甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

木はたぶん見ていた

2024年09月11日 19時47分09秒 | 草にうずもれて

 彼女の実家にポツンと咲いていたサルスベリ。たぶん、ブログに載せたはずなんだけど、簡単には見つかりません。彼女の家は住民がいない状態だけど、ご近所の方々のおかげで、彼女の庭や木々などは誰かが住んでいるようにしてもらっている。それでも、彼女にしてみたら、心を痛める状態には違いないけれど、木というのは象徴的な存在で、彼女の過去を今につなげる数少ない存在です。

 桜もあったということだけれど、桜は毛虫やら、枝が勝手に腐ってしまったり、なくてはならない、あったらうれしい木ではあるけど、実際にあれこれ世話をしないと難しい木です。

 彼女と妹さんで、お兄さんの結婚式に振り袖姿で参加して、その記念写真を家の前で撮ってたのがうちにもあるけど、きっとサクラはそこにあったんでしょう。


 木としては、そこに住んでいる人たちのしあわせごとには寿ぎたいし、精一杯の「おめでとう」を言いたかっただろうけど、どれだけ伝えてくれたのかなあ。まだ結婚してなかった私は、写真だけもらって、振り袖姿とは珍しいな、くらいの感動しかなかったのかなあ。木たちに怒られてしまいそうです。

 結婚してから、彼女の実家に行くというのは、手持ちぶさたではありました。でも、よく考えてみたら、私がおとなしくしているわけはなくて、あちらこちら一人でほっつき歩いていた記憶があります。写真はそんなに撮らなかったけれど(デジカメという便利なものもなくて、写真とはフィルムに仰々しくとらえるものではありました)、近辺の観光地をほっつき歩きました。

 彼女は、久しぶりの実家だから、そんなに出歩かないで、ご家族のご用があって、それなりに忙しくしていたように思います。そんな時、帰省した彼女を訪ねて、友だちが来てくれて、彼女はほんの少しだけ一緒にお出かけしたこともありました。私が出る場ではないから、テレビを見たりして夜を過ごしたと思いますけど、少女時代にもどって、昔の友だちと一緒に過ごす彼女が、何だか別の人になるみたいで、少し淋しいような、でも、それも当然のことだから、ぜひバンバン友だちに会って、昔に戻ってほしかったりしたんですけど、やがては彼女の友だちもお嫁さんとして、ふるさとを出て、遠い国に暮らすことになって、会えなくなったりしたようでした。

 せめて、いまならメールとか、いろんなやり取りの方法があると思うんだけど、彼女はそういうのを聞きそびれたまま現在に至っているようです。

 昔からの、会いたい友だちがいるなんて、私はとてもうらやましいのです。私に昔からの、中高を一緒に過ごした会いたい友だちがいるだろうか。

 考えてみたら、特定の会いたい人が見つかりません。それで今はさびしい大人になってしまっています。友だちも少なかったんでしょう。

 でも、どこかに「あいつに会ってみたいな」と思ってくれる友だちはいるかな? いると信じたいけど、私そのものが思い浮かばないんだから、友だちがいのない私です。

 そんな私たちの営みを、彼女の実家の木々たちは見ていたし、切られてしまった木たちもある。思い出はそこにあって、思い出させてくれるでしょうか。

 木は友だちであり、仲間ですね。私の今の家、いくつか友だちである木はあるけど、私が乱暴で、枯れてしまった木たちもいくつもありますね。仲良くいつまでも一緒でいたいけど、栄枯盛衰はあるのだから、自然の流れに則り、あるように生きていくしかないのかなあ。

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