先日、外宮さんに行かしてもらいました。というか、自分で行きたいと思って行きました。焼きパンを買いました。あっという間に食べました。うちの奥さんも気に入ったみたいだった。彼女は古典的なお菓子だったら、食べるんだ。南部せんべい、千葉県のピーナッツ、ぶ厚いしょう油せんべい、その他いろいろ、焼きパンもそんな懐かし系の味がしたんだと思う。
彼女が積極的に食べるので、すぐになくなってしまったけれど、それはそれ、私も食べたのだから、みんなが食べるものはすぐになくなってしまう。そんなの当たり前だ。だから、またどこかで買って来なくちゃ。でも、彼女も一緒に行ってくれたらいいのに、なかなか二人でどこかへ行く、というのがなくなってしまった。すべてコロナのせいだ。まあ、また、これから行けばいいか。
外宮さんは、それなりにお客さんは来ていました。そりゃ、全国から来られています。志摩半島の山懐にある伊勢の外宮・内宮、なかなかお参りするチャンスはないですけど、私たちは守られているのだと思います。
もう千数百年、伊勢の神様はこの土地を守り続けてくださいました。人間たちも神様を信じてこの土地で生きてきました。そして、これからも生きていきたいのですけど、少しだけ足元は揺れています。ここに住む人々も、何だか不便だ、もっと都会の方がいいだなんて、都会に心を奪われて? 少しずつ流出している。
本当は、都会は、住みにくくて、物価は高くて、住むスペースは狭くて、息苦しくて、あれこれと気ぜわしい都会よりも、住むためには田舎がいいのに、若い人たちは、何となく都会へ出て行きたいという気持ちも抱えている。
実際に住んでみたら、自分の住んでた町の良さがわかると思うけど、一度は出て行かないとダメなのかな。
そうこうするうちに、田舎は外部資本に買い取られ、区切られ、立ち入り禁止区域がどんどん広がるんじゃないかな。田舎は禁止区域ばかりになるのも時間の問題かな。
お参りの後、山田地区(伊勢市の西部です)を歩いてみました。市立図書館の前に竹内浩三さんの詩のパネルを見つけました。
前後はたくさんありますが、ここだけを切り取ってみました。
ボクをいじめるな
ボクだって その弱点は
よく知ってるんだ
とほうもなくおろかな行いをする
とほうもなくハレンチなこともする
このボクの神経が
そんな風にする
みんながみんなで
めに見えない針で
いじめ合っている
世の中だ
おかしいことには
それぞれ自分をえらいと思っている
ボクが今まで会ったやつは
ことごとく自分の中にアグラをかいている
そんな詩でした。まだ続きはありますが、もう書き込みません。みんな愚かなはずなのに、それを認めずに、偉ぶっている。すぐにバケの皮がはがれて、つまらないところで記念撮影やら、バカ騒ぎをしているのに、それの反省はなしで、こっそりやらなきゃダメだと、やり方を反省していることでしょう。
自分の愚かさを認められないんだよなあ。まあ、だからこそ偉そうにやってられるんだろうな。
私たちは、もっと竹内浩三さんを現代に読み返さなくちゃいけないな。ただの教訓じゃないんだよ。今、自分に読み聞かせなきゃいけないんだよ。