VR奥儀皆伝( 8½ ) 『謎解き・テーマパークVR Web版』(12)

2020-10-07 | バーチャルリアリティ解説
第十二回 「テーマパークとは何か」の謎を解きました  ①
                          【( 8½ )総目次
 ここからは、次の ①と ②について順に論証します。

 ① 「一つだけの入り口」と「地獄・天国」
 ② 「入場料(アトラクションの思い出) と 「(その場所での) 飲食」・「物販(おみやげ、記憶のよすが)
 なお、番号は 第十一回の 付番に対応しています。ちなみに、③は 「説得するためのArt」 (プロパガンダとしてのテーマパーク)でした。

 「狭義の」テーマパークは、カリフォルニア州アナハイムに ウォルト・ディズニーが1955年に開園した「ディズニーランド(DL)」と、当時は まだ計画中だった 「フロリダ・プロジェクト」の 2か所だけでした。ウォルトは開園の告知と資金調達のために米国 abcテレビとタイアップしたので、「ディズニーランド」という 1時間の番組のホストとして出演しています。日本では日本テレビ系列で 1958年から 72年まで放送され、その中から 6巻を選んだ「Disneyland ANTHOLOGY」( VHS BOX 懐かしのTV番組「ディズニーランド」特別保存版 )が発売されています。 そのテレビ番組で紹介された DLのテーマランドは、「未来の国」「お伽の国」「冒険の国」「開拓の国」の4つでした。
 ウォルトが逝去した後は、兄ロイたちが遺志を継いで、1971年に「Walt Disney World Magic Kingdom」(通称、フロリダ・ディズニーワールド)が開業しました。このときのテーマランドは、「メインストリートUSA」「アドベンチャーランド」「フロンティアランド」「リバティー・スクエア」「ファンタジーランド」「トゥモローランド」の6つでした。ですから、ウォルト自身は(1966年に)亡くなるまで、「テーマパーク」というのは「ディズニーランド」(と ディズニーワールド)だけのことだ、と思っていたのに間違いは ありません。
 それで、その「テーマ」も、ウォルトが映画製作を通して観客に訴えていた「映画のテーマ」のことで、それを各テーマランドにアトラクションとして立体化して展開し、観客がその中を まるで ディズニー映画の主人公やエキストラにでもなったかのように見学できる施設が、彼にとっての「テーマパーク」だったと思います。
 私は、DLの4つのテーマを、NICOGRAPH北九州’94のパネルディスカッション「テーマパークにおけるエンタテインメントの世界」で 次のように紹介しました。「密林などへ勇敢に出かける冒険心(冒険の国)」「19世紀中ごろの金鉱の街(開拓の国)」「シンデレラなど西洋のファンタジー(おとぎの国)」そして 「人類の輝かしい未来(未来の国)」です。いずれもディズニー映画では お馴染みのテーマでした。そして、DLの座席が 2人掛けである事にも意味がありました。2人掛けは、父親であるウォルトが溺愛する娘と一緒にアトラクションを楽しむための工夫でした。また、ウォルトは自宅の裏庭にミニ蒸気機関車を走らせており、機関手として娘たちとその友人たちを楽しませていました。「ディズニーランド鉄道」は、その延長として作られました。
 ただし、DLの「未来の国」と フロリダ・ディズニーワールドに併設された「エプコット・センター」の構築物は、1939年のニューヨーク万国博覧会(ウォルトが 37歳の時に見学した万国博)がモデルです。このときの体験は強烈だったと思われ、ウォルトは 1964年のニューヨーク万国博の会場に、多くのアトラクションを開発・公開しました。DLと万国博覧会の関係については、改めて説明する場所を設けます。ちなみに、東京ディズニーランド(TDL)は、フロリダ・ディズニーワールドをモデルに 1983年に開園しました。

