
私はふるさとから切り離されたひねくれ者です。素直に生きていきたいと、昔は思ってたけど、昔って、いつ頃だろう、十代後半かな。
素直に生きていくなんて、バカ者です。世の中なんて、素直に生きている人なんてどこにもいません。
みんな、虚栄心やら、リッチな暮らしやら、高収入のお仕事やら、何かしら人を出し抜いて、自分だけが得をする道を選ばないと、損をしてしまうし、みんなから置いてけぼりを食らってしまう。自分に素直であることと、正直に生きることというのは別次元であることもあるみたいです。
それなのに、バカ正直に自分のやりたいこととは何か、社会に貢献できることは何か、私って、どんな持ち味のある人間なのか、何となく模索していたと思います。
でも、根はひねくれ者ですから、真面目にやろうとは言いつつ、すぐに飽きてきたり、弱音を吐いたり、不平不満をタラタラ言ったり、努力を怠ったり、そういうグータラで文句たれのダメなところが出てしまって、とうとうふるさとの大阪から出て行くことになりました。
まあ、ひねくれ者にはいい勉強になったんでしょうか。何だか、懸命に言い訳している気がしてきました。(スミマセン)

そして、何十年かが経過して、たまにふるさとの大阪を遠くから見てみたら、毎日毎日とんでもないことになっています。そして、メディアは某芸能会社と某政治組織に蹂躙され、そこのタレントを使わないと番組が成り立たないようになっている。
そんな悲惨な状況になっているようです。
お仕事もしないで、テレビで好きなことを言う方がお金が儲かるなんて、何という皮肉、何という不幸。わたしのふるさとの大阪は、よその土地から見たら、ものすごく悲惨で、見てられないのに、みんなはその土地にすがって生きて行っている。
私は、今さらふるさとに戻ろうなんていう気持ちはなくしてしまいました。というか、生きていく方法がありません。実家と母と弟家族がいますし、友だちもあちらこちらにいました。
でも、簡単に会いに行けないし、会えたとしても、私の立っている場所がないから、すぐに私は自分の町に帰らなくてはならない。

私の生まれた土地は、カゴシマです。でも、そこでの人間関係はほとんどないし、私自身がそれほど関わっていなくて、こちらとの関係もありません。
私の居場所はどこにあるのか、家族だけではないと思うんです。まだ出会っていない友だちだっていると思います。
私は、ひねくれ者で、すぐにすねるし、おだてられると(そんなことはほとんどないけど)、上ずってしまうし、落ち着いていい仕事をするって、なかなかないんです。
人に喜ばれる仕事、今もしているだろうか。反省は尽きませんけど、そんなにいっぺんにキャラは変えられないから、このコロナ禍で、私にできることをやっていきます。ひねくれ者のド根性を見せられるように、何か小さな一歩からやっていきますね。