題名とのギャップが激しい
妖怪大戦争
http://yokai-movie.com/index.html
1968年版の大映「妖怪大戦争」を下敷きにして作った映画ですが正直、脚本が悪すぎる気がします。 ドラマがぶつ切りなのと繋がりが把握しづらいのを引いても酷い。
外したギャグも満載なのですが前半は鑑賞中の子供達も笑っていましたが後半はまったく置いてけぼり。
観に行く人で子供を連れて行く人は子供の「どーして?」とか「ナンなの?」って質問地獄に逢うと思うので要注意
ネタバレ混じりの感想は下に
・
・
・
・
・
待機中に劇場内でリピートで忌野清史郎の小豆の歌が流れていて劇中何処で使うかと思ったらあんなぶつ切りで使うとは予測できなかった これは酷い
前半30分くらいの展開は非常に良かった(大天狗がさらわれるトコまで)のだがぬらりひょんとかが出てきた妖怪会議(?)が終わったところから妙に失速してぐだぐだになっていったように感じた。
っていうか戦争してないよ 妖怪達も無責任に祭って言いきってるし。
加藤が「帝都」シリーズよろしく日本壊滅、アギは加藤の愛の奴隷状態
タダシ君は麒麟送子に選ばれスネコスリのために闘う
妖怪は… 基本的に何の役にも立っていない。
立場が噛み合っていないので戦争じゃなくタダシ(主人公)と一部妖怪(家来)と加藤一派(鬼)の桃太郎状態である。
でも悪魔君や鬼太郎みたいなモノを想像していくと本当に偉い目にあう。
妖怪は後半祭とか言って大量に集まる所は圧巻な絵なのだが理由がない上にたまに普通のスタッフ状態の人間が混じっていて悪乗りにしかみえない いいから闘え。
子供的にも普通でも妖怪が特殊能力をノン気に駆使して闘うのが見たかったんじゃないかなぁ?。
喧嘩祭でもいいのだが凄く貧弱に騒いでいるだけだし観ていてもりもりテンションが下がる。真面目に闘っているの鉄パイプ持った河童だけだし。
これでは真剣に闘っているタダシ君も悲しい目にあったスネコスリや犠牲になった妖怪も浮かばれない。
栗山千明演じる妖怪「アギ」って「安義の橋の鬼女(今昔物語)」から来ているのでしょうか?
どうしても「アギ 鬼神の怒り」って映画思い出してしまいます。
しかしあのデザインだとパンチラすると縞パンにしかみえない
豊川悦司演じる加藤は悪くないが嶋田久作をデジタルで復活させたほうが
(死んでませんが)
そんなに動かなかったし。
機械から合成して作られた怪物が東映戦隊みたいだった
というかモノを粗末にして恨むのは既に唐傘小僧がいるのでは?
妖怪ってそうゆうものが多かった気がするのですが。
あ、 ぬりかべがちゃんと九州弁喋ってました。
悪乗りするなら赤星昇一郎の子泣きジジィは出して欲しかったような気分もする。
ラスト前は結構色々な部分ほったらかして愕然
東京のお姉ちゃんは? 父さんは? 編集長は? 大天狗様は?
とってつけたような水木しげるの台詞は間違っていないが説得力なし
だって 戦争してないんだもん
タダシに押しつけただけだし。
宮迫は微妙に良かったが意味はなかった。
それはタダシのおじいちゃんも同じ なんというか勿体無い人物多すぎ。
タダシ君… 真っ白な嘘と真っ赤な嘘とかいうけどそれが大人の一歩だったら大人が嘘吐きって事ですね。映画は真っ黒な嘘だったし。
スネコスリが見えなくなった高校生タダシ君ですが大人になっても鈴の音が聞こえる「ポーラエクスプレス」の主人公と違って着実に汚れているみたいで物語的にはそれでいーのか?