 そして、ウォルトが亡くなった後で(因縁のある)ユニバーサル・スタジオ・ハリウッドが「うちもテーマパークだ」と、びっくりするような名乗りを上げました。その園内には、ディズニー映画を本歌取りしたアトラクションは一つもありません。ですから、テーマパークと名乗ったのは本来、おかしいのです。ところで、ユニバーサル映画では映画撮影現場の一般客向け「スタジオツアー」を、ずっと昔の1915年から行なっていました。このツアーは、1930年頃に音声の同時録音が映画撮影現場に普及したことで仕事の邪魔になって長く中止されていたのですが、チャールトン・ヘストン主演の『The War Lord(邦題『大将軍』、1965年)が公開されて大ヒットしたのをきっかけに、実際の撮影に使われた十字軍の「見張り台」(Crusades Tower) を見学の目玉にして、スタジオを巡回するバスによるツアーが再開されました。(大株主が少し前に変わったことも再開された理由でした。)70年代になると、スタントマンによる撮影現場の再現(ライブショー)などもツアーに追加されました。スタジオツアー用の巡回バス GlamorTramsも新しくキャンディー・ストライプの明るいデザインに彩色され、そのデザインは 有名なディズニー・アーティストの Harper Goffに依頼したものだったこともあって、この頃から ユニバーサル・スタジオは「テーマパーク」を自称し始めます。しかし、繰り返して指摘しますが、ディズニー映画では「眠れる森の美女の城」(オーロラ城)を舞台背景の撮影用に使ってアニメ映画を撮った訳ではありませんでした。厳密にいえば、1955年にオーロラ城が公開され、そのお城を宣伝する目的も兼ねて1959年にアニメ版『眠れる森の美女』が米国で公開されたのです。ですから、私はユニバーサル・スタジオを嚆矢とする「 DLとは別のテーマパーク」、つまり ウォルトが知らなかったテーマパークには「広義の」と付けて、オリジナルと区別しています。なお、ユニバーサル・スタジオが「テーマパーク」を名乗っても、観客に違和感が あまり感じられなかった理由については別述します。

 「テーマパーク」の本質は、映画の「スタジオツアー」ができることでは、ありませんでした。第十一回に 遊園地の有力興行主たちが「Disneyland will fail because it has only one entrance.」(ディズニーランドは失敗するだろう。なぜなら、入場口が一つしかないためだ)と言った言葉をご紹介しました。実際のところ、テーマパークでは、太古の信仰が備えていた「説得力」が再現されているのだと私は思います。NICOGRAPH北九州’94の パネルディスカッション「テーマパークにおけるエンタテインメントの世界」のパネラーとして講演を依頼された私は、その準備をしている時に、高名な宗教学者の山折哲雄氏(国際日本文化研究センター名誉教授)が あるエッセイに、次のような内容を書いておられることに気が付きました。そこには、
   「日本と西洋の山岳宗教では、一つの入り口、地獄、天国(極楽)が共通している」
と指摘されていたのです。

