昨夜は22時前には帰って来ました。意外と早かったので、お米は食べないけど、奥さんが残しておいてくれたホタテのお刺身とキムチで、この秋に開けてしまったとっておきの焼酎の水割りと、ワインを少々いただきました。テレビは特に見るべきものはなくて、阪神が久しぶりに勝って、クライマックスシリーズでは巨人に負けて、今シーズンは終わりというのが見えそうで、何だかさびしい感じです。
本当なら、この時期にすごく伸びる若手がいてくれてもよさそうなのに、そんな人がいるようには思えません。藤波くんは秋はなかなか信頼できそうですけど、シーズン序盤は悪かったですからね。バッターも期待できる人がいないなあ。
昨日、川島なおみさんの訃報が入りました。芸能関係の方たちにはショックだったようで、みんながコメントを出し、昨日聞いたラジオでは、山田まりやさんが神妙な気持ちを語っていました。二十も年下なのに、しっかりした発言をしていて、そばにいた近田ハルオさんなんかは、「オレ、しゃべっていいの?」とか言って、ことばが出せないようでした。
だから(?)、私も帰りにクルマの中で聴こうと思って、モーツアルトの「レクイエム」のCDを朝持ちました。予定通りに、帰りは「レクイエム」を聴いて帰りました。でも、あまり神妙な気持ちにならなくて、ぼんやりと帰っただけでした。むしろ、「何だか軽い音楽だなあ」と、モーツアルトに文句が言いたいような気分でした。
幸い、中盤くらいからそれらしい音楽になって、満足できましたが、昨日の夜はどっちつかずの気分で帰って来たのだと思われます。
お風呂の中でも、死とは何だろう? とか思ったものでした。
でも、それは答えは孔子さんにもらっていたのだと今さらながら思います。
孔子さんは、「いまだ生を知らず、いづくんぞ(どうして)死を知らん(知っているだろうか)」と教えてくださいました。そうです。生きるということを知らない私たちなのに、どうしてその対極の死ぬということを知ることができようか。とにかく生きるということは何か? それを自分の生の中で知るしかないのだ。というのは、すごく健全でありがたいものです。
つい私たちは、「どうして人は死んでしまうのだろう」と嘆いたり、簡単に人をけなし、毛嫌いするために「死ね」とか言ってしまったりするものですが(私は、絶対に言わないし、そんなことは思わないという自信がありますが、それもあやうい自信です)、死を見聞きすることはできるけれど、死を語ることは私たちにはできませんし、死の本質を問おうとしてもムダだと思います。私たちは生すら知らないのですから、死を語ろうとするのはムダなこと、というのか、何も語れないという自覚を持たなくちゃいけない。
でも、死はすぐわたしたちのそばにあります。でも、私たちはそれが自覚できない。
「若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり。今日までのがれ来にけるは、ありがたき不思議なり。しばしも世をのどかに思ひなんや」〈一三七段〉
若さ・強さに関係なく、人の亡くなるときというのは思いもかけない時にやってくるものなのだ。今日まで自分たちが生きてきたことはありがたい偶然である。わずかな時間でも人生をのどかなものと考えていられようか。
と兼好さんは書いておられます。でも、これだって死を語っているのではなくて、生きることを書いているだけです。いつどうなるかわからないし、今生きていることが不思議と思おうぜ! という生きることへのメッセージです。
結局、私は少し悲しい気分にはなりましたが、どうにもできませんでした。モーツアルトは、また時々、夜に聴いてみようと思います。そして、「ハーレルーヤッ、ハレルッヤー」と真ん中のところで一緒に歌おうと思います。
★ 一年あまりたった今日、たまたま「レクイエム」を持っていたので、帰りに聞きました。私の持っているCDの前半は「レクイエム」ではなくて、5曲目か6曲目から、「レクイエム」が始まるのだ、というのを最近知りました。去年は何もかもごっちゃにして聞いていました。
一年経過して、やっと少しモーツアルトの「レクイエム」らしきものを聞けるようになりました。あいかわらず理解はできないし、モーツアルトにしてはメロディが転がっていかないので、ブンタカブンタカ、空間にもてあそばれるだけですけど、なじんできたので、少しだけ曲としてまとまって聞けるようになりました。
でも、まだ鎮魂はできなくて、音楽を鑑賞しているというところで止まっています。音楽って、私は楽器は一切ダメだから、とにかく聞くだけしかできませんが、その聞くだけでも、入り口で止まっている場合と、玄関に入れてもらえるくらいと、居間でリラックスできるくらいと、全身全霊で味わうなど、いろいろな入り方があると思いますが、まだまだ「レクイエム」は、入り口にも入れていない。通りすがりに耳に入っているくらいです。