しかしこれほど名前に偽りのある邦画作品も近年珍しい。
とても妖怪が好きな人達が参加している作品にはみえない。
金のかかった道楽作品なら「一軒家プロレス」の方がはるかにマシだった。
多分三池監督が悪いのではないと思う
爆発シーンや徹底的な破壊、絵は良いものが多い。…とフォローしようと思ったんですが監督も脚本に関わっているのね ぎゃふん。
さむだうん。
妖怪大戦争
http://yokai-movie.com/index.html
1968年版の大映「妖怪大戦争」を下敷きにして作った映画ですが正直、脚本が悪すぎる気がします。 ドラマがぶつ切りなのと繋がりが把握しづらいのを引いても酷い。
外したギャグも満載なのですが前半は鑑賞中の子供達も笑っていましたが後半はまったく置いてけぼり。
観に行く人で子供を連れて行く人は子供の「どーして?」とか「ナンなの?」って質問地獄に逢うと思うので要注意
ネタバレ混じりの感想は下に
・
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待機中に劇場内でリピートで忌野清史郎の小豆の歌が流れていて劇中何処で使うかと思ったらあんなぶつ切りで使うとは予測できなかった これは酷い
前半30分くらいの展開は非常に良かった(大天狗がさらわれるトコまで)のだがぬらりひょんとかが出てきた妖怪会議(?)が終わったところから妙に失速してぐだぐだになっていったように感じた。
っていうか戦争してないよ 妖怪達も無責任に祭って言いきってるし。
加藤が「帝都」シリーズよろしく日本壊滅、アギは加藤の愛の奴隷状態
タダシ君は麒麟送子に選ばれスネコスリのために闘う
妖怪は… 基本的に何の役にも立っていない。
立場が噛み合っていないので戦争じゃなくタダシ(主人公)と一部妖怪(家来)と加藤一派(鬼)の桃太郎状態である。
でも悪魔君や鬼太郎みたいなモノを想像していくと本当に偉い目にあう。
妖怪は後半祭とか言って大量に集まる所は圧巻な絵なのだが理由がない上にたまに普通のスタッフ状態の人間が混じっていて悪乗りにしかみえない いいから闘え。
子供的にも普通でも妖怪が特殊能力をノン気に駆使して闘うのが見たかったんじゃないかなぁ?。
喧嘩祭でもいいのだが凄く貧弱に騒いでいるだけだし観ていてもりもりテンションが下がる。真面目に闘っているの鉄パイプ持った河童だけだし。
これでは真剣に闘っているタダシ君も悲しい目にあったスネコスリや犠牲になった妖怪も浮かばれない。
栗山千明演じる妖怪「アギ」って「安義の橋の鬼女(今昔物語)」から来ているのでしょうか?
どうしても「アギ 鬼神の怒り」って映画思い出してしまいます。
しかしあのデザインだとパンチラすると縞パンにしかみえない
豊川悦司演じる加藤は悪くないが嶋田久作をデジタルで復活させたほうが
(死んでませんが)
そんなに動かなかったし。
機械から合成して作られた怪物が東映戦隊みたいだった
というかモノを粗末にして恨むのは既に唐傘小僧がいるのでは?
妖怪ってそうゆうものが多かった気がするのですが。
あ、 ぬりかべがちゃんと九州弁喋ってました。
悪乗りするなら赤星昇一郎の子泣きジジィは出して欲しかったような気分もする。
ラスト前は結構色々な部分ほったらかして愕然
東京のお姉ちゃんは? 父さんは? 編集長は? 大天狗様は?
とってつけたような水木しげるの台詞は間違っていないが説得力なし
だって 戦争してないんだもん
タダシに押しつけただけだし。
宮迫は微妙に良かったが意味はなかった。
それはタダシのおじいちゃんも同じ なんというか勿体無い人物多すぎ。
タダシ君… 真っ白な嘘と真っ赤な嘘とかいうけどそれが大人の一歩だったら大人が嘘吐きって事ですね。映画は真っ黒な嘘だったし。
スネコスリが見えなくなった高校生タダシ君ですが大人になっても鈴の音が聞こえる「ポーラエクスプレス」の主人公と違って着実に汚れているみたいで物語的にはそれでいーのか?
しかしこれほど名前に偽りのある邦画作品も近年珍しい。
とても妖怪が好きな人達が参加している作品にはみえない。
金のかかった道楽作品なら「一軒家プロレス」の方がはるかにマシだった。
多分三池監督が悪いのではないと思う
爆発シーンや徹底的な破壊、絵は良いものが多い。…とフォローしようと思ったんですが監督も脚本に関わっているのね ぎゃふん。
さむだうん。
久しぶりに見たいですね~
脚本は荒又氏が力を持っていたような気もします(脚本プロデュースって書いてあるし)。笑えるところは三池監督が好きそうな感じだし、水木先生は「戦争反対って言葉を入れようよ~」くらいを言ったのかもしれませんし…
オチについては「あれは何?」で、あとは黙り込んじゃってました。
昔の神田隆さんが妖怪軍団と一緒に走り回ってる映画のほうが、楽しかったような気がしますが、これは記憶の美化でしょうか。
その子は明日「ポケモン」を見に行くそうですが、いつも同じ話のポケモンよりはこの映画のほうが面白いだろうと言っていました。(でも見に行くのね)
ウチにはまだウソップランドの録画ビデオが何本か残ってます。
「バロムI」とか「飛び出せ!当たり屋」とか
子供に戦争を見せたくないのかもしれないけどタイトルにしているくらいなんだから何とかしてして欲しかったです。
ディズニーの「ロボッツ」では闘いがちゃんと描かれてるしパイ投げレベルでも戦争は表現できると思うんですけどねぇ…
戦争反対を訴えるなら戦争を説明しないととんちんかんになるのがよく分った映画でした。
・ ningyo 様
ストーリー上の「なぜなに」が一番困る映画でしたね
大人だって辻褄あってませんし。
オチったって小豆一粒で魔神が死ぬわけないとしか…
この映画なんで神木隆之介君のヒロイックファンタジーになったのでしょうかねぇ?
