米作り奮闘記 高齢舎(田中ファーム)

還暦を迎え、ラストチャレンジは米作りです。孤軍奮闘、手探りの米作りは、どうなるでしょうか。

8・6水害〔1993年8月豪雨〕の証言

2013年08月06日 | 風景
平成5年7月31日から8月7日にかけて、戻り梅雨が猛威をふるいました。水害の脅威はすざましく、多くの犠牲者を出し、地形までが変わってしまいました。

今年はちょうど20年の区切り、古いアルバムから当時の写真をピックアップしました。記憶が薄れているので、撮影日時は不明、場所も写真から判断したものです。天降川に架かっていた新川橋が崩落し、国道10号線が長期間寸断された。街道の至る所が通行止めになった。土砂で埋まった民家、剥がされた壁が辛うじて電柱で止まっている。土砂で埋まった民家だが、壁には土砂に埋もれた跡が着いている。土砂で埋まった民家、ブラウン管のテレビが外に押し出されている。甲突川に架かっていた五石橋のひとつ新上橋も流され、悲惨な姿を晒している。

証言 上場地区で酪農を営むMさんの話 あの年は、3月から雨が多くて晴れ間を見る日が少なかった。31日の夕方からずっと降りっぱなしで、実家に戻っていた長男に早く家に帰るよう促して間もなく道路が冠水、30cm位の深さになっていた。高速近くの牛小屋へ歩いて向かったが、どんどん水かさが増していた。田んぼで掛け干しに使う竹や、色んなものが流されていた。あんな災害は、初めての体験だった。

証言 上場地区で農業を営むKさんの話 重富干潟に流れ出す思川が氾濫した。姶良IC奥の東佐多町、西佐多町の田んぼはほとんど土砂に埋もれてしまった。道路と田んぼの境目が分からなくなって、被害の大きさを痛感した。山を背負った場所や低い土地に住まない方が良いと実感したが、20年たった今、教訓が生かされていない。

証言 蒲生に住む元教師のIさんの話 1日の帰宅時42号線で、2カ所の土砂崩れに襲われた。もう少しで巻き込まれそうになったが、難を逃れて迂回路を通りやっと家に帰り着いた。

証言 蒲生で食堂を営むTさんの話 8月6日、店で食事をした家族が、夕時に再来店してきた。「国道10号線が不通で鹿児島市の家に帰れなくなった。どこでもいいから一晩泊めて欲しい」と頼まれた。行き場の無い家族、その晩は店内の座敷で休んでもらいました。

証言 当時は営業マンだったSさんの話 新上橋が決壊して、下流域の市内にも水が溢れてきました。早めに会社に戻ろうと歩いていたら、みるみるうちに腰の付近まで濁流につかりました。歩けなくなり街路灯にしがみついていたら、すぐ近くのビルの2階で見ていた人が、窓からロープを投げてくれて助かりました。靴が片方流されたので、スリッパを拝借して泥道をビチャビチャいわせながら帰りました。

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