小学校の頃、憶えた詩といえば、高村光太郎の「道程」でした。
☆ ぼくの前に道はない。ぼくの後ろに道はできる
あの光太郎さんの詩でしたっけ。確か、卒業式の時にいろいろと特別なことを教わって(卒業式の呼びかけ、あれもイヤでした。イヤイヤばかり思ってる小学生だったんですね!)、その学びの中で教わった詩でした(たぶん? アルバムにも書かれてたかな? 先生たちのメッセージだったのかな?)。
教訓的に教わったので、拒否反応というのか、何だか人生の重さが押し寄せてくる感じがあったかもしれません。何しろ卒業したら、恐ろしい中学生という世界がやって来るんだから、人生とかよりも、私の憂鬱は深かったんです。
ウチには、ブックオフで百円で買った新潮文庫の光太郎さんの詩集がありました。智恵子抄もあるみたいだから、光太郎さんをもう一度読もうと思えば読めるんだけど、なかなか読めません。小学校のトラウマでしょうか(まさか! ただのグータラですね)。
実は、お説教臭いだけではなくて、もっと不安感とか、家族への思いとかあったんだろうけど、当時の私には気うつな詩でした。

小学校で憶えた詩はあと1つ、木山捷平さんの「遠景」でした。意味が分からないけど、あれは好きだった。
☆ 私にはとてもわからない
ただやたらに青いばかりの絵であった。
そして、時間は過ぎて、恐ろしい中学の世界に入ったら、まあ、何とか過ごすことかできていた。
詩では、金子光晴さんという詩人に出会います。人間は、詩人によってカエルになったり、枯れ葉になったりするのですが、金子さんは人間を「おっとせい」にしてしまいました。
☆ やつらがむらがる雲のように横行し
もみあう街が、おいらには、
ふるぼけた映画(フイルム)でみる、
アラスカのように淋しかった。
そいつら、俗衆というやつら。
ヴォルテールを国外に追い、
フーゴー・グロチウスを獄にたたきこんだのは、やつらなのだ。
バタビアから、リスボンまで、地球を、芥垢(ほこり)と、
饒舌(おしゃべり)でかきまわしているのもやつらなのだ。
ヴォルテールも、グロチウスも、バタビアも、何も知らない私でした。でも、人々から非難の対象にされた人がいたくらいの理解で、リスボンはわかるんですけど、バタビアも、ヨーロッパかどこかの地名なんだろうなと思っていました(本当は、インドネシアのジャカルタのことで、船でヨーロッパにも行ったりした金子さんには、ヨーロッパとアジアをつなぐ地名だったんでしょう)。
そして、世界は人々が生活していく時に、騒がしく、せっかちで、落ち着きがなく、人をけなし合い、非難の対象を見つけては攻撃し、常に混乱ばかりを招いているのだと思ったものでした(それは今も続いているようで、人間というのはそういう生き物なので、これからもずっとそうして生きていくのでしょう)。

私が中学生の頃、東西は冷たく切り裂かれ、巨大な中国は沈黙の大陸でしたし、ベトナムではいつ終わるのかわからない戦争が続いていた。どうしてあんなところで戦争するのか、アメリカはたぶん正義なんだろうけど、そのアメリカがちっとも解決できない戦争をしていた。
分からないことがたくさんありました。小学校の頃、偉いお方というと、ずっと佐藤栄作さんで、あんなおじいちゃんみたいな人が偉くて、あの人を中心に政治は回っているのかと、暗澹たる気持ちがありました。
でも、72年くらいに辞任して、日本列島改造論の田中角栄さんが飛び出てくるんですから、世の中とはわからないものでした。

私は、バタビアをパタゴニアと混同したまま、高校生になり、何もかもいい加減なまま、いい加減な知識で、とりあえず聞きかじろう、読みかじろうと、あれこれ高校生になったら手を出すんですけど、その間違いの始まりの一つが金子光晴さんの「おっとせい」という詩だったというオチにもならない、ただの思い出話でした。
そう、今もマチガイばかりしている。何歳なんだろう。いや、これからもずっとマチガイっぱなしで行きます。人に迷惑をかけないように、注意してボチボチいきます。
