甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

♬2600年! ああ、すごい歴史

2021年02月24日 21時19分49秒 | 私たちの社会・世界

 ほんの少し前の建国記念の日、ありがたくお休みしてましたけど、こんなにお休みをいただいても、何だか無意味だなと思いつつ、ボンヤリ過ごしていました。

 コロナの嵐は吹き荒れているので、私みたいな体幹のないフニャフニャのオッサンには、とても外を出歩く気がしないのでした。だから、テレビも見ない、片付けもしない、読書も飽きた、庭仕事は花粉が飛んでるからダメで、本当にどうして休みなのか、悲しくなるくらいで、ムダに1日過ごしたようなものでした。

 そもそも建国記念日って、いつからなの? と思ったら、当然のことながら、明治6年・1873年に作られたそうです。紀元節ということだったんですね。当時の人々みんなは、それって何のこと? と、意味不明だったことでしょうね。

 でも、少しずつ教育は施されて、BC660年の1月1日に、奈良の樫原市あたりで神武天皇が国を開いた、ということになっていきました。太陽暦に直すと、2月11日だから、この日を紀元節としてお祝いしようと盛り上げていったということでした。



 何しろ260年間、みんなバラバラでそれぞれの小国だけが自分たちの世界で、日本とか、ヤマトとか、近代国家だとか、気張らなくても良かったのです。まとまりのない大阪はもちろんのこと、三重県だったら、桑名は本多さんから松平さん、今の鈴鹿あたりはお城があったけど、何かの藩、四日市はお城なかったなあ。津は藤堂藩、亀山はまた別の系統、松坂は紀州の殿様の領地、鳥羽や海岸部はどうだったのかな。伊賀は藤堂さんの別枠かな。とにかく、三重県だけでも小さな国がそれぞれに自分たちの世界の中だけで存在していました。

 でも、明治になって、そんなのを取っ払って、無理やり一つの国にまとめ上げねばなりませんでした。今、ミャンマーや、中国などでドタバタしているのも、本当はそれぞれ別の枠で生きていたものが、無理やりの力で一つにまとめようとすると、ウイグル・チベット・香港を共産党の支配下にして、反対派をすべて抑え込まなくてはならなくて、あらゆる手段を使って均質化させているみたいだけど、あれと同じで、すべてを同じ土俵にするためのウソをあれこれこねくりまわしている、それを明治の初めの日本もやっていたのです。

 近代国家のためには、どんなウソだって許される、そういう思考法で、この国は江戸どころじゃなくて、2533年前に国家として成立していたのだ。そう書いてある古い歴史書もあるし、研究者もいる。そういう長い歴史を下々の国民は学ばねばならないし、誇りとして生きていかなくてはならないのだ。

 そのように教えてくださる先生もいたでしょうね。

 奈良の大和三山の畝傍山のふもとに、急遽神武天皇のお墓を新設し(それらしいお寺もあったということですが、そんな古いことを保持できるような、歴史を大事にする国民ではなかったと思いますよ。ほとんどの人は何も知らなかったと思うし、根拠もなかったはずです。どこかのエライ学者さんが主張したら、簡単に通った時代があったんだと思われます)、橿原神宮が新設されました。明治神宮は明治天皇をおまつりしてるから、もっと後なのかな。とにかく、近代国家の鎧づくりのために、内部固め・精神的な神話づくりもなされたのでしょう。



 それは、戦後のGHQによって紀元節が廃止されるまで続きました。75年間もウソを守ってきたわけです。そして、少しずつ戦後の日本が、明治政府の魂を取り戻そうとする流れの中で、1966年に「建国記念の日」が設定され、戦前と同じように、神武天皇が建国宣言をした日を太陽暦に換算した2月11日と決定し、明治の頃と同じように祝日にすることにした。

 かくして私たちは、55年くらい、どういうことのなか、イマイチ意味も不明のまま、有難みも感じないまま、ボンヤリとお休みしてきました。

 これが、かつての日本のように、有り難い日となり、国民みんなでお祝いしないといけない日にならないように、ずっと見守って行きたいけど、それはどうなるのかわかりません。

 国民の皆さんが、それじゃあお祝いしてしまえ! 神武天皇のおかけで、私たちの国が存在することができた。バンザイ! とか言うようになったら、ウソがマコトになってしまう。怖いけど、かつてもあったことだから、そうならないとも限らないのです。

 私は、無意味にお休みさせてもらわなくていいんです。花粉が飛んでるから、あまり外には行きたくないので、この時期のお休みはうれしいのです。でも、日本全体が、意味も分からないウソみたいなことを大事にさせられるようになったら、やはりいけないなと思うのです。

 ああ、私たちの現在の国家って、根幹がアヤフヤなんですよね。もっと足元のしっかりした国家であってほしいけれど、今ここにいる私たちが、自らの権利をしっかり保持できて、自らの意見をしっかり反映できる国や政治にしていかないといけない気がします。漱石先生も、百年前に、私たちの国って、上滑りで、自分たちの自然発生的な国家像を持たないのまま、やみくもに世界の中でもがいている、みたいなことを書いておられました。ずっと私たちは、その流れの中にあるみたいで、自然な発展性を持つ国になれていないというのです。

 今の中国も、そんな気がします。不自然な展開です。ロシアは、時代が変わっても、独裁政治が好きみたいだし、世界は答えを探しているのに、答えはいつも間違ったものだけが正解とされてる気がする。

 人任せにしていたら、とんでもない親分たちが、自分たちの権利や都合のいいことばかり押し進めるでしょう。一つずつ、そういうのを引きはがし、ウソを見破り、ズルする奴らを懲らしめていきたいのだけれど、なかなか簡単ではありません。

 花粉を浴びながらでも、世の中の流れをしっかり見ていかなきゃいけないですよね。



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