なかなかムズカシイです。何度も何度も聞くしかないですね。でも、そういうのが味わえる天気じゃないとダメです。雨が降っていると、少し危ないなあ。今日はなんとか聞くことができる雨模様でした。もっと降ってきたらダメでした。(2016.9.30)
本当なら、この時期にすごく伸びる若手がいてくれてもよさそうなのに、そんな人がいるようには思えません。藤波くんは秋はなかなか信頼できそうですけど、シーズン序盤は悪かったですからね。バッターも期待できる人がいないなあ。
昨日、川島なおみさんの訃報が入りました。芸能関係の方たちにはショックだったようで、みんながコメントを出し、昨日聞いたラジオでは、山田まりやさんが神妙な気持ちを語っていました。二十も年下なのに、しっかりした発言をしていて、そばにいた近田ハルオさんなんかは、「オレ、しゃべっていいの?」とか言って、ことばが出せないようでした。
だから(?)、私も帰りにクルマの中で聴こうと思って、モーツアルトの「レクイエム」のCDを朝持ちました。予定通りに、帰りは「レクイエム」を聴いて帰りました。でも、あまり神妙な気持ちにならなくて、ぼんやりと帰っただけでした。むしろ、「何だか軽い音楽だなあ」と、モーツアルトに文句が言いたいような気分でした。
幸い、中盤くらいからそれらしい音楽になって、満足できましたが、昨日の夜はどっちつかずの気分で帰って来たのだと思われます。
お風呂の中でも、死とは何だろう? とか思ったものでした。
でも、それは答えは孔子さんにもらっていたのだと今さらながら思います。
孔子さんは、「いまだ生を知らず、いづくんぞ(どうして)死を知らん(知っているだろうか)」と教えてくださいました。そうです。生きるということを知らない私たちなのに、どうしてその対極の死ぬということを知ることができようか。とにかく生きるということは何か? それを自分の生の中で知るしかないのだ。というのは、すごく健全でありがたいものです。
つい私たちは、「どうして人は死んでしまうのだろう」と嘆いたり、簡単に人をけなし、毛嫌いするために「死ね」とか言ってしまったりするものですが(私は、絶対に言わないし、そんなことは思わないという自信がありますが、それもあやうい自信です)、死を見聞きすることはできるけれど、死を語ることは私たちにはできませんし、死の本質を問おうとしてもムダだと思います。私たちは生すら知らないのですから、死を語ろうとするのはムダなこと、というのか、何も語れないという自覚を持たなくちゃいけない。
でも、死はすぐわたしたちのそばにあります。でも、私たちはそれが自覚できない。
「若きにもよらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり。今日までのがれ来にけるは、ありがたき不思議なり。しばしも世をのどかに思ひなんや」〈一三七段〉
若さ・強さに関係なく、人の亡くなるときというのは思いもかけない時にやってくるものなのだ。今日まで自分たちが生きてきたことはありがたい偶然である。わずかな時間でも人生をのどかなものと考えていられようか。
と兼好さんは書いておられます。でも、これだって死を語っているのではなくて、生きることを書いているだけです。いつどうなるかわからないし、今生きていることが不思議と思おうぜ! という生きることへのメッセージです。
結局、私は少し悲しい気分にはなりましたが、どうにもできませんでした。モーツアルトは、また時々、夜に聴いてみようと思います。そして、「ハーレルーヤッ、ハレルッヤー」と真ん中のところで一緒に歌おうと思います。
★ 一年あまりたった今日、たまたま「レクイエム」を持っていたので、帰りに聞きました。私の持っているCDの前半は「レクイエム」ではなくて、5曲目か6曲目から、「レクイエム」が始まるのだ、というのを最近知りました。去年は何もかもごっちゃにして聞いていました。
一年経過して、やっと少しモーツアルトの「レクイエム」らしきものを聞けるようになりました。あいかわらず理解はできないし、モーツアルトにしてはメロディが転がっていかないので、ブンタカブンタカ、空間にもてあそばれるだけですけど、なじんできたので、少しだけ曲としてまとまって聞けるようになりました。
でも、まだ鎮魂はできなくて、音楽を鑑賞しているというところで止まっています。音楽って、私は楽器は一切ダメだから、とにかく聞くだけしかできませんが、その聞くだけでも、入り口で止まっている場合と、玄関に入れてもらえるくらいと、居間でリラックスできるくらいと、全身全霊で味わうなど、いろいろな入り方があると思いますが、まだまだ「レクイエム」は、入り口にも入れていない。通りすがりに耳に入っているくらいです。
なかなかムズカシイです。何度も何度も聞くしかないですね。でも、そういうのが味わえる天気じゃないとダメです。雨が降っていると、少し危ないなあ。今日はなんとか聞くことができる雨模様でした。もっと降ってきたらダメでした。(2016.9.30)