三連休、ほとんど家の外にすら出なくて、引きこもりです。
でも、今朝、雨戸をあけると、少しだけ雪景色で、せっかくだから、雪と電車の風景を撮りたくなっていますが、はたして私は外へ行くのかどうか、とりあえず、窓の雪を融かさないとダメですね。
昨日、イーグルスの「Long Road Out of Eden」の二枚を聞き、Totoの編集版も聞き、気分は80年代でした。
だもんですから、買ったままにしていた「ウホッホ探検隊」を取り出して、半分くらいまで読みました。活字が大きいので、あっという間に半分までたどり着きました。
3回目かもしれない。本は福武文庫と、小学館と、河出文庫で3回目の購入です。とにかく、あがたさんの本がもっと売れないかなと、私なりのむなしい努力をしています。
そんなことより、どうしてあがたさんかですね。
昨日、半分まで読んでみて、わりと細かな所まで、やっとわかってきたという感じです。
有名なところを抜き書きします。
「お母さんもよ。お父さんも、こういう奇妙な離婚について戸惑っているところがあるみたい。家に入って来る時、ちょっと咳払いするでしょう」
「僕たちは探検隊みたいだね。離婚ていう、日本ではまだ未知の領域を探検するために、それぞれの役をしているの」
「そうか」
「やっぱりお父さんが隊長かな」
「そうねえ。……」
昔、といっても、そんなに昔じゃなくて、つい数年前、あがたさんを私の中で発見した気がして、本を探して読んだ時、何だか作り物という感じがしました。抜き出したところも、母と小6の男の子の会話ですけど、いかにも離婚をテーマに扱ってますよ。このテーマを深く掘り下げますよ的なにおいを勝手に感じて、イヤだなと思ったところでした、たぶん。
いや、こんなところがあったというのに気づきもせずに、ぼんやり読んだだけかもしれない。
そして今、読んでみたら、この真ん中あたりの二人の会話が、何となくしみいるようです。うちはたまたま離婚はしていないけれど、たぶん、これからもしないでいたいと思うけれど、それは人間のすることだから、どうなるかはわからないけれど、とにかく、小説の中では離婚する夫婦と子どもたちが描かれている。
語りは、二人の男の子たちのお母さんの視点で語られていく。母が二人の子どもを見ながら、あれやこれやと思いを巡らし、今と少し昔を行ったり来たりする内容です。
お話は、結局オチがあるのではなく、途中でポツンと終わってしまう感じだったと記憶しています。今晩読んでみたいと思います。
先ほどの会話の続きを載せてみます。昨日、びっくりしたところでしたから。
「そうねえ。今思い出したんだけど、初めておばあちゃんの故郷の奄美の沖永良部島へ行った時、船が海の真ん中でさ、水平線が丸かったでしょう。先に何があるのかわからなかった。やがて水平線に島が見えてきた。
本船から艀(はしけ)に乗り移る時に、太郎はまだ五つか六つだったけど、誰よりも先にとび移って、艀の舳先(へさき)に立ってキリッと前を見ていた。あんな感じね」
「お父さんは家に入って来る時、ウホッホって咳をするから、ウホッホ探検隊だね」
「ウホッホ探検隊。すてき」
この小説のタイトルに関わる大事な部分でした。そうか、変てこりんな題名でしたけど、これで芥川賞が取れなかったのかもしれないけど、とても大事なところだったんだな。
そこから後にも、離婚に関するお話があります。
「ふしぎに思うんだけど、お父さんとお母さん、仲わるいように見えないな。喧嘩したこともないし、四人でいると、ふつうの家族みたい」
「喧嘩というのも、相手に向けるエネルギーだから、情熱がないとね。お母さんもよくわからないけど、家族というのは、それぞれのいいところも悪いところも見せて、許し合って一緒にいる場所なんじゃないかしら。
今、お父さんとお母さんは、いいところばかりでつき合っているし、お父さんが働くエネルギー源は、もう一人の人が受け持っているわけだし」
「船が二隻だね。こっちは三人で向こうが二人。お父さんは別の船から、こっちも見ていてくれるんだね」
「この四人が家族です、と決定している時は、私はお父さんが働いてくれることに感謝することを忘れっぽかったけれど、今はアリガトウという気持ちなのね。
お父さんも、子供は元気が当たり前と思っていたのに、今は離れていても子供がちゃんとしていることに安心したり、タノムヨという気持ちを持っているみたい。ふしぎね」
そんな話をしたのだった。
ああ、日ざしも出てきました。雪も解けてしまうかもしれない。残念だな。とにかく外に出てみなくては!