広島に原爆が投下され、ついで長崎にも。
ニュースでは 戦争に関する記事が増えてきまして、戦争に対する意識が消えていかない様にと。
私は 終戦直後、1945年9月に生まれました。
聞いたところによると、とても大きな台風が来て、母が長屋のおトイレに入っていた時に、そのトイレが壊れて、急に産気付いて、私が生まれたそうです。
手のひらに乗る、程の小さな赤ちゃんだったそうで、今で言う、低体重児。未熟児。
それでも、命がつながり、チャンと成長して、母となり、おばあちゃんになれました。
ありえない ありがたい命なのです。
今までは 当たり前の様に生き、理想を求め、勝気な性格が時々 芽をだしては自分で自分の首を絞めていましたね。
アッチでゴツン、こっちでゴツンと打たれて、角が少しは取れた?(笑)
実は今日は 二男の命日。
生まれてすぐ 黄泉の里に召されました。顔も見ていません。8ヵ月でした。
明日 お寺さんがお経をあげにこられます。お仏壇のそうじ、可愛い位牌がいとおしい。
ゴメンなぁ~ 私の頑張りが足りなかったばかりに・・・
死んだ子の歳、数えてしまいます。生きていれば31歳?5人目はやはり無理でした。
戦争を母の胎内で経験し、何もないまずしい時に生を受け、それだけでもありがたいのに、もっと、もっとと求めたりして、なんて欲張りだったのでしょう。
今、平和で、自由で、ラベンダーファームなど手に入れて、もう これ以上のしあわせ、ないですね。 死んだ子の歳は 数えません。
いのち
誰もその生きる道を邪魔してはいけない!
助けてあげなければ いけない!
お茶目で甘えん坊はそのまんま。でも歩くときに後ろ足がついてこない・・・。
草引きしている間はこんなふうに、シャッターをほとんど下ろして、外は打ち水。
少しでも しあわせ 感じてくれるかな? いつまでもパートナー役お願いね~~