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ハンク・アーロンって、ほとんどプレーは見たことはありません。録画かなにかで、たまに見る程度ではなかったかな。
でも、私は1991年からのAtlanta Bravesのファンなので、フエイスブックでも、ブレーブスのグループに入ってみました。といっても、去年の秋かな。去年、久しぶりにブレーブスが東地区で頑張って、あと一つ勝てば久しぶりのワールドシリーズというところで、盛り上がったから、いくつかネットで追いかけるうちに、まあいいやって、グループに入ったんです。
そうしたら、今年になって、ハンク・アーロンさんのことばかりになり、今もずっと続いています。それくらいにハンクさんがいなくなったこと、みんなずっとリアルに悲しんでおられるようです。
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ハンク・アーロンさんは、ベーブ・ルースさんのホームラン記録を塗り替えた人でした。ベイブさんの714本という通算記録、これは破られてはいけない記録でありました。けれども、地道にコツコツ積み重ねたアーロンさんは、1974年の4月8日にとうとう715号を放ってしまいます。
記録は消せないから、誰も文句が言えなくて、ここからは755号まで重なって行きます。この時にはアトランタ・ブレーブスに所属していたので、ファンはブレープスのハンク・アーロンとして記録しているみたいです。もともとすべてのほとんどのキャリアはブレーブスではあったのです。
1952年の18歳で、ボストン・ブレーブスに入って、球団はミルウォーキーに移転して、1957年にニューヨーク・ヤンキースとワールド・シリーズを戦い、見事勝利して、初のワールド・チャンピオンになります。ハンクさんは20代半ばで、活躍したことでしょう。
ホームランばかり取り上げられますが、盗塁も打率もすごかったそうで、すごいバッターとして「トリプルスリー」盗塁・本塁打・打率の3つが3に関わる数字を得る、というのも何度かしたんだと思われます。ご本人はそちらも自信があったようです。
ブレープスは1966年にアトランタに移転しますが、そこからはずっと低迷したそうで、ワールド・チャンピオンにはなかなかなれなかった。だから、ハンクさんの唯一のチャンピオンリングは、1957年にもらったものなんだそうです。誇りですね。そこにいた人たちしか持てない宝物でした。
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最後の2年間は、よその球団でプレーしたそうですが、まあ、ずっとブレーブスの人であったのです。
やがて、ハンクさんの記録を日本の王貞治さんが抜き去りますが、それはそれでハンクさんは認めてあげた。リーグも違うし、交流の輪を断ち切らなくても、お互いを認め合えばいいわけですから、仲良しの映像を何回か見させてもらった。いいおじいさんになっておられた。
けれども、サンフランシスコ・ジャイアンツのバリー・ボンズ選手が自分の記録を抜き去った時、あまり祝福はしてあげられない、複雑な心境だったということでした。ボンズさんは薬物疑惑があったからです。筋肉増強剤など、いろんな薬も試してタフな体を作った彼の記録は、許されるのか、素直に喜べなかったんでしょう。そんなにホームラン記録を抜かれたくないとは思ってなかったと思います。
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ホームラン記録は抜かれてしまった。でも、今も抜かれていない記録をお持ちだし、偉大な方であるのは確かだし、映像で見ると、悪球打ちというのか、あんな高い球をひっぱたくようにしてホームランにしてしまう、おもしろいタイプの人だったんだなと思います。
今年の1月22日に亡くなられたそうです。また、今年のブレーブスを見守ってもらって、今年こそ久しぶりのワールドシリーズ進出させてもらえたら、私はうれしいんだけどな。コロナはどうなんだろうね。