万葉集ブログ・1 まんえふしふ 巻一~巻八

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0972 高橋虫麻呂

2008-08-31 | 巻六 雑歌
反歌一首

千萬乃 軍奈利友 言擧不為 取而可来 男常曽念

千万(ちよろづ)の 軍(いくさ)なりとも 言挙げせず 取りて来ぬべき 男(をのこ)とぞ思ふ

右檢補任文八月十七日任東山々陰西海節度使


反歌一首

「(たとえ、敵が)無数の軍隊であろうとも。(藤原卿は)揚言することもなく、(クールに敵を)征伐する。(まさに勇敢な)男だと思う」

右は、補任状(ぶにんじょう)を調べると、(藤原宇合は)8月17日、東山山陰西海節度使に任命とある

0971 高橋虫麻呂

2008-08-30 | 巻六 雑歌
四年壬申藤原宇合卿遣西海道節度使之時高橋連蟲麻呂作歌一首(并短歌)

白雲乃 龍田山乃 露霜尓 色附時丹 打超而 客行公者 五百隔山 伊去割見 賊守 筑紫尓至 山乃曽伎 野之衣寸見世常 伴部乎 班遣之 山彦乃 将應極 谷潜乃 狭渡極 國方乎 見之賜而 冬木成 春去行者 飛鳥乃 早御来 龍田道之 岳邊乃路尓 丹管土乃 将薫時能 櫻花 将開時尓 山多頭能 迎参出六 公之来益者

白雲の 龍田の山の 露霜(つゆしも)に 色づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重山(いほへやま) い行きさくみ 敵(あた)守る 筑紫(つくし)に至り 山のそき 野のそき見よと 伴(とも)の部(へ)を 班(あか)ち遣はし 山彦の 答へむ極み たにぐくの さ渡る極み 国形(くにかた)を 見したまひて 冬こもり 春さりゆかば 飛ぶ鳥の 早く来まさね 龍田道(たつたぢ)の 岡辺の道に 丹つつじの にほはむ時の 桜花 咲きなむ時に 山たづの 迎へ参ゐ出む 君が来まさば


天平4年(西暦732年)・壬申・8月。藤原宇合卿を西海道節度使として派遣した時。(宇合の部下である)高橋連虫麻呂が作る歌一首(並びに短歌)

「“白雲の”龍田山が、年月を経て色づくときに、山越えをして、旅ゆく藤原卿は、幾多もの山々を進む。敵(の進入から国土を)守るため、筑紫に至られた。山の果て・野の果てを視察せよと、役人らを各地に派遣し、こだまが聞こえる限り、(また)ヒキガエルがわたる限りまで、国土の様子をご覧になる。“冬こもり”春がくれば“飛ぶ鳥の”早急にご帰省ねがう。

龍田路の丘のほとりの道に、深紅のツツジが匂い、サクラの花が咲くときに、“山たづの”迎えに参りたい。藤原卿が(元気で)帰省することを(私は祈っている)」

0970 大伴旅人

2008-08-29 | 巻六 雑歌
指進乃 粟栖乃小野之 芽花 将落時尓之 行而手向六

指進の 栗栖(くるす)の小野の 萩の花 散らむ時にし 行きて手向(たむ)けむ


「“指進の”栗栖の小野の、ハギの花が、散る頃に、(皆で)出かけて神祭りをしようぞ」

●指進:よみ方は「さしずみ」「さすすみ」など 意義不詳

●大伴旅人は天平3年(西暦731年)7月25日、奈良で逝去 この2首は、おそらく病床で詠んだとみられる


0969 大伴旅人

2008-08-28 | 巻六 雑歌
三年辛未大納言大伴卿在寧樂家思故郷歌二首

須臾 去而見壮鹿 神名火乃 淵者淺而 瀬二香成良武

しましくも 行きて見てしか 神なびの 淵はあせにて 瀬にかなるらむ


天平3年(西暦731年)・辛未。大納言・大伴卿が寧樂(なら)の家に在り、故郷を思う歌二首

「しばらくの間、そこへ行って(その姿を)見てみたいものだ。“神なびの”(飛鳥川の)渕は浅くなって、瀬になっているのかな」

●飛鳥川:奈良県奈良市

0968 大伴旅人

2008-08-27 | 巻六 雑歌
大夫跡 念在吾哉 水莖之 水城之上尓 泣将拭

ますらをと 思へる我れや 水茎(みづくき)の 水城の上に 涙拭はむ


「エリートな漢(おとこ)だと、自負している私だが、“水茎の”水城の上で、(遊行女婦の児島との別離に)涙を拭うとは」