 その少し前に、私は山形県の教育委員会から「VRとは何か」についての講演を依頼されて(行動科学研究所の鈴木智子所長に同行させて頂いて)山形で講演して 黒川能や羽黒山五重塔を観せて頂いたり、そばを頂戴したりの「余得」のほうが多い出張をさせて頂いたことがありました。実は、この時から私も、漠然と山折氏の指摘と同じことを感じていたのです。出羽三山は、もとは(朝廷でのクーデターから難を逃れた)蜂子皇子が開山した由緒ある修験道の道場です。ところで、江戸時代に入って出羽三山が観光地化したとき、(これは私の直感ですが)修行ではなく「観光で」訪れた善男善女にも仏様との結縁を感じて貰おうと、羽黒山五重塔の周囲のスギ並木を整備した方が、どなたかおられたように思えたのです。
 これは、是非、皆さんにも自分の足で確かめて頂きたいのですけれど、羽黒山では入山が「三途の川」である祓川からと決められており、ここで俗世を離れて、急こう配の山道をひたすら登って行くのが順路でした。ひたすら登ると「屏風のようなスギ並木」から突然、五重塔が見えて「あな、ありがたや」と神々しさを感じます。私は、面白くて、3、4回行き来をして五重塔を「突然に」眺めました。注意して頂きたいことは、おそらく江戸時代にスギを植樹した方は、その屏風の効果が100年くらい待たなければ確かめられないのが分かっていた、ということです。
 そして、DLでは、入場口からメインストリートUSAまでが三途の川だと私は考えています。ここで観客は俗世から離れました。入場口から少し歩くと「オーロラ城」に行きつき、その四方にテーマランドが広がります。羽黒山と同じ演出ではなかったでしょうか。「オーロラ城」に行きついて夢見心地の観客には、アニメ映画のスクリーン上の存在(2Dのミッキー)が3Dのミッキーになってエレクトリカルパレードで行進している筈がない、などという俗世間の常識がウォルトのマジックで消え去ってしまっているのです。
 ちなみに、羽黒山と同様の、参詣のための辛い山道(大門口)を抜けると、突然、立派な山門が見え「あな、ありがたや」と感じる演出は、高野山の大門(だいもん)で平安時代までには社会実装されていて、修験道の道場関係者の間で話題になっていただろうと思います。修験道は、お山を誕生以前の胎内だと考える化生論でしたので そうした工夫が似つかわしかったのかも知れません。

 映画『メリーポピンズ』(1964年)に、煙突掃除夫(で 大道芸人)のバートが歩道に描いたチョークの絵をメリーポピンズが踏むと、あら不思議、原作の絵本には登場しないエピソードですが、バート、そして、散歩の途中だったジェーンとマイケル、メリーポピンズが(実写の3Dの人間のまま)アニメの2Dの世界に飛び込む場面がありました。この場面についての分析は、改めて別述します。


 写真借用元:http://www.dewasanzan.jp/publics/index/71/

 ともあれ、出羽三山の「祓川」「修験のための山道」「五重塔」に気付いていた私は、DLの「メインストリートUSA」「白雪姫の恐ろしい冒険 Snow White's Scary Adventures」「オーロラ城」との対応関係にも直ぐ気付きました。つまり「三途の川・地獄・天国」ということです。

 ところで、「三途の川・地獄・天国」という遍歴が有名な作品には14世紀初頭に書かれたダンテの『神曲』がありますが、これは原題を「(神界の)コメディ」といって天上のテーマパークの順路マップになっています。天国の感動を『神曲』の冒頭から神々しく描いても、チコちゃんの言う「ぼっとして生きている読者」たちは、そんなものか、と感動しません。ですから、三途の川を越えた地獄で、職権を悪用して利益を得た汚吏(不正をした官僚)や国会議員たちが、煮えたぎる瀝青に漬けられたり、政府の行なう行政に行き過ぎた阿諛追従をする者が、糞尿の海に漬けられたりと、当時の政界の裏側を知る人たちには「爆笑必至」の 思いつく限りの政敵への「おぞましい地獄の責め苦」が『神曲』の地獄篇で述べられました。お化け屋敷が最初に体験される事で、その試練を一緒に乗り越えた仲間たちの絆(愛の尊さ)が強まるのです。秘密結社の入会儀礼も、これと同じ趣旨だったのかも知れませんね。ダンテの『神曲』に描かれている天界の分析は、今後に何度も予定しています。


