甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

自由の歌をうたおう!

2022年03月25日 21時11分54秒 | ことば見つけた!

 写真は、2014年のヤヌコーヴィチ大統領を追い落としたユーロマイダン革命(欧州広場革命)の写真ということでした。この時は、政権側と革命側とで戦う内戦みたいなものだったようです。でも、今みたいな国対国ではないから戦車隊は出なかったでしょうね。

 そして、親ロシアの大統領ヤヌコーヴイッチはロシアに亡命し、何代か大統領が変わり、今のゼレンスキーさんは、法律を学んで、それなりに素養は持っていたということですが、お仕事はメディアの世界だったそうです。コメディアンだったというけど、将来的な展望のあるコメディアンだったんですね。

 メディアの世界で人気を集めて、政治風刺の番組なんかも作ってきていた。その発展形が2019年の大統領選で、現職のポロシェンコさんに勝ち、大統領に就任したということでした。

 コロナ危機の間、ずっと大統領を続けてきたんですね。日本では、無責任でおしゃべりのAと、何もしゃべりたがらないSと短命な総理が続いて、今は懸命さが売りのKさんが東奔西走で頑張っておられる。彼には、疲れないか心配になる私ですけど、どうなんだろうね。すぐ足を引っ張られるんでしょうか。

 ウクライナのゼレンスキーさんは、2年くらいかけて欧州へ軸足を置こうとした。ロシアには背を向けて、腐敗だらけの政治家たちから一歩距離を置いたところで国を指導していこうとしていたようです。

 でも、少し速足の変化を求め過ぎたのか、古い独裁者であるプーチンには耐え難くて、「ゼレンスキーを追い落とせ。中立化(という親ロシア化を)しろ。NATOに入らないと誓え。」と戦争を仕掛けることになりました。

 戦争はもちろん終わりません。プーチンにも結論は見えていないのでしょう。国内に残るウクライナ軍が降伏したら、それが戦争の終わりなのかもしれない。

 だったら、早く降伏すればいいじゃないの。NATOなんか入らなくてもいいよ。隣にロシアという独裁者の存在する国がある限り、ロシアはその1点だけで攻撃を仕掛けてくるんだから、もう入らないと宣言すればいいよ。

 なんて思ってしまいます。どっちにしたって、国民には迷惑なことです。ロシアが攻めてくるのも、国内にNATOの基地ができるのも、そんなの要らないのに、どういう訳か、政治家は軍という力を求めてしまう。



 テレビを見ていて、住むところのなくなったおばあさんが、私はどこに行ったらいいの? 私はどうなるの? と訴えておられたけれど、独裁者が近くにいるということは、こんなことがまわりで起きてしまうようです。

 私は、NATO軍よりも、独裁者は要らない派なんだけど、おばあさんにしてみれば、どうしてこんな戦いをしなきゃいけないのか、納得できなかったでしょうね。

 国が踏みにじられたら、私は戦えるだろうか? それは自信がありません。日本みたいなところは、逃げるところがないから、とりあえず、長野県か、山梨県か、中国地方の山の中か、三重県民だから、紀伊山地の山奥に避難の場所を求めた方がいいでしょうか。逃げまわって、戦わなくていいようにしたいんだけど、真っすぐで平らなウクライナだったら、逃げるところはないですね。おばあさんがかわいそうだった。彼女は、逃げる場所もないようでした。テレビの人たちが助けてあげたらいいのに、どうなったんだろう。



 今、色川大吉先生の「自由民権」岩波新書を何日も読んでますから、「自由」とは何かを考えたりもします。こんな歌が載っていました。

  あれ見やしゃんせ るーそーの 牢屋の内の憂き艱苦(かんく)
  これも誰ゆゑ自由ゆゑ

 百年前の先人たちが、人間のもちものの中でもっとも尊い「自由」というもののために、一身を犠牲にして戦ったその恩恵に私たちはあずかっている。自由はみずからの手でかちとるもの、人間の尊厳の源泉のもの、失いやすいものゆえ不断に大切にしなくてはならないもの、そうした教訓を彼らは残した。

 私たちの祖先が百数十年前に政府と各地で戦い、何度も踏みにじられ、無視され、抑えつけられながらも勝ち取ってくれたおかげで、とりあえず今の私たちの「自由」があります。

 私が獲得したものなのではなくて、たくさんの人々の犠牲と努力によって、今の私たちの自由がある、のん気にブログしたりすることも許されている。

 こんなに何も考えず、浮かれてていいわけはありません。誰かが苦しんでたら、私もその苦しみを軽減できる何かをしなくてはいけない。微力ではあるけど、何かをしたい。



  われに自由をあたへよ 然らずんば死を
  自由ハ鮮血ヲ以テ買ハザルベカラズ 

 アメリカ独立運動の闘士パトリック・ヘンリーの言葉である。これらの名文句は当時の日本青年の血を沸かした。

 「自由を我らに!」、言うはたやすい。だが、一つの制限された不十分な「自由」ですら、それを獲得するためには、われわれの先人は自由民権期もその後も、るいるいたる屍(しかばね)を重ねねばならなかったのである。

 私は、もう一度、今ある自分たちの環境を少しでも良くしたいと、日々努力したいし、苦しんでいる人のために、私にできることをしたい。

 自由の歌をうたうのは簡単です。オラは自由だよ、とハナウタを歌えばいい。でも、その歌をうたうには、いろんな人の思いをかみしめなきゃと思います。

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