鬼太郎になってもいいから妖怪と人間が魔神を倒す話でよかったんじゃないかなと。
ポケモンもドラえもんも寅さんと同じで3作越えたら永遠の繰り返しですから 子供も予定調和が観たいのかもしれません。
共通の話題として。
私は『妖怪大戦争』、すごく楽しめました。滑り気味なギャグも、グダグダな戦い(?)も、全ての複線を無視したあんまりなオチも、ことごとくツボにはまりました。
京極夏彦氏は「妖怪は頑張らないんです。〈戦争〉なんて、妖怪に最も似つかわしくない言葉なんです」と日々力説していますが、その通りの映画でした。
正確には『妖怪大集合』ですね。こんなタイトルだと、全然大作感ありませんが。
最後の妖怪大翁の「戦争はいけません、腹が減るだけです」というセリフは、実に深いですね。
人間、着る物や棲む所がなくなっても何とか耐えられますが、食べ物がなくなって腹を空かせると、戦争に限らず、日常レベルでもとんでもない行為に及んだりするものです。「腹が減る」事は、全ての不幸と悪行の根源なのかもしれません。
ところで唐傘小僧(映画では「傘化け」)ですが、人間に捨てられた事を怨んではいないけど、やっぱりちょっと腹は立つので、通り掛りの人間の顔を舐め回して驚かせて憂さを晴らしてるとか。(『写真で見る日本妖怪大図鑑』より)
コメントありがとうございます
満足なされたのですね。
自分はどんなに持ち上げてもタイトルにつけるなら「妖怪大作戦」くらいかなと。
なるほどチーム「怪」の主張が戦争しなかった内容に反映されているのですね。
しかしそれでは頑張っている川姫や河童、猩猩が浮いてしまい展開的に不満を感じてしまいます。
水木翁の言葉は深いです。しかしどんな名言でもその前に説得力がないと浮いてしまうと思います。
特に子供は意味が通じないかもしれません
チーム「怪」が考える妖怪のあり方をチーム「怪」を知らない人が観て、映画の中で表現できているとは感じられなかったので自分は乗りきれなかったです。
唐傘小僧ですが水木しげるの妖怪百科ではおどかすだけですが他の妖怪百科、昔持っていたやたらと絵が濃いやつなのですが… 2本の太い腕で人の首を絞めるって説明のものもありました。
妖怪ってやはり年代にもよりますが怪奇なもの、邪悪なもの、」ひょうきんなものも色々なジャンルにいたので映画の中での世界の「妖怪の定義」がイマイチだったような気がします。
基本ライン、テーマ、造形、配役とかがかなり満足度が高い映画なだけに自分は落胆派です。
作ってる人たちが何しろ楽しそうなので大戦争というよりお祭り騒ぎ。それを楽しむ映画だったんでしょうね~。
出演者は楽しそうではありました。
しかし…自分は思うのですが作り手が楽しむのは最低限当たり前だと。
でも製作途中の現場の楽しさも苦しさよりも「観客を同じ位楽しませよう」ってのが自分は見えませんでした。
きつい言い方かもしれないですがお祭騒ぎ見るなら生のお祭にいきます 自分は楽しい映画が観たかった。
僕はうっかりクライマックス直前まで堪能してしまいました(笑
京極氏の言い分は理解できるんですが「鬼太郎」で西洋妖怪と領土争いするガチ戦争を描いた水木しげるに言わしちゃいけませんよね(笑
三池崇史監督は持続力がばらつく監督だと思ってます
「殺し屋1」とか「漂流街」「デッドオアアライブ」もやりたいところ以外は結構いいかげんですから。
「ゼブラーマン」や「着信アリ」は比較的一般向けに抑えていたとは思いますがその分、味が薄い作品だったと思います
今回は薄いというかとっちらかった感じですが。
思い込みや予測をなくせば結構楽しめるんじゃないでしょうか?あと理屈付けも。
タイトルからすればそうであるのかもしれませんが、
妖怪に戦争は似合わんよね(昔は人気とりのために戦争したかも知れんけど)。だから勘違い戦争にしたのも納得できる。
そんなことより、なんでビール飲んだら妖怪見えるようになるのかわかってない女の子が多そうなのが気になる(たいした理由ではないのだが)。