甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

コロナに便乗してひと儲け!

2022年01月06日 20時36分39秒 | 私たちの社会・世界

 芥川龍之介さんの「羅生門」は、あまり好きではありませんでした。というか、全然イメージが湧いてこなかったし、何だか作りものっぽい感じがしていました。

 そりゃ、才能のある芥川さんが、今昔などの説話文学からアイデアをもらって、自分の好きな世界を作っていくんですから、彼は楽しかったでしょうけど、天才がみごとに作り上げたお話で、あまり関西の香りはしませんでした。東京の人がしゃべっている感じでした。関西の事件であれば関西弁でいいような気がするんだけど、当時の人たちのしゃべりって、今とは違ってただろうし、細かいことは気にしない、というところかな。

 そうだ! マカロニ・ウエスタンというのがあったんだから、平安京においても、下人や老婆がココテコの標準語でしゃべってもいいわけですね。カーボーイだって、「グラッチェ」「チャオ」とか言ってもいいんだ!

 関西人だけが、関西のことを語れるのではなく、平安・鎌倉のことは、説話文学を読めば書いてあるし、たまにセリフっぽいものもあるし、それらを上手に組み合わせたら、おもしろい話はできるんでしょう。東京の人が関西人を書いても、細かいことはいいんだ。それよりも中身なんだ。

 私みたいなヤツのヒガミですけど、「人工的で、わざとらしい、東京人の語る都の世界なんて! そんなの本物じゃない!」なんて、心のどこかで思ってましたかね。

 いや、特にキライという訳でもなかった。それよりも黒澤明さんの「羅生門」が、芥川さんの「藪の中」を使っているという、そっちの方に気を取られるところがありました。タイトルは「ラショーモン」なんだけど、中身は違うなんて、脚本のみなさんたちのいろんなアイデアは、それなりに人間ぽくて、こちらは割と好きになれたし、時々は映画を全部見直して、その度に新たな発見みたいなこともして、映画に関わる人の思いを感じられる方が大事でしたね。こちらの魅力に負けてしまってたかな……。いつ見たんだろう。初めて見たのは、NHKの教育テレビだったでしょうか。


 小説の「羅生門」の冒頭で、都が荒廃している例として、お寺の仏像や仏具、これらはたいてい木でできていますから、それを焚き木にするような、それらを売ったり買ったりして、最終的には燃やしてしまう世の中になっている、というのが書かれています。

 ずっと、「そういうことがあるものか! 芥川さんは作りすぎなんだよ」と思ってきましたけど、いや、それは平安時代の末法の世だからではなくて、明治の初めの日本でも、ものすごいお寺への攻撃があったのだと、今さらながら気づいたわけでした。

 きっかけは、政府にありました。1968(M1)年、神仏分離令というのが出されます。新政府として、先ず宗教に手を出してみた。

 というのも、江戸時代のお寺は、戸籍担当で、人々を登録・管理するのをお寺が担い、すべての人々はどこかのお寺に所属しなければならなかったのではなかったですか。そして、各地のお寺と神社は、混然一体となっていて、境内には仏様も神様もゴッチャで存在していた日本の宗教の形がありました。

 本当なら、その分離令によって、整然とお寺と神社が上手に分かれてくれたらよかったけれど、簡単に「さあ、明日からバラバラになりましょう」というわけにはいかなくてモタモタしていたら、人々が260年もの間自分たちを縛り続けていたお寺に対して反発したかったのか、誰かの扇動にのったのか、それとも狂信的な支配者がいたのかで、日本全国にお寺を自発的に攻撃する嵐の期間が何年か続きます。

 お寺は取り壊され、宝物は持ち出され、売れそうなものは売り飛ばされ、外国の人たちは、気に入った仏様があれば買い取りして、お寺の土地も利用できるものは利用し、山の中のお寺は取り壊したまま放置して、それまでの仏教文化は全否定された時代があったようです。

 今、私たちが行かせてもらえるお寺は、その嵐を乗り越えたところですが、それなりに被害があったものと思われます。有名な神社と共存していたお寺は真っ先に取り壊され、そこの仏様も放り出されたり、壊されたりしました。

 その時に人々には罪悪感はなかったんだろうかと、思ってもみるのですが、たぶん、なかったでしょう。むしろ、快感・解放感・自由など、楽しい気分を味わったでしょうね。人というのは、そういうことをしてしまう生き物なのだとつくづく思います。今も同じで、何かのきっかけがあったら、とんでもないことを集団的にしてしまう。

 日本だけではなくて、世界の国々で、そういうことは起こり得ると今さらながら思います。


 分離令の二年後、政府は「寺社上知令」というのを出して、各地のお寺と神社の土地を取り上げます。

 これは、国庫を安定させるため、取り上げられるところから取り上げた。土地から得られる収入でお寺や神社を経営するのではなく、自分たち独自の工夫で生きていけ、運営できないところはやめてしまえ、小さなお社は取り潰せ。すべて合理化しろ。これらも今と同じです。国の収入のため、考え付いたことを片っ端からやってみたんでしょう。

 人々からも突き上げられ、国からも土地を取り上げられ、経営は自己努力で行え、財政的な支援はしないだなんて、どこかの政府がやりそうなことです。

 それから30年、淘汰され、荒廃させられた全国のお寺と神社、生き残る工夫ができたところを保護するため、古寺保存法(1897)というのができたそうで、ようやく日本の宗教文化を守らねばならないと気づいたようで、それだけの時間をかけてやっと見直す気になったようでした。

 この法律をふりかざし、人々を扇動し、メチャクチャにしておいて、しばらくしたらあわてて保護するなんて、よくあるんですね。イヤになってしまう。どこも同じです。

(というのを、この前室生寺に行って考えてたんですね。そういう結論かな。まあ、いつもと同じようなオチでした。)

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