甘い生活 since2013

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ジャン・ジォノの寓話、木を植えた男

2019年04月08日 21時44分03秒 | 本と文学と人と

 ジャン・ジオノというフランスの作家さんがいたそうです。1895~1970年の間の人生の後半で書かれた短編小説に「木を植えた男」というのがありました。

 アメリカの出版社が募集した時には、実話を書いてくださいということで、そこに彼が持ち込んだ原稿であったので、編集者たちはそこに書かれたことが事実なのか、実在したのかにこだわったそうです。事実なのかどうかをしつこく迫られたジオノさんは、「もういいよ、勝手にして」と投げ出して、著作権を放棄したそうです。

 それでも、英語版ができ、少しずつ話は広まり、ジオノさんが亡くなったころにはフランスでも本が出たということで、それなりに人々をひきつける物語であったみたいです。

 どんな話なのかというと、ウィキさんに聞いたのを短くまとめてみます。



 1913年6月、フランスのプロヴァンス地方の荒れ果てた高地をあてもなく旅していた若い「私」は、そこで一人暮らしをしている寡黙な初老の男に出会います。水もない、荒れ地です。人里もないところで、その人の家に泊めてもらうことになります。男の人が黙々とドングリを選別していたそうです。

 男がこんな荒れ地でどんな生活をしているのか気になった「私」は、もう一晩泊めてもらい、翌日には男と連れ立って荒れた丘へ登り、男の人は前日選別していたドングリを植えているようでした。

 まさに「木を植えている男」でした。

 男の名前はエルゼアール・ブフィエ、年齢は55歳、かつては他所で農場を営んでいたが、一人息子と妻を亡くした、特別にすることもないのでこの荒れた土地を蘇らせようと思い立ったことなどを聞きこんだそうです。三年前からドングリを植えているという話を聞いて、翌日には別れたそうです。



 1914年から第一次世界大戦が始まり、従軍した「私」はブフィエさんを思い出すこともなく、戦争に明け暮れます。

 五年後、戦争が終結し、わずかな復員手当てをもらった「私」は、澄んだ空気を吸いたいという思いから、もう一度荒れ地へと向かいます。男の人が木を植えてから十年ほどが経過していました。

 ブフィエさんは変わらず木を植え続けていました。

 「私」とブフィエさんは連れ立って、荒野を覆うように育ったナラの森を歩きます。すると、「私」の背丈より高く成長したナラの木々に、「私」は深い感銘を覚える。ほかにも「私」が従軍していた1915年に植えられたというシラカバの森は、「私」の肩のあたりまで成長していたんだそうです。

 それから「私」は年に1度は必ずブフィエさんを訪ねるようになります。

 失敗もあり、時間は経過して、周囲の人間はブフィエさんの活動にまったく気つかず、

 ときどき訪れる猟師などは森の再生を「自然のイタズラ」などと考えていたそうです。

 森林保護官が「自然に復活した森」に驚き、ブフィエさんに「森を破壊しないように」と厳命をします。

 いつしか森は広大な面積に成長し、森が再生したことで、かつての廃墟にも水が戻り、新たな若い入植者も現れ、楽しく生活するようになります。新しい住民はブフィエさんの存在も何もかも知らないままに、過ごしている。やがて男は静かにこの世を去っていく、そういう内容でした。

 私は、フレデリック・バックさんの短編映画(1987)でこの作品を知りました。

 このお話はフィクションであり、実話ではないそうです。

 でも、振り返ってみれば、ここまで見事に人々の暮らしをささやかな行動の積み重ねで、誰にも認められないままに作り上げた人って、世の中にはたくさんたくさんいるのだと思われました。

 みんな誰かに褒められたいけど、誰も褒めてはくれず、仕方がないので黙々と自分の仕事をして、それがだれかの支えになっていること、それを支えられている方も、支えている方も、そんなに意識はしなくて、何となく私たちの暮らしはうまくできている、などと思っていたりする。

 ホントは、たくさんの知らない人のおかけで、私たちの暮らしが成り立っているのに、それを私たちはなかなか知ることができない。

 でも、私たちは、誰にも褒められないけど、自分に与えられたテーマなのだと、見返りも求めずに毎日に向かって行く。

 みんながやっていることのエッセンスを、ジオノさんは寓話として作ってくれたんですよ。

 それを映像化したくて、実話であろうが、虚構であろうが、フレデリック・バックさんは作ってしまった。それが1987年だったそうです。

 アニメを作ったフレデリック・バックさんは、2013年に亡くなられました。

 しばらく、そういうお話の世界から遠ざかっていましたけど、ふたたび、そういう生き方をしなくてはと、今日ふと思いました。

 私たちの暮らしは、いろんな人たちの日々の「木を植える」ことによってできあがっている。私も、明日また、どこかでちゃんと木を植えなきゃいけないし、それの見返りを求めず、人知れず植えていきたいと思いました。

 私が「木を植えること」って、いったい何になるのかな。そんな地道なこと、しているだろうか。


 というわけで、調べてみたら、フレデリック・バックさんのお誕生日でした。1924年の4月8日にお生まれだったそうです。フレデリック・バックさんも「木を植える」つもりで絵を描いてたんでしょうね。

 これは、馬酔木(あしび)です。どうだんつつじではないみたい。


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