 画像借用元:https://renzouji.exblog.jp/19001500/

 ※ ちなみに、本Blogタイトル画面の右端の女性が『神曲』の ベアトリーチェさんです。

 ここまでの説明で、①「一つだけの入り口」と「地獄・天国」が論証できたことにします。

 それでは、「入り口が一つだけの囲われた土地」が どこかにあり、そこに「地獄のような怖い場所と天国のような、例えば、ご来光が拝める山頂」があれば、その場所に何日か滞在しただけで修験の神秘体験が得られて「得度」ができるのでしょうか。「馬鹿にしているのか」って修験者に叱られます。それは「機械論」だからです。化生論である山岳宗教の道場には、別の分析方法が必要です。稿を改めて、別述させて下さい。
 結論を先取りすると、テーマパークでは、リピーターが いなくなるとパークは廃墟になりますから その共同体(テーマパーク)の構成員を増やすことや、盆暮れの休暇に また必ず遊びに来て貰うための有効な「リピーター獲得の方策」が必要になるのです。ちなみに、共同体がリピーターを獲得するために、②入場料(イベントの思い出)と「(その場所での) 飲食」・「物販 (おみやげ、記憶のよすが)(の売上)を伸ばそうと努力すること自体は、珍しい方法ではありません。例えば、結婚式というイベントでは、その二人の結婚を印象に残すため、出席者が互いに殴りあうという記憶法が西洋にあったと伝えられています。殴り合わなくても、(披露)宴を併催して飲食することでイベントの記憶は強化されます。引き出物のお皿があれば、帰宅してそのお皿を使う都度、披露宴の記憶が戻ります。
 同様に、国際学会でも、講演発表の大会に参加した記憶の強化のためにバンケット(晩さん会)が必ず開催されますし、予稿集という印刷物が研究室の本棚にあれば背表紙を見るだけで その学会で聞いた講演が思い出されます。
 IVRCの展示も、今後の国際学会でポスター展示などの発表をする際の予行演習になりますから、IVRCの懇親会が予告されていたら参加学生は できるだけ出席するほうが国際学会に気後れなく登壇する心の準備ができると思います。また、IVRCの予選に来られた観客の皆さんに、決勝にも再び来場して成果を評価して頂くには、観客にできるだけ予選ちらしを持って帰って頂くことが 意外に効果的です。IVRCの岐阜時代(1997年から2008年まで)に、予選→決勝の期間に作品のインパクトを強めるための余計なゲームなどを付け加えてしまい、却って作品の主題を ぼやけさせる展示が目立った時期がありました。こうした失敗の解決策については開発者が自分たちでは気付かないので、予選を見た観客に決勝で間違いを指摘して貰うしか改善方法がありません。

 さて、話をテーマパークに戻します。ここからは、テーマパークでの「アトラクションの思い出」の強化と「飲食」「おみやげ、記憶のよすが」について述べてみます。ところで、テーマパーク活性化の手法は、そのままで Society5.0などの社会システムの実装にも使えるように思います。

 それで、一つの社会実装のアイデアを書いておきます。「仁川百合野町 地すべり資料館」という施設が兵庫県西宮市に あります。阪神・淡路大震災(1995年)で起きた地すべりの一つでは 西宮市仁川百合野町と仁川6丁目の家屋13戸が押しつぶされて、住民34名が亡くなりました。その災害事故の資料館として、この施設は その 2年後に建てられました。母の友人が地元のボランティアを組織され資料館の斜面にシバザクラを植えて庭園を整備されたので、私は見学に伺いました。
 【 第十三回に続きます 】

 余談ですが、眠れる森の美女の城のモデルは ‎ルートヴィヒ2世の「ノイシュヴァンシュタイン城」です。お城というと戦争場面のイメージが強いのですが、お城は元々 教会建築を真似てデザインされました。行政の中心が、教会からお城に移ったことを象徴したのです。しかも「ノイシュヴァンシュタイン城」自体は、ルートヴィヒ2世がバイエルン王国の観光の目玉の一つにすることを目的に築城家ではなくデザイナーに設計させたものでした。そこでは、おとぎ話に出てくるお城の「シンボル性」が強調されました。今では彼の狙い通り、ドイツ、バイエルン州の経済はこの城などの観光収入で持っています。ちなみに、もう一つの観光の目玉がバイロイト祝祭劇場でした。VR奥儀皆伝( 8½ )では、テーマパークの起源の一つとしてのルートヴィヒ2世論を予定しています。

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