです。
 この”池原の定理”は、Σₙ[1,∞]aₙ/nˢの漸近挙動が、このディリクレ級数のs=1での留数を調べる事で得られる事を示してるという点で大きな驚きですね。

 ここで、aₙ=logp(nが素数の時、それ以外は0)とおくと、aₙは丁度、チェビシェフ第1関数θ(x)の階差関数λ(n)=θ(n)−θ(n−1)になり、f(s)=Σₙ[1,∞]λ(n)/nˢ=Σₚlogp/pˢは、λ(n)のディリクレ級数となります。
 そこで、”池原=タウバーの定理”を適用し、f(s)を仮にΦ(s)とおくと、Φ(s)=log2/2ˢ+log3/3ˢ+log5/5ˢ+・・・はRe(s)>1で正則であり、g(s)=Φ(s)−A/(s−1)。A=1とすると、Φ(s)−1/(s−1)がRe(s)≥1で解析可能であれば、S(x)=Σ[p≤x]logp=θ(x)~xが成立します。
 故に、θ(x)の階差関数λ(n)のディリクレ級数Φ(s)=Σₙ[1,∞]λ(n)/nˢ=Σₚlogp/pˢは、実際にs=1の留数1の1位の極を除き、Re(s)≥1で解析的(正則)である事が示され、これに”池原の定理”を使えば、θ(x)~xが導かれ、素数定理を証明する事が出来ます。
 同じ様に、第2チェビシェフ関数ψ(x)の階差関数Λ(n)を使っても、ψ(x)~xが従い、素数定理を導けます。

 因みに、この”池原の定理”は数列{aₙ}を用いずに、S(n)だけで述べられる事が多い。
 そこでf(s)を以下の様に変形します。
f(s)=Σₙ[1,∞]aₙ/nˢ=Σₙ[1,∞](S(n)−S(n−1))/nˢ=Σₙ[1,∞]S(n)/nˢ−Σₙ[0,∞]S(n)/(n+1)ˢ=Σₙ[1,∞]S(n)(1/nˢ−1/(n+1)ˢ)=Σₙ[1,∞]S(n)∫[n,n+1]s/xˢ⁺¹*dx=Σₙ[1,∞]s∫[n,n+1]S(x)/xˢ⁺¹*dx=s∫[1,∞]S(x)/xˢ⁺¹*dx。
 以上より、「池原の定理」は、”S(x)>0があり、f(x)=s∫[1,∞]S(x)/xˢ⁺¹*dxがRe(x)>1で収束し、正数Aが存在し、g(s)=f(s)−A/(s−1)がRe(s)≥1で解析可能であれば、S(x)~Axが成立する”と書き換える事が出来ます。

 こうした”ディリクレ級数の(s=1での)留数を調べる事で素数定理を導く”という斬新なアイデアには、本当に頭が下がりますね。
 以上長々と、素数定理とタウバーの定理の接点を述べ、もう一つの素数物語を描いたんですが。これには、コーシーの複素積分やそれに基づく留数、それに正則性や解析性といった高度な考え方が必要となります。
 
 次回の”5の6”では、そういったものを含め、紹介したいと思います。



6 コメント

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階段関数と階差関数 (UNICORN)
2020-11-09 08:48:07
マンゴルド関数Λ(n)が階段関数であるチェビシェフ関数第2ψ(x)の階差関数になり、同時にΛ(n)のディリクレ関数がゼータの対数微分−ζ’/ζになり、この正則性からψ(x)~xが従い、素数定理を導いたことは非常に面白い。

転んださんが書いてるように、チェビシェフ第一関数θ(x)にも階差関数λ(n)がある。これはΛ(n)よりもシンプルで、λ(n)のディリクレ関数の正則性からもθ(x)~xが従い、素数定理が導ける。

同じ様に、階段関数である素数定理π(x)も階差関数があり、これら階差関数の留数を調べることで、素数定理の証明がシンプルになる。そういうのを見破ったのが、ウィーナーであり池原氏でした。

つまり、π(x)よりψ(x)、ψ(x)よりθ(x)を調べ上げた方がずっと楽に証明できる。
結局、数学という学問は難題を如何にシンプルに解くかということに尽きると思う。
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UNICORNさん (象が転んだ)
2020-11-09 20:12:37
流石、うまく纏めてきましたね。
まさか、素数の個数関数が、その階差関数の留数に直結するとは、これこそ神の仕業といいたくもなります。
数学とは神秘性をシンプルな形に解明する学問とも言えますかね。

貴重なコメント、いつもありがとうです。
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いつもありがとう (paulkuroneko)
2020-11-09 20:42:11
コメント補足してくれたんですね。
いつもありがとうございます。
何かのサイトで得たものを何気なく書いただけですが、ここまで本格的に分析されるとは、こちらこそ恐縮です。
お陰で、タウバーの定理を理解することが出来ました。
こちらこそこれからも宜しくです。
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paulさん (象が転んだ)
2020-11-10 01:21:28
いえいえこちらこそです。
paulさんのコメがなかったら、タウバーの定理とは無縁でした。
お陰で、複素積分と素数定理の密な関係を垣間見ることが出来ました。
こうしてみると、オイラーやガウスから受け継いだ素数定理とそれをゼータ関数と結びつけたディリクレ、それにコーシーからリーマンに受け継がれた複素解析のおかげで素数定理の研究が大きく飛躍したんですね。
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素数と複素数 (HooRoo)
2020-11-10 11:38:56
が結びついた結果が素数定理の謎を解き明かしたとしたら
これってとても神秘なことよね
数学者は神秘を暴こうと、とてもシンプルできれいな答えを生み出すけれど
それこそが本当の神秘なのかも👋
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Hoo嬢へ (象が転んだ)
2020-11-10 22:52:36
数学者は解けない難題に直面すると、神の仕業にするんですよ。
自ら生み出した学問の答えを探すべく自ら混乱する。神の神秘というより、数学者の神秘の方が奥行きと深みがあるよね。
今夜は眠いからこれで勘弁して下さい。
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